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言葉なんていらない



言葉なんていらないって思ってた。21歳まで。

「なんで」という言葉をしった。21歳の時に。

国語が一番大事やんと大発見した。21歳の時に。




わたしちゃんはよく考える人だけど、もともとは直感の人だよね」と足をみてもらった時に言われた。(足の特徴は手相と同じように、左足がもともと持ってた性質、右足が変えてきたものだとされるらしい)

「いや、考えだしたのなんて最近ですよ〜」とわたしは言った。

そして、思った。

私はずっと言葉がいらない状態で生かされていたことを。

言葉がいらない環境でぬくぬく育つ


わたしは割りかし、好奇心が強いほうだと思う。見るだけじゃなくて、触れてみたい、体感してみたい、近くで嗅いでみたい、と思う。

逆に、どうなるかを考えるということをしてこなかった。

「あ、おもしろそう、やってみたい」

と思った瞬間には、動いてるような子だった。

そして、私はそれをするにあたって、理由も説明も納得も必要がなかった。「したい」と言ったら、させてくれる親。今思うとすっごく恵まれている。甘やかせている。

「したい」と言ったらやらせてくれた。

ピアノも習字も合唱団もヴァイオリンも英会話も。


「したい」と言ったら応援してくれた。

小学3年性の時に、この女の子には勝てるだろうと思っていた子よりも遅くマラソン大会でビリになった時、それがショックすぎて毎日走るようになった。でも、昼間〜夕方は人がいて嫌、人に見られたくなかった、だから夜走りたかった。夜は危ないからといって、毎晩、お父さんが自転車でついてきてくれた。(翌年無事、メダルを貰えました。パパありがとう。)



わたしは「興味がある。やってみたい」と言ったこと"しか"なかった。そこには理由も説得も納得もない。

それができたのは「やってみな」と言ってくれる両親のおかげである。

それができたのは周りに私を面白がってくれる友達がいたおかげである。


ずっと分からなかった

母に「留学してみたら?」と言われて「え、いいの、いく」と秒で答えたわたし。周りに留学行くんだぁ〜というと「すごいね」と言われた。

小6のときに、コロンブスの劇の主人公コロンブスを立候補して演じた時も「すごいね」と言われた。文化祭でピアノを引いた時も、通知表がオール5の時は父はよく私に「すごいねぇ〜」と言っていた。(そうじゃなくても父は「よく頑張っててすごいね、えらいね」と私に言っていた。)

わたしは人から「すごいね」と言われるたびにハテナだった。

ん?なに、すごいって。私はやりたくてやってる、やってみたいからしている、面白そうだからしようとしてる。すごいってなに?ただやりたいからしてるだけなんだけどなぁ〜なんかよく分からんけど得した気分やなぁ〜

となっていた。

留学に関しては、行く私よりも、お金を出してくれる親の方がすごくない(?)褒めるなら私じゃなくて親じゃない(?)と思っていたのかも。

〜中学生までは、"おもろそうだからやる"で生きてた私にとって、(すごいね)と言われる意味がわからなかった。なにそれって感じ。

でも、今思うと、「自分のやりたいことをできる」環境にいたっての、それぐらいありがたくてすごいことなんだと思う。


言葉がいるかもしれない

詳しくはこちらで書いたのだが、

"してみたい"が初めて通用しなかった。

びっくりした。

その時に初めて、みんなきっと当たり前にわかっていただろう「言葉がないと人とコミュニケーションとれないんだ」ってことをしった。知らなかった、ほんとうに。

(みんななんで早く「国語が一番大事やで」って言ってくれへんかったん、、、。)


言葉があると気づいてから

「なんで」という言葉を使い出した

好きな言葉を写経するようになった

本を読むということをしだした(活字アレルギーが治った)

自分の思いを言葉にしてみることを始めた


活字アレルギーで20歳まででほぼ本を読んだことがない私が、言葉を知って、いつのまにか「え、言葉ってこんなに楽しいもんだったの?知らなかった」と思うようになっていた。いまは「もっと、言葉でうまく遊びたいな」と思う。

面白いものに出会った時に「もっと早くに出会いたかった」と思うことってあるだろうけど、そんな感じ。でもその面白いものは、ずっとそこにあって、自分がただ気づかなかっただけなんだよね。その時の自分のアンテナに引っかかったから出会った。対象物は存在するけど、アンテナがなければ私の世界では存在しないから。



言葉がいらない世界で生きれたことが、なんて恵まれててありがたかったことか、最近気づいた。

そんな話

読んでくれてありがとうね〜。



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