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「優しくなりたい」と思ってる君へ



「優しくなりたい」

私は結構長らくの間、ずっと思ってたんだ。

【人に対して優しくなりたい】し【人に優しくみられたい】と思っていた。

私は、優しさ=善、優しくない=悪としていた。

でも、やっと気づいた。やっと認めた。

【自分の性格がわるいこと】を認めた。

私は性格が悪い


ということを気づいてしまった。

そもそも、「本当に優しい人」は優しいなんて気にしてない。「優しくなりたい」と思ってる人は「優しくない」から、そう思う。

「〇〇になりたい」という時、今そうじゃないからそう言う。【わざわざ】言うってことは、そこに執着があるからだ。気にしてるから【わざわざ】いう。

「優しくなりたい」と同じく、私はずっと「明るくなりたい」「明るくいなきゃ」と思っていたけど、それも暗い自分を否定してくるから出てくる言葉だ。

で、なんで優しくなりたいの?


私は、性格の悪い自分を見たくなくて、出したらいけないと思っていた。出したら嫌われるし、出したら人と仲良くなれないと思っていた。性格が悪い自分は悪魔で、その自分が出ると人を殺してしまうと思っていた。

性格が悪いから、優しくなりたいと思っていた。人と仲良くなりたいから、優しくなりたいと思っていた。

私は性格が悪い。

例えば、

嫌いな人に接する時、指摘をせずに(なんでわざわざ指摘せなあかんねん。一生そのまま生きていって、みんなに嫌われろ。)と心の中で思っていた。なにかの愚痴を聞くと(いや、それお前が悪いやんけ)と思っていた。真っ直ぐな人を見ると(うわぁ、すごく真っ直ぐすぎて眩しすぎて自分が醜い…う。)と思っていた。(これを言ったら相手は私から離れてくれるだろう、相手は私を嫌ってくれるだろう)と思ってわざと傷つける言葉を使ってる時があった。

こういう()の部分、自分の本当に思ってることは、性格が悪いと思って出さなかったことがたくさんある。出さないうちに出さなくなって、自分です気付かなくなっていたのかもしれない。気づかないふりをしたかったのかもしれない。

私の思ってることは性格が悪い、人を壊してしまう、人を傷つけてしまう

人と仲良くできなくなる
周りに人がいなくなる

優しい自分でいないとダメだ
自分の思ってることは言ったらダメだ

という構図を作っていた。

「あなたは優しいね」と言われるたびに

「あなたは優しいね」と言われるたびに、すごく違和感だった。素直に喜べない自分がいた。なぜか、それがずっと分からなかった。モヤッていた。でも、それは「自分が一番優しくないことを知っていた」からだった。

私は優しくない、ただ思ってることを言わないだけだから。

自分でも気づいてなかったし、気づかないふりをしていたけど、多分私は「いや、人は本当のことなんて求めてないやん。私は自分を出してないから。だから、私に"優しいね"なんて言えるんだよ。私の本性みたら離れていくでしょ」と思っていたんだと思う。自分ですら気づかなかった。

自分でも気づかなかったから、気づきたくなかったから。だから私は苦しかった。本当の自分をずっーーーーーーーーと否定していたから、だから苦しかった。

それが自分でも見えてなくて、なんで苦しいかも分からなかった。

私がずっと寂しさを抱えていたのは、自分を勝手に出さなかったからだ。

性格が悪いって悪いこと?

性格が悪いことは、悪いことじゃない。

というより、良いも悪いもない。ただ、それが自分なだけで、自分の一部を悪と捉え否定していたら、自分を否定してることになるよね、って話で。

もしかしたら、【私が性格が悪いと思ってる部分】は性格が悪くないのかもしれない。ただ自分が思ってるだけで。

私は【性格の悪い自分をなかったこと】にしていた。

私の師匠コジコジ

私はコジコジが大好きなのだが、コジコジが言っていた。多分裏とか表とか、自分が思っている以上に隠せない。その人はその人から溢れ出してしまう。

隠せば隠すほど異臭がする。そしてその異臭は他人にとても伝わりやすい。

認めた方がええんちゃうか?

ずっと、【性格が悪いこと】を認めなくなかった。でも、認めてからは何故かすがすがしい気持ちもある。

性格が悪い自分を変えようとするんじゃなくて、性格の悪い自分がいることを認めて、じゃあどうしたらいいかを考えていこうと思う。

性格が悪いことは治せないから。

【性格が悪い】おかげで【人に優しくしよう】と思えるのかもしれない。

性格が悪くなかったら、そんなことは思わないのだから。



性格悪いわたしも、わたしなんだ〜。


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