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『大怪獣のあとしまつ』の後始末テーマと先駆的作品との比較

※2024/9/8
 ・追記 「ヴォーグマン」

※この作品ほかのネタバレを具体的に書き綴っています。各作品を未鑑賞、未読の方は読まれませんよう。 


怪獣が倒されたあとの話
残された死体の後始末に絡む作品

大怪獣のあとしまつのコピーから抜粋

「この国では、多くの大怪獣がヒーローに倒されてきた。しかし、倒された大怪獣の死体処理は今までどうしていたのか?
 これは、誰もが知る大怪獣の誰も知らない死んだ後の物語」
「この死体、どうする?」
「誰があとしまつするのかな〜?」
「倒すよりムズくね?」

 映画パンフレット記事「大怪獣のしたじゅんび」によると、この作品の企画が生まれたのは、2008年『インスタント沼』の取材の中で次回作の構想を聞かれた三木監督が、思いつきで「怪獣の死体を片付ける怪獣映画を考えています」と口にしたのが最初で、2014に企画がスタート、プロットをまとめ、3ヶ月後に第一稿を脱稿、上層部のごたごたと作業を押し付けられた現場サイドの対比など、基本的な流れはこの段階でほぼ完成していたとのこと。

“大怪獣のあとしまつ”は日本映画史の中で繰り返し描かれてきた? 特撮と笑いの難しさ

 上記のリンク記事で怪獣の後始末は斬新なテーマではないと取り上げられているが、三木監督自身も映画公式も自分たちがこのテーマ・アイデア一番乗り、史上初などとはまず思ってはいないだろうし主張するつもりなどないのは判るだろう。映画パンフレットにおいても、神武団四郎氏のコラム「“その後”を描いた映画たち〜一変した日常と最前線の苦悩〜」を掲載し、これまでの先駆的作品を取り上げて紹介している。


<後始末テーマの先駆作品群>

 ここに取り上げた作品は、大怪獣のあとしまつを鑑賞後に知って初鑑賞・初読ないし再鑑賞・再読し直したが、アプローチが多彩でどの作品も面白かった。

※すべての関連作品について網羅できてはいない。また、単なる後日譚、3式機龍等の特殊利用事例については対象外とする。また、先駆作品を対象とするため大怪獣のあとしまつの公開以降の作品(シン・ウルトラマン等)についても対象外とする。

※先述の映画パンフレットのコラムで言及されている作品は題名の頭に☆

※キネマ旬報2022年2月下旬号掲載「大怪獣のあとしまつ」インタビューにて三木監督自ら言及している作品は題名の頭に◇



☆『コングの復讐』

/監督:アーネスト・B・シュードサック (1933)
 
『キング・コング』の大ヒットを受けて同年にほぼ同じメンバーで作った続編。コングが暴れた被害により膨大な訴訟を抱えることになった興行主の窮状が語られるところから話は始まるが、話の起としてだけでその後始末自体は描かれない。前作で死亡しているコング自身はもちろんのこと誰かがコングに因んで何かに復讐するということは一切なく、こちらの邦題のほうがよっぽどタイトル詐欺なんだが、おそらく大怪獣のあとしまつのようには執拗に難癖つけられることはないのだろうと思われる。さすがに前作の面白さには及ばないが悪くはなかった。

☆「The Drowned Giant 溺れた巨人」

/著:J・G・バラード (1965)
☆映像化作品>ラブ、デス&ロボット シーズン2第8話「おぼれた巨人」 (2021/5/14)
 
死体の顛末について最も語られているであろう作品。浜に流れ着いた正体来歴の不明な巨大な人間の死体が処理されていく様子が断片的に淡々と綴られていく。“巨人”と聞くとついついモンスターとの印象を持ちがちだが、この話の巨人は巨大な人間であって“怪獣”ではない。ゆえに却って“怪獣”という概念を意識させられた。

ウルトラマン
☆第34話「空の贈り物」 スカイドン (1967/3/5)
第35話「怪獣墓場」 シーボーズ (1967/3/12)

 大前提としてデウス・エクス・マキナ(ウルトラマン)有りきの作劇。いずれも処理対象が活動している。怪獣墓場の概念を現代風に組み直したものも観たくはあるが、大怪獣のあとしまつに期待した多くの観客が求めているものはこれではないように思う。

「After King Kong Fell キング・コング墜落のあと」

/著:フィリップ・ホセ・ファーマー (1973)
テーマ別怪奇アンソロジー・シリーズ「キング・コングのライヴァルたち」(原題 The Rivals of King Kong)/編:マイケル・パリー (1977)に収録。
『キング・コング』映画化の元になった実際の話風の創作で、現場に居合わせた当時の少年視点で語られている。大怪獣のあとしまつの恋愛周りが×という人はあれ以上に眉を顰めるかも。だが創作とはいえこれもあとしまつも一種のリアル。シンゴジも恣意的なリアル。


◇「A SPACE GODZILLA PART1「さらば地球よ」」

/スターログ日本版No.4収録(1979/2/1)
 
処理対象はゴジラ(別個体)。このイラストは観客の期待していたものに近いイメージ、ビジュアルだと思われる。だがストーリー的には40年以上前の作品ということもあり別ベクトルの話。
追記>
「A SPACE GODZILLA PART2「星へ還る」」/スターログ日本版No.6収録(1979/4/1)
 
完結編のこちらのPART2はさらに想像もつかないかけ離れた展開に。“リリン”、“折り紙のようにたたみこみ”などの記述があり、もしかすると庵野さんのいくつかのモチーフの源泉であったりするのでは?などとつい想像される。

 

「ヴォーグマン」

/著:桂正和(週刊少年ジャンプ 特別編集 SpringSpecial 1985年4月30日刊)
 巨大変身ヒーロー物。ヴォーグマンのパワーの源を巡り変身能力を一方的に受け継がされた主人公の奮闘。先代ヴォーグマンが倒した怪獣の死体が腐って強烈な悪臭を放ち付近住民から苦情が殺到、怪獣退治専門の部隊に所属する主人公の姉がその腐った肉の回収仕事が回ってきてボヤく描写、ヴォーグマンに変身した主人公が倒した怪獣をその場で特殊能力で小さくしてお墓に埋葬する描写あり。


「ウルトラP」第一話:ウルトラP作戦第一号

/著:喜国雅彦 (少年サンデー増刊1987年9月号)
 
後始末に絡んで、怪獣を倒した功労者が非難を浴びせられる(大怪獣のあとしまつは観客からだが)点などで、ある意味最も近しい話かも。



☆ウルトラマンティガ第5話「怪獣の出てきた日」 シーリザー

 (1996/10/5)
 大怪獣のあとしまつの掲げたテーマの先駆作品として、後述の『怪獣の日』と双璧として挙げられることが多い。
 ムナカタ副隊長の計画立案・采配が冴え渡る、オチもクスりとさせてくれる小気味良い一篇。怪獣の死体処理話としてスタートするものの、処理対象が活動し、最期はティガに倒される。爆散した肉片の処理については語られず。

「巨人殺人」

/HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol. ぶどう「安心」収録(1999年)
 
ある意味ノウハウ的後始末のドタバタもの。隠蔽のための後始末なので別カテゴリか。大怪獣のあとしまつよりも具体的な下ネタ描写有り。

ウルトラマンネオス第5話「見えない絆」 昆虫怪獣シルドバン/寄生怪獣バッカクーン

(2000/1/24)
 特捜チームHEARTのみで昆虫怪獣シルドバンを倒したが、死体の悪臭への苦情が殺到、行政及び民間業者に後始末処理を依頼するが引き受けてもらえず、土地所有者の許可を得て隊自ら埋葬。このシルドバンに関しては、ウルトラマン(ネオス)が関与せず、死体が生き返ることもなく、HEART隊員の手で死体を埋葬し一先ずは後始末を終えているので、シン・ウルトラマンのガボラ持ち去りよりもこちらのほうが、大怪獣のあとしまつより後始末できている作品と言えそう。※寄生されるが生き返ってはいない。 ただし、バッカクーンによる寄生が及ばなくなって活動を停止したシルドバン死体とネオスが倒したバッカクーンの死体の処理は描かれず。
 HEART基地の通路、キノコ、嶋田久作など大怪獣のあとしまつに縁あり?


『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』 カメーバ

(2003)
 海岸に漂着した巨大生物=カメーバの死骸。かけられている梯子、甲羅に登って調査をしている完全防護服の数名。死骸から少し距離を置いた立入禁止のバリケード前に立つマスク等をしていない警護兵。後始末の様子ではない。


ウルトラマンメビウス
第2話「俺達の翼」 ディノゾール (2006/4/15)
第14話「ひとつの道」 インセクタス (2006/7/8)

  第2話「俺達の翼」に、トリヤマ補佐官の「こっちはディノゾールの死体処理で手一杯なんだ!ああ忙しい!」との台詞あり。
 「ウルトラマンに守ってもらえばいい」との問題提起もなされている回で、劇中のリュウ隊員の言葉、

「地球はウルトラマンに守ってもらえばいい、そんなふうに思っているヤツらにこの翼は触らせはしねえ!」
 
「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならないんだ。けど、地球は何故かウルトラマンに守られてきた。俺はGUYSを、そうじゃないチームにしたいんだ!」

ウルトラマンメビウス第2話「俺達の翼」より

 リュウ隊員の想いは地球防衛への姿勢の話ではあるが、ウルトラマンが最初から死体を持ち去ってくれればいいとするのも同様に違うと考えるだろうと思う。大怪獣のあとしまつのアラタの特務隊員としての踏ん張りも無駄だと言うのは、GUYSも要らねってことと同じなんじゃないかと。

 第14話「ひとつの道」でも後始末描写あり。冒頭、ウインダムの光線により爆散したインセクタスの処理前の粘液をトリヤマ補佐官が踏んでしまい、「あ!ちょっと、ウロウロしないでくださいよ。この一帯は、まだ洗浄が終わってないんですから」 →幼生成長の展開

「MM9」第三話:脅威!飛行怪獣襲来

/著:山本弘 単行本書き下ろし (2007/12)
 怪獣(サイズ分類により“M”と呼称)が実在し、その怪獣災害には普通の人間が対処しなければならず、気象庁の管轄として対応にあたっている気象庁特異生物対策部=「気特対」の活躍を描いている作品。
 当話では体内に放射性物質を持つ2006年怪獣1号「グロウバット」が登場。ウルトラマン的な存在は関与することなく、気特対の部員各々の情報収集、解析、対応、自衛隊ほか関係機関との連携、非番の部員の機転により駆除、死体からの放射性物質の拡散を防ぐための後始末の描写がなされている。

☆『モンスターズ/地球外生命体』

/監督・脚本:ギャレス・エドワーズ (2010)
 後始末譚ではないが、パンフレットのコラムで紹介されていたのでアマプラで鑑賞。この作品、自分は予想外にイライラさせられた。メキシコを脱出する道中の水路を終える辺りまでのやり取りが逐一性に合わず、こんなの観たくて観てるんじゃない、その手のハラハラ要らんねん!と94分の作品だが観終えるのに思わぬ苦労をした。大怪獣のあとしまつが合わなかった人らはおそらくこんなふうに負の感情を持て余していたのかと思いつつ、だったらやはりそれは個人の嗜好の問題で、自分には合わない気に入らない=駄作、脚本が最悪と断ずるのは言い掛かりだとあらためて思った。


「生と死のはざまで」

/著:山本弘 ザ・スニーカー2010年10月号初出 (2010/8/30)
 
MM9の世界観の短編。角川文庫「トワイライト・テールズ」に収録。
 
何百発という砲撃を受けてぼろぼろになった怪獣の死骸については、科学研究に必要なサンプルを採取した後、残りの部分をばらばらに切り刻んで地面を深く掘って埋めることになっていて、その作業も自衛隊の仕事だ、との描写あり。

「MM9―destruction―」

/著:山本弘 Webミステリーズ! 2011年4月初出 (2011/4/15)
 “
通常、怪獣の死骸はサンプルを採取した後、死んだ場所の近くに深い穴を掘って埋めることになっている。”との記述、重機による死骸処理の様子が描写されている。http://www.webmysteries.jp/archives/12245494.html?ref=head_btn_prev&id=8001360


☆◇『パシフィック・リム』/

監督・脚本(共作):ギレルモ・デル・トロ (2013)
 イェーガー登場前の現存兵力でKaijuを数体倒している。死体の後始末、活用のノウハウなどについてこれまでの映像作品で最も描きこまれている。それでも3分ダイジェスト的サイドディテール(チャウ商会、Kaijuの脳、オオタチの体内)に留まり、後始末がメイン筋ではない。 Kaijuの脅威が続行中の話。

☆『怪獣の日』

/監督・脚本:中川和博 (2014)

 後始末ものとしては最も評価が高いと思われる。内容はノウハウ的なものはあまり描かれておらずエピソード面にガン寄り。結末については大怪獣のあとしまつと同カテゴリとも別カテゴリとも言えるがやはり別物。作劇的にもカタルシス的にも観客の期待に間違いなく応えている結末だと思う一方で、そうではない結末だったなら、地味にはなっても唯一無二のさらなる傑作となったのではないかとも思えてしまう。意外と見落としがちだが、後始末決着の観点からは最も遠い終劇。


☆「痕の祀り」

/著:西島伝法 S-Fマガジン2015年6月号初出 (2015/4/25)
 ノウハウ的な後始末描写については、大怪獣のあとしまつの予告編から多くの観客が期待していたものにおそらく最も近いのではないかと思われる。独特な設定が付与されており、ウルトラマンが滞在し怪獣の驚異が続行中の話


「CANDY POP NIGHTMARE」第6巻おまけマンガ:P.A.S.T.アフター

/著:氷川へきる (2015/12/25初版)
 
本編で倒されて町中に放置されている巨大天使の死体((?) 逆落としで両足を上に上げている)の「後始末お願いします先輩」との無茶振りから始まり、「ああいうのはいつも空の連中がどうにかする」「跡形もなく消え去ってみんなどうでもよくなる」「ギャグっぽくて楽 ← 身も蓋もない」と喝破、適当で閉める。
 禍威獣ガボラにしても希望にしても、持ち去ったその亡骸をどう処理しているかまでは描かれておらず、他所で不法投棄されてたとしても知ったこっちゃなく目の届かないところへと撤去さえしてもらえれば完璧な後始末だ(称賛)とする見識にしても、それがあなた方の期待して求めていた「あとしまつ」なのかというと、流石にそうではないですよねと思いたい。

☆『シン・ゴジラ』

/総監督・脚本:庵野秀明 (2016/7/29)
 テロップ演出などをはじめ大怪獣のあとしまつがこの作品を意識、影響を受けていることは否めない。が、考えてみてほしい。他の誰かならともかく三木聡にシン・ゴジラの後始末続編を撮らせるというのはどう考えてもまずあり得ないということが、一部の特撮オタク&一般観客にはそれほどまでに理解し難いことなのか? ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーのリメイクを任される庵野秀明とはその作家性も特異さも明らかに違う。

☆『スパイダーマン:ホームカミング』

/監督:ジョン・ワッツ(2017)
 
『アベンジャーズ』での戦闘の後始末から話が始まり、リヴァイアサン=巨大生物の死骸の後始末もしてるだろうが、後始末がメインテーマではないのは明らかで。


ウルトラマンジード第20話「午前10時の怪鳥」 ギエロン星獣

(2017/11/18)
 毎日午前10時になると現れるギエロン星獣。何度木端微塵に撃破しても翌日の午前10時になると復活して現れる。その度に倒し続けるジードに対しテレビからは「ジードはいい加減ギエロン星獣をなんとかしろ」との市民の声。「僕だってどうしていいかわからないよ。もう五日目だよ?ちゃんと倒してるのに…」とやるせないリク。
 このギエロン星獣の破片にとある処置を施すことで復活しなくなることが判明、市民に協力を仰ぎ人海戦術で倒した後の飛び散った破片をすべて回収して処置を施したことで復活の阻止&駆除に成功する。破片の処理の顛末まで劇中で語られている。
 あとしまつ譚ではなく駆除話だと思うのだが、倒された星獣の破片の回収&処理なのでこれも「後始末」に分類されるのか??

☆『パシフィック・リム:アップライジング』

/監督・脚本(共作):スティーヴン・S・デナイト (2018)
 
前作の数年後、白骨化したKaijuの残る街並みなどが描かれているが、後始末自体に関するエピソードもノウハウも出てこない。(怪獣イェーガーと血液利用のロケット燃料くらいか)

☆「怪獣8号」

/著:松本直也 (2020/7/3〜)
 主人公が怪獣の死体処理業務に就いていてド直球に思えるが、やはり死体処理がメインではなく、怪獣の脅威が続行中の話。


「大怪獣飯」

/著:金谷 裕 (第1話配信2021/4/16?)
 
大怪獣のあとしまつの公開前に連載・電子書籍刊行。倒すのは巨大ヒーローだが、毎回倒された怪獣の“後始末”をメインにそれこそ“ネタ”として扱う作品。シン・ゴジラの後日談が読みたいという層とは互いにお呼びでなさげだが、ノウハウネタの一つの解。


※参考「ゴダイゴダイゴ」

/著:コウノスケ  (2021/9/20〜)
 
怪獣を倒すまでに至れていない設定なので、怪獣の亡骸の後始末では全くないが、一種のデウス・エクス・マキナ設定ではあるものの“人類自身”による怪獣“撃退”および破壊された街の復興が日常と化した世界が描かれている作品。



<大怪獣のあとしまつの後始末要素>

 突然死亡した怪獣の死体処理をめぐる話であって、解体腑分け処分方法などのノウハウを描く話ではない。

処理対象(怪獣)は完全に死亡。生き返ったりしない。
・人類自身の手で後始末できるかどうか
・怪獣に関しては奇をてらった特殊設定を入れず極力普遍的と思われる条件設定
・スーパーガジェットは用いず現代技術で可能と思われる方法
・未曾有の危機と謳ってはいるが、怪獣は完全に死亡(生き返らない)、悪臭被害&キノコまみれの懸念で死傷者が予測されるものではない、怪獣存命中の危機感・緊張感・絶望感には比べるべくもない、どうしても緩くなるであろう状況。

 と並べても、結局のところオチはデウス・エクス・マキナに希望を持ち去られて終わるのだが、だったら最初からそうしろよ!というのではなく、光の巨人オチを予見した時点で、
「せめて、デウス・エクス・マキナに頼らずに人類自らで後始末をつけることができるのか?」
或いは、
「結局デウス・エクス・マキナに解決してもらうことになってしまうのか?」
に視点が切り替わる話なのだと思う。

追記>
「なんなら、登場人物の中に積極的にその結末にしてやろうと働いている人物さえ出てくるのだから完全な無力からそれに頼る事態ではない(人為的に引き起こされたそれである)という視点もありますよね。」とのご意見をいただいた。確かに、この話の結末は、アラタは人類自らの手で事態を解決しようと抗ったが、嫉妬心も入り乱れつつ真相究明を強く望んだ雨音により「人為的に引き起こされたデウス・エクス・マキナ発動」での決着であると言える。

 そうやってあらゆる視点から見直すと、あのオチはやはり単に唐突なわけではなく、ストーリーテリングがしっかりと構築された上での結末だと考えられる。

 以下のは以前に書いた自分の記事だが、やはり、大怪獣のあとしまつが掲げたテーマもそのアプローチの仕方も、手垢に塗れているとは自分は思わない。

“<“後始末もの”という怪獣特撮の新鉱脈>

 いろんな方が感想で言及されているが、“後始末”というテーマに関して、今の人類(当事国)自身では怪獣を倒すことも、倒してもらった死体の後始末をつけることをもできないんじゃないか?とも問いかけられているように思える。

 シン・ゴジラでも後始末は描かれていないから、もちろん別作品ではあるものの後始末というテーマに興味を引かれ、どのような後始末を見せてくれるのかに期待した人が実際にこんなに多かった。この作品一作では納得の解決までは示してもらえなかったが、全くの手付かずではなくとも“後始末もの”という新鉱脈へは確実に誘われたと思う。

 “後始末”ものに含まれると考えられる作品・単話はこれまでいくつも作られてきているけど、このテーマを完全決着させた話は自分の知る限りないと思う。『パシフィック・リム』においてKaijuの死体の解体利用の様子が描かれてはいるが、あれを持って完璧な解だとはならないと考える。人類の叡智の産物との設定であるとはいえイェーガーなんてそれこそ機械仕掛けの神なわけで。

 そう捉えると、こと“後始末”に関しては、大怪獣のあとしまつのみならずこれまでの殆どの怪獣特撮作品において、“デウス・エクス・マキナ”的存在になんとかしてもらう方法でだけしか解決されてきていないのかもしれない。

 大怪獣のあとしまつの「最初からそうしろよ!」とのツッコミありきのオチは、“デウス・エクス・マキナ”という解決方法の是非を問いつつ、それにダメ出しをするのであれば、じゃあ正統な怪獣特撮がこれまで“デウス・エクス・マキナ”的なものに任せきりにしてきたこのテーマに真正面からどのようにキッチリと後始末をつける?との問いかけともなり得るのかも。 ”




 ダム決壊作戦失敗のあと、特務と国防軍のどちらがことに当たるかの場面で、

総理:「最小限って事は、被害はゼロでは無い」
国防大臣:「国益の為に多少の犠牲はやむを得ない」

とのやり取りがある。シナリオではこのやり取りは一度だけなのだが、作品本編では続けてもう一度繰り返したのがとても印象深く残っていて、後からシナリオを見てさらに印象深さを増したシーンだ。
 この作品はあらゆる点で描写不足だと指摘する批判的意見もかなりあるが、自分は、むしろ説明過多になることなく必要な描写はきっちり為されている匠な脚本・演出だとあらためて思っている。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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