それはそれ

僕は体温調節ができない。

 どういうわけか、極端な温度の職場に縁がある。

 初めて務めた会社はハロゲンミラーの製造工場だった。当時はまだそれほどメジャーではなかったと思う。会社としてもこれから伸びるだろうと力を入れ、工場を新設した直後の入社であった。

 詳細は省くが、夏熱く、冬暖かい職場であった。なにしろ真空蒸着機なのだ。真空にした釜の中でマグネシウムやらジルコニアやらを熱し、それを飛ばしてガラスに蒸着するのだ。熱くないわけがない。20年たったいまも、入れ替える際にうっかり内部に触ってしまった火傷の跡が残ってる。夏場には毎日スポーツドリンクを2リットル呑んでいたが、体重はたいして変化しなかった。

 15年ほど勤めた職場をやんごとなき事情で辞めた後、次の職場は某有名カップめん製造工場。当時すでにノンフライ麺が主流であったが、代わりにでてきたのは蒸麺であった。蒸すのだから熱くないはずがない。そして、それを取り扱う工場が暑くないはずはない。

 もちろん直接取り扱うような部署ではなかった。カップに一つずつ入れる小袋の繋がりを途切れないように、箱(1つ数グラムでも、数十数百ともなれば当然重い)ごとつないで送り込む仕事だったが、そういったことには関係なく、そこも暑くて長続きはしなかった。

 次に務めたのは、某超有名練り物工場の配送センターであった。要するに、工場で出来上がった商品を取りまとめて出荷する部署を別会社化したのである。食品であるから冷蔵庫も同然の室温で、フェイクとはいえファー付きの上着が全員に貸与されていた。時折、工場側で数量を間違えて多く送ってくることがあって、悪いとこととは知りつつこっそり分け合ったりもしたのだが、給料が安かったのでさっさと辞めてしまった。

 その次は、様々な原料を油で熱して調味油を作る工場だった。蒸すどころではない、男塾名物油風呂の世界である。悪い意味で昔ながらの会社で上司も「使ってやっている」という意識が強く、ろくに仕事も教えず「即戦力になれ」と言うような輩だった。

 時代は飛んで現在も似たようなもので、一日働いて帰ってきて、ふと体温を計ったら微熱だった。慣れとは怖いもので、別になにがどうしたわけでもなく、具合が悪いとも思わない。水風呂に入って冷えピタを貼って、また明日に備える。 

 皆さんは、こうなってはいけない。若いうちから健康に気を使い、変調を変調と気付けるようになっておいてほしい。

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