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過去が消えてしまう


ふと「過去が消えてしまうこと」がもったいないと思った。

過去が消えてしまうというか、私の中の過去の記憶がごちゃごちゃになっていく感じがして。半年前の自分も、2週間前の自分も、自分が自分じゃない気がして。じゃあそのときの自分の思いや考えが、消えてしまうなと感じて。

今の自分の思いや考えや変化を記録していくことは、自分のためにも、もしかしたら誰かのためにも、いいのかもしれない。もしかしたら未来の私や、今のあなたのヒントになるかもしれない。

そう思うと何かを書きたいなという気持ちになった。


自分の声が聴ける


数日前に、人との会話を録音した。そして再度聞いてみたけど、自分の声が聞けたのが驚きだった。ずっと自分の声が聞けなかった。たとえ自分の声を録音したとしても、なぜだかいつも聞けなかった。でも今は聞けるようになっていた。

なぜだろう。なぜ自分の声を聞けるようになっていたんだろう?

それはきっと、「痛々しい」のがなくなったから。

自分の声が聞けない時よりも自分の声に対して、「違和感がなく」「ズレがなく」「自分を隠してない」から。(もちろん、それがゼロになったわけではないけれど、聞けるぐらいまで変化した)

自分の声が嫌いで聞けなかった時。自分が無理をして、自分を隠していたから、声から痛々しいのが伝わって、その痛々しい自分が直視できないぐらい、痛々しいものだったのかなと思う。

じゃあ、どうして、その痛々しいがなくなったんだろう

ポンコツを認め。「ちゃんとしなきゃ」に気づく。

自分を下げるわけじゃなくて、私は、ポンコツだ。

電車は乗り過ごすことも多いし。初めてのところだと、10分で到着できるところも30分かかってしまうことは、日常茶飯事だ。(地図を見ながらでも)

居酒屋バイトで数杯のビールをぶちまけたことがあるし。家を出ないといけない時間に大体出発できないほど時間感覚がおかしい。“遅刻したらいけない”と思うと、約束した相手に出会うまで緊張がとけない。

人間であり続けるために、ポンコツな自分が許せなかったんだろう。私はずっと「ちゃんとしないと」と思って生きてきた。

「ちゃんとしないと」ってのは初めはよくても、だんだんとメッキが剥がれていく。はじめに自分で作った高い期待値を維持し続けるために、私はエネルギーをたくさん使う。だからいつも生きるのにいっぱいいっぱいだったのかもしれない。メッキが剥がれポンコツが見えてしまって、幻滅されたこともあっただろう。

仲良くなった人に「そんなに子供ぽかったっけ?」と言われた記憶もある。ポンコツがバレてしまったから相手が離れていったのかなと思って、よりポンコツを隠すようになった。

問題は、「ポンコツ」なことじゃなくて、「ポンコツを隠すこと」にある。

私は、ずっーーと、なんで、みんなみたいに生きられへんねんやろ?となってたし、みんなみたいに生きられないことがバレないようにすごく頑張ってる感じがずっとあった。

頑張ってる自分を見せちゃうとみんなが引いちゃうじゃないかな?って思うぐらい自分の中では頑張ってた。

でも、私は頑張ってないですよってのを頑張ってた。それが自分の首を絞めた。

お菓子を人に渡す時は、自分が納得のいく美味しいものができるまで何度も何度も作り続けたし。マラソン大会で上位を取るために毎日走り続けた。

そして、「私は何も頑張ってませんよ」を装った。

なぜなら、
人間に馴染みたかったから。

なぜなら、
人間と仲良くなりたかったから。

私はすごく頑張ってようやく人間と仲良くなれるのに、みんなは頑張らなくても仲良くなってるように見えた。

頑張ってる私はおかしくて、だから頑張ってる自分を隠さないといけないと思った。

みんなの感覚が知りたくて、でもどう感じてるかって私以外のものは分からなくて。みんなの、人間の感覚を知りたかった。そしたら人間と仲良くできるのにって思っていたんだろう。

本当に、最近まで、自分が"結構できる人"って思い込みたくて思い込んでた。だから、頑張って生きてたことを忘れていたし、むしろ頑張って生きてきたことを認めてしまうと自分自身が崩れてなくなってしまうような気がしていた。

ずっと人間に憧れがあった。

私はせっかく頑張って人間してきたのに、自分のダメなところ見ると、人間じゃなくなるって思ってたのかも。

私は、妖怪じゃないけど、「早く人間になりたい」ってことを思ってた。ことを思い出した。

人間に頑張って擬態して生きてきたけど、私は頑張ってたんだと思った。今日は「あー私頑張って生きてることを忘れてたぐらい、頑張って生きてたんだな。」と分かって泣いた。





最近、自分が「ポンコツかもしれないなぁ〜」と思って、「確かにそうかもしれないなぁ〜」とぷかぷかさせていた。

そのポンコツな自分を相手に出してやろう!ってするんじゃなくて、ただただ「あーポンコツな自分もいるし、それが自分だな」と認めることを最近してるような気がする。

自分の中のポンコツがずっと「ある」のに「ない」にしていたのをやめた。ポンコツが「ある」のを「ある」にした。

だから、(冒頭に戻るけど)自分の声が聞けるようになった。それに自分が自分に近づく感覚も増した。

本当の自分を隠してたら、傷つくことはないだろうけど、人と深く繋がれる感覚もないのかなぁ〜。なんて思ったりしたヨ。



おまけ (写真の意味)

父との会話

この写真は。2022.03月ごろに私の強みを聞いた時に、父が答えてくれたことだ。「ちゃんとできないけど、ちゃんと生きないといけない」ってことを的を得てると思った。

【夏休みの宿題を最終日に仕上げる事。計画的に夏休みの宿題をしない事。】




最後まで、みてくれてありがとう〜

何か気づいたり思ったことがあったら教えてねぇえ

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