<*最終話*>60歳の私が少女だった頃の彼は、人生から、いなくならなかった。

「平成」から「令和」へ、そして彼から再び連絡が来た!

実家を処分し、数年ぶりに自分の場所に戻った。時代は「令和」となった。

ずっと目まぐるしいことが続た生活が、少し落ち着きだした頃、中学の同級生の友達を通じて、彼から突然、連絡が来た。

いったい何があったの~ 何故、連絡が来たのだろう~ 

SNSで繋がって、事情が分かった。

ちょっと前に、私の実家の前を車で通ったら、「更地になっててビックリした!」というのだ。それで気になって、連絡をくれたのだった。私の実家があった場所は、奥まっていないので、車だと必ず通る道沿いにあった。彼の実家には、今もお母さんが住んでいるから、地元に行くことがあるのだろう。

電話では、話さなかったけれど、SNSで彼と繋がった。「今どこに住んでいるのか」とか、「母親は何歳になった」とか、「親の介護はあるのか、ないのか」とか、そんなやり取りをした。

実家で母と同居生活をしていた3年の間も、この道を「彼は、車で通ることがあったのかもしれない」と思うと、不思議な気持ちになった。

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再会~「母親」のような気持ち

それからしばらくして、ライブをやるから、来ないかと誘いの連絡をくれた。二十歳の時、私から離れて選んだ道を、彼は挫けることなく続けていた。

ライブの当日、中学の時の友達と待ち合わせをして、会場へ向かった。彼女とも会うのは久しぶりだった。懐かしい話が沢山できた。

彼が、音楽をやっている姿を観るのは、何年ぶりだろう。

藻掻きながらも必死に、私にはよくわからない世界で、人生を築いてきたんだな~とステージの彼の姿を観ながら、自分の人生の時間を、私は重ねた。

久しぶりに観た彼の姿に、「よくここまで頑張ったね~」と「母親」のように、声を掛けてあげたくなった。

この日、殆ど、彼とは話をしなかったけれど、ライブ終了後、友達も一緒にみんなで写真を撮った。写真は、後日LINEで送られてきた。

私は、彼にお願いをした

その後も、SNSを使って会話をした。

そして、地元に行くことがあったら、私の実家があった場所に、どんなお家が建ったのか、ちょっと気になるので、写真を撮ってきて欲しいと、お願いをした。彼は、快く引き受けてくれた。

後日、写真がLINEで送られてきた。50年、自分の実家があった場所には、スタイリッシュな素敵なお家が建っていた。その写真を、私は娘たちともシェアした。

高校時代、私の家の「玄関」の前で、彼とよく喋っていた。いつまでも喋っていると、「家の中に入って話せ!」と父が出てくることもよくあった。その「玄関」があった場所と同じ位置に、新しいお家の「玄関」もあった。

「親と自分の人生とどっちが大事なんだ」と彼から言われたのも、確か、うちの「玄関」で喋っていた時だったと思う。

この場所に再び、新しい家族が住んで、生活を送りながら人生が紡がれていくのだ~

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還暦を迎えても、彼とまだ繋がっている「人生の不思議さ」が、私は好きだ。

「人生」と「生活」は違う。

私は、彼と一緒に暮らしたことがない。だから彼が、自分の脱いだ服を、脱ぎっぱなしにせず、ちゃんと洗濯機に入れられるのかどうかを知らない。部屋の掃除をちゃんとする人なのかどうかも、私は知らない。

逆に私が、子ども達のお弁当作りから一日が始まり、洗濯機を毎日、2回は回していたこと事や、どんな食事を作ってきたかを、彼は知らない。

つまり、彼との「関係性の舞台」は、「生活」ではなく、「人生」なのだ。

苦い思い出も、思い通りにならなかった出来事も、自分の「人生のヒダ」を増やしてくれる。そして、巡ってきた時間が、それらの出来事に、若い時とは違う「意味」をもたらしてくれる。机上の理論通りでは無い「矛盾」だらけの、そんな人生が、私は好きだ。

彼の名誉のため、ここには書かなかった若い頃に言われた、「いじわるな彼の言葉」も、ドラマチックな人生の一コマだ。

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60歳の私が、「少女」だったように、彼もまた「少年」だった

この年齢まで生きてきて、学生時代の友人と会ったりした時に、誰に対しても感じるのは、「その人の本質は、歳月が経っても変わらない。」ということだ。

彼のライブに一緒に行った友達も、久しぶりに会って話をすると「やっぱり彼女なんだな~」と思った。「彼女の良さ」は、生きてきたから出来上がったものでは無く、もともと中学生のときから、「彼女の中にあったもの」だ。(そんな彼女を、私は、むかしから尊敬している。)

確かに、人生経験や社会経験を積むことで、人は成長するようにできているけれど、「本質」は、そんなに変わらない。だからこそ、人は自分の「本質」を守るために、「葛藤」するのだ~。

私も、大人になってから今まで、「生きていくための社会的スキル」みたいなものは、学んできたけれど、本質的な部分は、「少女の頃」と変わらないのかもしれない。

そして、「少年だった彼」に、私が確信した「純粋さ」は、彼の中で今どうしているのだろうか。

その「純粋さ」は、一つの道をずっとここまで歩んできた彼のどこかに、「今も存在している」はず…と、私は、信じているのだけれど。

とにかく60歳の今!確実に言えるのは、高校生のような「体力」は、お互いにもう無い!!ということだ。そんな今、高校生の時みたいに、思ったままの言葉で、いつまでも「対話」をすることは、どうなんだろ…できるのかな~。「体力」だけではなく、「本質」の部分でも~。

60歳の私が、少女だった頃の彼は、私の「人生」から、これからも、いなくならない。(おしまい)

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*最後まで、お読み頂き、ありがとうございました。このシリーズは、これで終りです* 

*<Special thanks> jakokoさんの可愛くて、素敵なイラストを、毎回使わせて頂き、本当にありがとうございました。


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