デビュー戦までにした事、当日のライブ感

2/11(日)にASJJF主催のKANSAI INTERNATIONAL JIU JITSU CHAMPIONSHIP 2024へ出場してきました
カテゴリーは白帯ライトフェザー級マスター1
結果から言うと7-0で1回戦勝ち
その試合で右肋軟骨を負傷して決勝を棄権

準優勝でした

試合までに自分の中で最強のワンパターンを作る

エントリーを決めたのは遡ること約3ヶ月前
その時は「3ヶ月なんてあっという間だろうなぁ」と思っていたのをよく覚えている(案の定3ヶ月はあっという間でした)

柔術を始めて10ヶ月でデビューするなら頃合だろうと
ふんわりとした気持ちでエントリーしたが

まだその時の自分はオープンガード、リテンション、エビ等のディフェンス周りしかやっていなかったので
これと言った武器を持っていなかった

自分はボトムから攻めるのが好きなので
ガードは色々と試していたけど試合で勝つ為には
1つに絞って自分の中での最強のワンパターンを構築する必要があると考えました

選んだのはラッソーガード
理由はキープ力の強さ、単体でのスイープの攻撃力の高さ
ラッソーを取り組み始めたのは試合まで2ヶ月前の出来事
キープ力は徐々に付いてきて白帯同士なら早々にパスされることは無くなった

問題はスイープ
これが中々に難しくてスイープ前の「崩し」がラッソーでどうやればいいのか全くピンッと来てなくて
全く出来ない期間が続きました
クローズやデラヒーバに変えようかなぁ~と何度も思った程で

まぁ頑張って練習して最終的には出来るようになったけどあの期間は苦しくて
でも試合日というタイムリミットがあったお陰で必死に練習出来たので
期限日を設けて必死に練習するのはとても大事だなぁと思いました(小並感)

自分の中でのプランはラッソーガードで4分半耐えて
最後にスイープして2点だけもらって勝つというプロなら金返せコールが起きる省エネ戦法でした

試合当日

自分でもびっくりするぐらい緊張はしていない
学生の頃にやっていた別の格闘技での試合は嗚咽が止まらないし
毎日が憂鬱でリングの上だけに隕石落ちてくれと願っていました
緊張しすぎて負けて終わっても「やっと解放された」と悔しさよりも安堵が先に現れたので当時の格闘技はスパッと辞めた

なんでここまで緊張しなかったんだろう?と考えたけど
やっぱり社会人として責任を負うことが増えたからでしょうか?
自分のやっている仕事で顧客とのやり取り以上に緊張するものなんて自分の人生ではそうそう無いよなと
毎日顧客と試合してるようなもんだ
父ちゃん、母ちゃん、大人になりました僕

それに勝手に自分で始めて勝手に自分で出るって決めた試合に何を緊張する事があるんだおバカと変に冷静になれてました

ただまぁ怪我をして仕事には絶対影響を出したくないとそこの緊張は半端なかったです(この後肋軟骨負傷してめちゃくちゃ影響出た)

自分の試合は15:30
午前にサクッと仕事を終わらせ、いざ鎌倉!

試合会場

会場へ着くもしっかり迷子になり
右往左往していると某ディープハーフの人や某RIZINファイターの人を見かけ
テンションが上がり彼らのケツに引っ付いて目的地まで便乗

同じジムメンバーと合流が出来た所で仲間のアダルト勢の試合が早々に始まった
勝った負けたが続く中、会場の雰囲気は思っていたよりアットホームでわいわいがやがやしていたので
静かな会場よりお祭りみたいな感じで好きな雰囲気

そして僕はまだ相変わらず緊張していない
昔は緊張なんて自分の中では邪魔な要素だったけど
今回は緊張感を持っていなさすぎたので
試合に対する向き合い方が出来ておらず結果的に怪我をしたんだと思います
・注意散漫
・準備不足
・集中力の欠如
これらは緊張によって保たれていたんだなと勉強になりました、ほどよい緊張大事

仲間の試合を応援していたらあっという間に計量、あっという間に試合
どんどん一本が決まっていき予定より30分早い
アップ0のままなけなしのストレッチだけしてマットへ…

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?