島国キリバス
先日、クライメート・リアリティ・プロジェクトが主催するウェビナーに参加しました。
テーマは私たちが望む未来~気候危機最前線キリバスからのメッセージです
。
お話を聞くまでキリバスという島国については名前程度しかの知識しかありませんでした。
それほど何の知識もなしに参加した理由は、気候危機最前線というワードがあったからです。
日常生活で気候危機を肌身に感じることは正直あまりない人も多いのではないでしょうか。
それも、生命にかかわるような危機感はもっと。
だからこそ、気候危機が叫ばれる最前線では一体何が起こっているのかを知りたかったのです。
美しいキリバスの海の写真を背景に語られる内容は、とても切実なものでした。
それは、私たちが文章や音声で見聞きする気候危機が、彼らには肌身で感じるもの、未来がかかっているということ。
それでも島の高齢者の方々は熱心なクリスチャンであるからあまり深刻には受け止めていないというお話も印象的でした。
私たちは何を見て何を見ていないのでしょうか。
今まで通りではいけない、私たちの望む未来はこんな姿ではないと力強く語っておられました。
後日、韓国語のニュースサイトで偶然キリバスについての記事を読みました。
エメラルドの海が、ゴミ場と化しているのです。
国民の大多数が漁業で生計を立てているキリバスの人にとって、収穫量が年々減っていることは深刻な問題です。
近場で獲れなくなり、遠くで獲るためにはガソリンがより多く必要となり、状況は悪化する一方です。
ゴミの分別や処理施設などの技術的なインフラ不足もさらに状況を悪くしている現状。
島国の美しい自然は私たちに素晴らしいものを見せてくれます。
非日常的な体験に感動し、それを思い出として旅路につくでしょう。
しかし、
残されたその島国で今何が起きているのか。
その美しい自然が数年後にはなくなっていたら。
写真の中だけしか、生まれた国を見ることができないとしたら。
これまでの歴史上の流れで国が生まれは消えていきました。
それを自然的なものだとして受け入れるべきなのでしょうか。
気候難民はもうすでに現実のものとなっています。
土地がなくなるだけが難民ではないかもしれません。
私たちが、軌道修正していくことに躊躇すればするほど、失っているものがあることを改めて感じたキリバスのお話でした。