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野良哲学者からの招待状

僕は25年間、独学で哲学をやってきた。といっても、来る日も来る日も毎晩毎晩、哲学書を読み漁っていたわけではない。哲学者たちの考えを自分なりに吸収して、あれやこれやと自分の頭で考えてきた。哲学書を読んで研究するのは哲学学者の仕事。哲学に詳しいから哲学者ってわけでもない。むしろ、勉強しなくても自分の頭で考えている人は、みんな哲学者といえる。

そう考えると、哲学者って意外にあちこちにいる。居酒屋で飲んでいるとき、僕はいつも思う。仕事のこと、家族のこと、恋人のこと、異性のこと、将来のこと、趣味のこと、みんないろんなことを熱く語っている。そう、この熱く語るという行為は、哲学をしていることなんだよ。哲学なんて私には関係がないと思っている人が大多数だろうが、みんな知らず知らずのうちに哲学しちゃてる。何かを熱く語っているときの人ってとても魅力的。哲学するってめちゃくちゃ素敵なことだと思わない?

僕たちの日常生活の根本をカタチにする

とはいえ、学問としての哲学も重要。哲学って昔は科学や数学と同じだったんだよね。「我思う、故に我あり」の言葉で有名なフランスの哲学者ルネ・デカルトは、方程式や関数でおなじみの「X軸」と「Y軸」を発明した人だし、ドイツのゴットフリート・ライプニッツは微分積分学を作った人で、かのニュートンとどちらが先かで争った。当時、ドイツとイギリスの学会はずいぶんともめたらしいが、今では二人がほぼ同時に独立して発明したという折衷案で落ち着いているらしい。

話が少しわき道にそれたが、哲学は数学と密接な関係にあった。哲学が現代人に敬遠される理由は、ここにあると僕は思っている。数学アレルギーがある人にすれば、世界や人間の生き様を数学的に扱う哲学者は、ちょっと嫌な存在なのかもね。でも、いろんなことに「エビデンス」を求める現代には、哲学の持つ論理性・合理性はあっているかもしれない。人生に数学的厳密さを求めると、途端に哲学チックになる

哲学者は、物事を難しく考えがちだけど、難しいことを考えているのとは違うんだよね。ここすごく大切!彼らが考えているのは、この世界の根本。僕たちの日常生活に関係していることなんだ。科学の基礎研究が日々の生活をするうえで欠かせないテクノロジーの土台になっているのと同じ。哲学者が考えたことが、後世の人々の「考え方」の基礎を形作っている

50年~100年先を歩んでいるのが哲学者

僕の勝手な見立てだけど、だいたい哲学者の考えは一般人の50年~100年先を歩んでいる。先に出てきたデカルト、ライプニッツ、ニュートンは、16世紀から17世紀前半の人たち。彼らの合理的な考え方が、17世紀後半から18世紀にかけて興った産業革命の根底にある。工業社会というのは、合理的に効率化を追い求める社会だが、それが成立するためには一般人が合理的な考え方を受け入れ実践しなければならないよね。

じゃあ、今から50年~100年前の哲学者はどんなことを考えていたんだろ?気になるよね。それを僕はnoteで少しずつ伝えていきたい。20世紀の考え方は「相対」がキーワード。ニーチェ、ソシュール、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、メルロ=ポンティ、フーコー、デリダなど、先人が考えたことをドざっくりと紹介する。僕は哲学の専門家ではないので誤解・曲解する。これは断言しておく。でも、そもそも理解と誤解の違いって何だろう?

哲学は究極のライフハックツール

僕がみんなに哲学を勧める理由は2つある。1つは哲学が楽しいから。僕は哲学をエンターテイメントだと思っている。哲学の勉強は、僕も苦手だ。昔の人が難解な言葉で書いた哲学書を読んでいて、楽しいと思ったことは一度もない。けど、先人の書物を読んでそれをヒントに「ヒラメキ」を得たときは、すごく楽しいくてワクワクする。

もう一つの理由は、哲学が「究極のライフハックツール」だから。

「僕は誤解・曲解する」と先に書いたが、そもそも僕は哲学書を理解したいわけではない。なんなら哲学者の主張なんてどうでもいい。正しいか正しくないかは、哲学学者が議論すればいい。僕は生きるためのヒントがほしいだけ。哲学者はファンキーな生き物だから、彼らが書いたものは時に起爆剤になる。考え方を180度転換させられたことが、これまでに何度あったことか!

哲学とは「考え方の形」。自己鍛錬のための手本

「生きるためのヒント」に哲学は何よりも有効。哲学というのは、要するにこの世の中をどう捉えるか、その「考え方の形」なのだ。拳法や武道、あるいは茶道や華道でも同じかもしれないが、先人が編み出した「形」を習い、自らを鍛錬する。哲学も同じ。先人の哲学を学んで、自分を磨くのが「哲学する」ってことなんだ。

考え方が変われば世界は変わる。考え方ひとつで世界は明るくも暗くもなる。ポジティブ変換なんて言葉があるぐらいだもんね。事実なんて解釈に過ぎない。もっと突っ込んで言えば、「事実なんてない。あるのは解釈だけ」だ。ということは、解釈を変えれば人生は変わるってこと。未来はもちろん、過去だって変えられる。

事実がなく、すべては解釈だというのは、危険な考え方かもしれない。けど、社会を変えるのではなく、他人を変えるのでもなく、自分を変えるためなら、特に問題はないと思うんだ、僕は。人は簡単に動かせないけど、自分はいくらでも動かせる。自分次第だもんね。そのために役立つのが、そう、哲学なんだ!

最後にもう一度、哲学は究極のライフハックツールだ
そして、哲学は至高のエンターテイメントだ!

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