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『大怪獣のあとしまつ』 公開6週目の考察

 公開5週目最終日に4回目鑑賞、『シナリオ 2022年4月号』掲載の大怪獣のあとしまつのシナリオを参照しながら、つらつらと考察してみます。

 創り上げるのにこれまでどれだけの苦労があろうが工夫を重ねようがそのような事情は考慮されるべきではなく「出された作品が総て」という意見がある一方で、作品外の宣伝やインタビューやコメント内容がモロに作品の評価にどんどん加味されていくのも多く目にしている。どちらかが間違ってるわけではなくどちらも、その他多彩な評価軸があることは矛盾しないと思う。

※モロにネタバレを具体的に書き綴っています。未鑑賞の方は読まれませんよう。

※『邦キチ!映子さん』の「大怪獣のあとしまつ」回、中居・須藤両プロデューサーの3/12のインタビュー記事も読んだうえでの、個人の感想です。叩いてません。気分を害されると予見される方にはおすすめしません。



<映画冒頭から中盤までの大雑把な経過時間>

 下ネタ他を洗い出してみました。

開始早々
怪獣が倒れたであろう辺りから迫る噴煙に呑み込まれていく人影
←シナリオには
川の中州に立つ、特務隊の隊員アラタの後ろ姿。との記載あり

3分 笑い袋
   何人もの方が、物語の主要な設定と世界観の説明がこの場面のたった数分で描かれているのが見事だと評価されていて激しく同意する。
 緊急警戒警報の笑い袋自体は不謹慎過ぎるし不快感を感じること自体は当然の反応だとは思うが、大怪獣の脅威が去って、不謹慎であってもこのくらいの羽目を外すのは許容されるほどの安堵と弛緩した空気であることの演出装置としてはとても効果的に機能してると受け取った。ただただ不快感だけを感じさせられた方にとってはこの先の悪印象を決定づける最初の引っ掛かりだったのかなと。

7分 TVの環境大臣←「蓮佛紗百合」の名前はここで初出

8分 モブキス=この映画にはキスシーンなどがありますよと提示

10分 雨音がユキノにキス

12分 “デウス・エクス・マキナ”のメモ
13分 「朝、玄関開けて何の動物が〜」

15分 「そのワザとらしいジャンパー脱いだほうがいいんじゃないか?」
   シン・ゴジラの状況とは明らかに別物で、怪獣の死亡は確認され、緊急事態は去って不安と緊張から解放された安堵と弛緩した空気と思われる。反動でフザケ気味になるのもむしろリアルなのでは。

17分 トンボ顔
   「どですかでん?」←最初の小ネタギャグ?

18分 「ブロッコリーは好きだがカリフラワーは嫌いって感じ、わかるか」 ← 国防大臣の喩え話1つ目

24分 官房長官「そうじゃないんじゃないんじゃないんじゃないですか?」
   国防大臣「別れた彼女に使った金額をセックスの回数で割るようなもんだよ」
   ←最初の明確な下ネタ
25分 「お面を被った水着女子」下ネタ2つ目?
   神光に官房長官「あ、それ、よろしいですね」
   藤田事務次官「わひゅん」
26分 隣国報道官初登場
   プロデューサーの言及あり

   
27分 防疫装備なしでの腐敗隆起突っつき
   ガチ特撮なら防疫装備なしは考えられないが、コメディとしてなら素顔に引っ被るほうが絵面としては映える。「だめ〜!それ突いたらだめ〜!」的な?

28分 ミヤコ様=ここからはパロディ&オマージュがどんどんありますよと提示

30分 国防大臣「陰毛で石鹸を泡立てると良く泡立つ」
   ←下ネタ3つ目

35分 キス3度目
38分 「わたくし蓮佛は」刺さる モロパン
   ←下ネタ4つ目
   隣国報道官からの希望返還要求


これ以降は、

50分過ぎ 甲腐敗隆起破裂→ウンコゲロ銀杏
     ←下ネタ5つ目群
     隣国報道官からのクレーム

60分過ぎ 「風林火山と不倫母さんは似てるかな」
     ユキノがアラタにキス(これ以降なし)

     ここで嫌気が頂点に達した人は残りの1時間さぞやキツかったことと推察する。

70分過ぎ 「本来はどこの管轄だ?」「それは…」
     「動物の死体だから保健所さ」
     正解提示?

80分過ぎ 希望の放尿&放屁によりダムバスター作戦失敗 ←下ネタ6つ目?
90分前後 キノコではありません×2
     ←下ネタ7つ目のここで打ち止め
     これ犠牲者を、一般市民ではなく迷惑ユーチューバーにしてるところに配慮はされてるかなと。あの状況で故意に避難区域内に残られるのが行政にとってどんなに迷惑行為か。そりゃあ自業自得だよなと思えた。

 この2度目の「あれはキノコじゃございません」以降はリーク画像を除いて新たな下ネタは出てこない。
ギャグに分類されそうなものも
 ・2MBファイルの転送速度
 ・官房長官「やめて〜」
 ・官房長官、総理の周囲を回って退出
 ・国防大臣「やられた〜」(観客のストレス解消シーン?)
くらいで、
これらを数えなければ、後はエンドロール後まで一切おフザケなし。

といったところでしょうか?
国防大臣単独犯の下ネタって3つだけ。(鼻毛も含めるのは酷かと思う)



<下ネタ要素に関して>

 下ネタは7種類(“鼻毛抜いた涙”までカウントするなら8つ)か?、「セックス」「陰毛」と劇場で耳にして自分もギクッとしたので、これらの単語に特に拒絶反応を起こされた方が多かったのかなと推測する。

 「ウンコかゲロのような臭い」との表現についてだが、怪獣=巨大生物の死体処理、腐敗というテーマである時点で、真面目に取り扱うなら「悪臭」「腐敗ガス爆発」はそれこそ避けて通れない要素で、実際の死体の腐敗臭はまさに凄まじくそれより酷いと聞く。ならば「ウンコかゲロ」という表現でさえかなりマイルドに抑えているとも取れる。「排泄物」「吐瀉物」と言い換えればいいと言うのかもだが、そうなったらそうなったで回りくどく感じるようにも。設定からして「ウンコかゲロ」が嘘がなく最もシンプルで伝わりやすい表現かと思う。この点に関しては特撮クラスタなら評価してもいいのではないか?巨大生物の死体の後始末というテーマに向き合うなら、最初から下ネタ要素は避け得ないと思い至った。

 ダムバスター作戦失敗のオチについて、最近まで自分はこれも下ネタと捉えられていると認識していなかった。希望の口から流れ込んだ大量の濁流の圧が上回り、肛門から排出(放尿)されてしまい押し流せなくなったものの、伴って内部の腐敗ガスも排出(放屁)されたため一時的な危機回避にも繋がった。初鑑賞時この展開は全く予見できていなくて、失敗に至るギミックというかメカニズムが十分に納得いくもので「そうきたか!」と感嘆さえおぼえたシーンだったので、このシーンも下ネタの批判対象に挙がってると知って「え〜っ」となった。

 


<デウス・エクス・マキナ的オチに関して>

予告編
「ヒーローに倒された大怪獣の死体処理は〜」
予告編全13種中5種で言及あり


本編
・謎の光球に包まれた途端に大怪獣死亡
・犬神博士、米軍総司令官のコメント 原因不明
・デウス・エクス・マキナのメモ、機械仕掛けの神、選ばれし者、怪獣を突然包んだ光の正体はまだ
・「仮に私が消えても大丈夫、一回消えた人間ですから」
・「この体の傷は?」「おそらく、この光で怪獣は死んだ」
・3年前のアラタ失踪時の回想シーン
・闇の料理屋前「3年前、どうして、姿を消したのか?」
・犬神博士「画像解析を進めたところ、ある事実が浮かび上がってきました。」
・病院の廊下「消えた2年の間に何があったのよ、少しは話してくれても……」
・雨音「選ばれし者」「君も噂くらいは聞いたことがあるだろう」「今言えるのはそこまでだ」
・犬神博士「あの強烈な光の中心に明るさの違う領域が」「ええ、あなたにも見覚えがあるはずです」
・「ユキノ、今度のことが終わったら全てを話すつもりだ。何故、あの時僕が消えたのか」
・「アラタがいるのよ、今すぐ発射をやめさせて」「彼なら心配ない」「あいつが何者なのか?見極める時が来たのだ」
・ミサイルの爆風で吹き飛ばされあの高さから落下、地面に激突して死亡することなく立ち上がるアラタ

 クドいくらいにも思える、これだけ丁寧に描写を積み上げたうえで迎えるあのラスト。解釈はさておき、あのオチ以外にどうなるというのか?物語の構成として破綻は決してしていないと思う。
 特撮ヒーロー物の文脈に馴染みのない方には思い至らないということも勿論あるだろう。だが特撮の流儀を熱く語る層が、映画本編をラストまで観てきてなおこのオチに全く想像も思いつきもしませんでした〜というのは腑に落ちない。
 
 このオチを“予測不能の一発ギャグ”として観客をズッコケさせたいというのが狙いだというなら、3年前の回想をはじめこれらの描写は一切合切カットして、「謎の光ってこういうことやったんか!じゃあ今になって片付けるんじゃなくて、倒したときに後始末していけよ!」的なツッコミセリフ一つで成立するだろう。脚本への批判に、このオチ自体への批判は多数目にせど、このオチに至る構成への批判はあまり目にしていないと思う。お一人だけ、「アラタが変身しないできない理由の説明が劇中で一切なされておらず、怠惰で変身しなかった(最後の一発ギャグ狙い)のが明らかだから、『最初からそうしろよ!』と批判している層はそれを怒っている」という意見を寄せていただいた。
 大怪獣のあとしまつの幾多の感想を読んで、「最初からそうしろよ!」=ヒーローが民衆を助けることはノブレス・オブリージュで当然だと疑問に感じることなく認識されてる方が大多数なんだと。「助けて当然」はまだしも、「してもらって当然」「何サボってんだよ!義務を果たせよ!」は本当にそうなのか?と感じているので、ここにずっと引っ掛かってきている。

 自分の期待していたものと違う、こんなオチが観たいんじゃない、というのが理由であればやはり各自の嗜好の範疇の話であって、自分のお気に召さなかった&不快にさせられたがゆえにクソ映画だ、駄作だ、駄目な脚本だ、監督は三流だ、との評価を降している方が若干名混じっていると思われる。個人の感想・評価としてなら全然有りで、誰に憚ることなく声高高に発言してかまわないと考えている。だが、これが世間一般の考えだ!皆の一致した評価だ!と主語を大きく騙っている発言には、何勝手に代表してくれてるねん?と言いたくもなる。この作品に出ている国の補助金には自分の払った税金も含まれているはずだから文句言っていいの理屈と多分同じ。「自意識過剰、お前の意見なんか数に入れてない」と言われるのであれば胸を撫で下ろす一方で、賛の評価がたとえ少なくとも実際にある(3/13現在Yahoo映画の評価で☆4以上が23%)のを含めずに「皆」と唱えている虚偽の過剰広告とも言えるわけで、そういった方々が予告詐欺と指摘している大怪獣のあとしまつのそれと同列だとも言えまいか?
 真っ当な根拠があると自負のうえでこの作品をクソ映画だと発言されている多くの方々も、これらの層にそれはちょっと違わへんか?と異義を唱えるということは特にはされていない様子。敵に塩を送る馬鹿はいないってことだろうけど、公式を散々っぱら「不誠実だから」との理由を挙げて糾弾してる割には、批判側も誠実じゃないなと感じてしまう。

 あと、誠実不誠実云々の話で思うのが、特撮、必殺技の文脈軽視で三木監督はマナー違反だと糾弾されておられるが、この作品は怪獣特撮であると同時に三木聡監督作品でもある。怪獣特撮というジャンルに敬意を払い尊重するのが当然だ!と言うのであればその主張は、三木聡監督作品という作家性に敬意を払い尊重することも同義だと考える。「どですかでん」、銀杏、「フェッフェッフェー」あたりは三木聡作品の基礎教養(?)と言えなくもなく、公開前に誰が監督・脚本かなんて知らなかったとしても、今は知っているのだから、怪獣特撮というジャンルに敬意を払い尊重するのが当然だというのと同様に三木監督の作家性にも当然敬意を払うのがマナーだとする主張だとも受け取れる。

 特オタ・一般層に限らず、この度の大怪獣のあとしまつで痛い目に合った経験から、
自分に合う作品なのか路線系統を事前に見極めるために、
監督および脚本家のチェック
公式サイト等にて予告編全Verの視聴
は私的クソ映画回避のための必要防壁と広く知れ渡ったので、予告詐欺だ💢と憤慨されている方々におかれてはもう今後はこれを怠ったら文句言っちゃいけないだろうと思われる。



<評価はグラデーション>

 世の中に「絶対評価」というものが実際に存在するのかもだが、少なくとも自分はその判定人の立場にはいないし、これがそうだと判断を委ねる根拠も持ち合わせてはいない。評価は人それぞれで、1から100まであるとするなら、1と100しかないわけではなくて2〜99までもあり得るし小数点刻みの評価だってあるだろう。仮に「有り」か「なし」かの二択だとしてもどちらか片方しか存在しないものでもない。同じ人の同じ対象に対する評価でも、この部分は「有り」だけどこの点だけは「なし」というのも普通に成立してることと思う。

 『邦キチ!映子さん』の大怪獣のあとしまつ回についても賛否両論のようだが、邦キチがどれほど多くの指示(反発)を得ようとも、あくまでも一個人の感想であるというのは取り誤ってはいけないと思う。絶対評価にはなりえないし、そう受け取られても作者さんだって困るだろう。


「前提として『シン・ゴジラ』が大好き!! は全てのオタクの共通点と言っていい!」←この台詞に噛み付いている方がおられるが、これが真実だなどと作者は言ってないし、実際にこの手の断言をしている特撮オタクが多数確認されている事自体は間違った情報ではない。またそもそも、この決めつけ発言=「『大怪獣のあとしまつ』に賛否両論の賛なんかない」「満場一致で駄作」等の大きな声の決めつけと同じ構図ですやん。週末興収の件についても、「初登場作品の中で」との記載がないだけで1位だったことは誤報ではないし、そういう伝聞自体(「とか」)は実際にあった。批判・擁護どの方向からもこの手の情報の錯綜や恣意的伝達などが氾濫していて、大怪獣のあとしまつに起きてる現象の抜出しとしてはむしろ的確だと思う。その認識が正しいかどうかは別として、登場人物たちの語ったセリフと同じ認識をしている人たちが確実に存在していること自体も、ツイッターで観測する限り事実だと思われる。

 相手を傲慢だと批難する口調がより傲慢にも感じられる言葉使いで、バカにしてる見下していると断定する言葉からは隠そうともせず糾弾相手をバカにしてる見下しているのが伝わる。「先に仕掛けたのはあっちだ。敵に対してそれで何が悪い?」
 相手が誰であっても何に対しても、自分の側が正義だと主張するのであれば不本意でも踏み越えちゃいけないラインがあるのでは、と感じています。


 ここまで読んでいただきありがとうございました。

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