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「私のピアノライフ」を支えている「3つのこと」


「ピアノレッスン」とは、ピアノを「弾く」だけでは無かった、私の「子ども時代」


自分のピアノレッスンの「一番古い記憶」をたどってみても、ピアノを弾く時間が終ると、毎回レッスンでは、必ず「3つのこと」をやらされた。

それは、「聴音」・「ソルフェージュ」・「音の書き取り」

子ども時代、ピアノの「お稽古バック」には、「五線紙ノート」と「筆記用具」が「ピアノ楽譜」と一緒に、必ず入っていた。

私の前にレッスンに来ていた同じ歳ぐらいの生徒さんがいる時は、ピアノを弾く前に、一緒にテーブルに座って、この「3つのこと」をやるときもあった。

中学生になってからは、「書き取り」は、やらなくなったけれど、「和音の聴音」と「ソルフェージュ」はやっていたと思う。

「ピアノを弾くだけのレッスン」は、おそらく、高校生になってからだったと記憶している。

多分、幼稚園から小学校低学年の頃、使っていたノート。
実家を片付けた時に、見つけた。


【聴音】

先生が、ピアノで弾いた「音」を、「階名」(ド・レ・ミ)で「音程」を取って歌うこと。

「メロディー」の場合もあるし、「和音」の場合もある。

先生が、必ず「ハ長調」の音階を1回弾いてから、聴音を始める。私は「絶対音感」は無いので、「音」を貰わないと、「音」は取れない。

中学生の頃は、一度に「4つの音」の「和音」を聞き取れるようになっていた。例えば、「レ・ファ・ラ・シ~」とか。
必ずしも、綺麗な和音でない場合もあったし、「黒鍵」の音が含まれる場合もあった。

【音の書き取り】

先生がピアノで弾いた「メロディー」を五線紙に、「音符」で描くこと。

最初、五線紙に、「ト音記号」を書いて、先生が「四分の四拍子よ、まず四小節ね」とおっしゃると、私は、ト音記号の右横にC(四分の四拍子の意味)を書いて、五線紙の一段を縦線で、四等分にする。

この時も、必ず先生が「ハ長調」の音階を1回弾いてから、ピアノで短い曲を弾く。最初は、2小節ぐらいに分けて、最後に一曲通して、先生の弾くピアノを聴きながら、五線に「音符」というよりも、まず「/線」で、音の高さだけ記入し、後からリズム譜にして「譜面」を仕上げていた。

多分、小学校4年生ぐらいの時に書いた楽譜?? かなぁ。
音符の向きが、何だか逆になっている。
「やる気がなさそうな楽譜だな~」
今みると、何だか恥ずかしい!!
先生に、大変申し訳に気持ちになります。

【ソルフェージュ】

短い曲を「譜面」を見ながら、先生のピアノに合わせて階名(ド・レ・ミ)で歌うこと。

「ソルフェージュ」が出来なければ、「聴音」でメロディーを「正しい音程」で歌うことは出来ないし、音を書きとる場合でも、メロディ―を聴いた時に、「階名」に変換できない訳だから、この「3つのこと」は、連動している。

小学校2年生から習った先生が、短大を卒業するまで、一番長く通った先生だった。この先生になってからは、「子どものためのソルフェージュ」(音楽の友社)という本を使っていた。
ピアノのレッスンの時は、この本も必ず「お稽古バック」に入れていた。

汚いピンクは、私が使っていたもので、オレンジは娘が使っていた。
私の時代は、この本の値段は、200円だったけれど、娘の時代は、750円になっていた。
中はこんな感じで、8小節の短い曲。☆印は、やったという印。
練習して行かないと、ちゃんと歌えなくて
「もう一度やってらっしゃい」と言われることもあった。
今なら、初見で大丈夫!
いかにも、子どもが書いた楽譜。
音符がまさに「オタマジャクシ」!

「こんど うたいます」と書いてあるから、
きっと、この「楽譜」をソルフェージュで使ったのだろう。

「子どものためのソルフェージュ」の後、「コールブーユンゲン」もレッスンで使った。多分、中学生以降だと思う。
あくまでも、「ピアノ教育」の一環として「ソルフェージュ」をやっていたから、「声楽の発声練習」をしたわけでは無かった。

「コールブーユンゲン」は、「音」が跳んでいて、「音程」を取るのが難しい。こんな曲、絶対に無いような~と思うような曲ばかりだ。

しかし、

(余談ですが) 

以前「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」というミュージカルを観た時、そこで歌われている歌が、まるで、「コールブーユンゲン」に出てくるような曲、つまり「音程」がメチャクチャ跳ぶ「歌」が歌われていた。それまで「絶対に、こんな曲は無いよな~」と思っていたことを、この舞台を観て、覆された。

幼児教育学科の学生時代、「声楽」の授業でも使った。
4分の9拍子の曲なんて、実際にあるのかな~??


学生時代のこと

私は幼児教育学科の学生だった時、「音楽理論」という科目があった。

「楽典」の基礎的な事をそこで学んだ。

今思うと、自分に「ピアノレッスン」で培われた「ピアノを弾く以外のスキル」があったおかげで、「音楽理論」の授業に必要な理解力を、私は持っていた。

「楽典」をやるなんて、この先無い!と思うけれど、
一生懸命、取ったノートは捨てられなかった。
ノートの中はこんな感じ

音楽理論を理解するのに、ピアノ鍵盤の「音の序列の感覚」が分かっていないと、「言葉だけで理解する」って、なかなか困難だ~。

ノートに書かれていた、ヘ長調の「きらきら星」
子どもの頃に比べたら、けっこうちゃんと書いている。
音符の向きは、ちゃんとそろっているぞ!
でも、そんなに丁寧ではない~

二十歳の頃(1980年)、学校のシスターが、調布にある「サレジオ神学院」に私を連れて行った。(私はミッションスクールの学生だった)

そこでイタリア人の(故)クレバコーレ神父を紹介された。
当時、クレバコーレ神父は、戦前から来日し、1965年に日本で亡くなったチマッチ神父の「資料整理」をされていた。
チマッチ神父は、「オペレッタ曲」や「ピアノ曲」など、多くの作品を残している。

私は、チマッチ神父が書いた、ピアノ曲の「原譜のコピー」を受け取り、「清書する仕事」をボランティアですることになった。

同じ仕事をされているシスターが書かれた「清書した譜面」をみたら、大変丁寧で、ものすごく綺麗で、「私の書いた楽譜なんて、つかえるんですか~~」と思った。

(結局は1~2曲ぐらいしか、お手伝いは出来なかったし、実際にお役に立てたのかどうかも、わからない…)

しかしこの時、「私できませんから~無理です!」と思わなかったのは、「楽譜を書くという経験」を「文字を書くこと」と同じように、子どもの時から、やっていたからかもしれない。

パソコン・スマホ時代になり、字を紙に書く機会が減り、みんな「字が書けなくなった」というようになった。私は、この40年間「楽譜を書く」機会が殆ど無く、今は、ほぼ書けないと思う~。

「ピアノを弾く」って、一度にいろんなことをやっている。

自分がピアノで弾いた「音」が、正しいかどうかは、「鍵盤」をみて確認しているわけではない。多分、耳で「音」を聴いて、確認しているはずだ。
あまり意識した事は無いけれど、鍵盤でイチイチ確認していたら、めんどくさいよね~。

難しい曲を弾くようになって、「4つの音の和音」が曲の中に出てきたりして、自分の「ミス」に気が付けるのは、「聴音」の訓練の成果だと感じる。

おそらく、ピアノコンクールの審査員をやっているような方々は、普通に聴いたら「分からないようなミスタッチ」を聴き取れる「耳」を持ってるはずだ。

それは、要するに「聴音」の力だ。

私は、子ども時代、3回の引っ越しを経験した。
そのため、3回、ピアノの先生が変わった。
だけれど、3人のどの先生のピアノレッスンにも、この「3つのこと」が、必ず含まれていた。

だから、「子どものピアノレッスン」とは、この「3つのこと」が含まれているものだと、私は思っている。

私自身は、音大でピアノを学んだこともないし、ピアノ教師を仕事としてやった経験も無いので「専門家」では無い。

様々な「ピアノ教室」があり「メソード」があり、多種多様なやり方はあるけれど、私は自分の経験から、この「3つのこと」が含まれているのが、「子どものためのピアノレッスン」だと、思っている。

幼い時から、身に着けるべき「感覚」は、大人に成ってからでは難しい。
だから、幼児教育の中に「リトミック」が含まれたのは、必然な気がする。

子どもにとって、ピアノのお稽古は、「苦痛」でしかない事もよくわかる。
でも、毎日「歯磨き」をするように、淡々とこなしていけば、知らない間に身についている。(時々、さぼっても大丈夫!)

記憶もあやふやな幼い時から、お世話になったピアノの先生方が、私に与えてくれたこの「スキル」があるからこそ、還暦を過ぎた今でも、ピアノを「学ぶこと」を楽しみ、人生を豊かにしてくれている事に、心から感謝している。


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