「株主総会」に初めて参加して、「愛」を感じた「ファザコンな私」~そして、「虎屋の最中」
この前、初めて「株主総会」というものに行ってみた。
何故なら、私は、「株主」だから〜
父がず〜っと勤めていた会社の「株」を、少しばかり持っている。
「株」を購入した途端、コロナ禍となり、
「株価」は、一気に下がった。
さらに、「株主総会」が、通常通りには、行われなくなってしまった。
本社ビルの「会議室」で開催され、注意書きに「参加は、なるべくご遠慮下さい。」と書かれていたりすると、「やっぱりやめるか〜」と思って行かなかった。
そして、昨年あたりから、「通常通り」に開催されるようになり、「社会科見学」のつもりで、一度は、行こうと決めていた。
昨今、「投資ブーム」だけれど、それとはまったく関係なく、
私が「株」を購入した理由は、2つある。
ひとつ目の理由は~
むかし「父」は、自分が勤務していたこの会社の「株」を、結構、持っていた。しかし、事情があって、その「株」を手放してしまった。
母は、この事をず~っと
「あの時、株は売らないで!って、私は言ったのに、売っちゃったのよ~」
と事あるごとに、私にボヤくのだ。
それが煩わしかった。
だから、母を納得させるため、自宅を処分した後、
僅かばかりの「株」を購入したのだ。
昔と違い、「株券」というものが存在せず、母に、「株」を購入した「証」を見せることが、出来なかったけれど、しばらくして、「株主」宛てに、会社からの「年次報告書」が、封書で送られてきた。
「ホラね!」と、母にその封筒を見せてると、「会社のロゴ」をみて、懐かしそうだった。
二つ目の理由は~亡き父に対する「弔い」のなのかもしれない。
だから、この日、
「行ってくるね~!」って、
父の「俗名の位牌」に、「お線香」と「お水」をあげて、出かけた。
「父」は、この会社に、「戦前・戦後」と、40年間勤務した。
我が家の「ファミリーヒストリー」には、絶対に外せない会社だ。
この「会社」に、私たち「家族」は支えられ、ここまで「生活」をして来たのは、確かだ。
「ファザコン娘」の私には、
この会社の存在「そのもの」が、
父の存在「そのもの」に感じる。
そんな「会社」と、どこかで「繋がっていたい」という思いが、私にあった。
それが、「株」を購入した「二つ目の理由」だ。
だから、初めての「株主総会」は、
子どもの頃から、慣れ親しんだ「会社のロゴ」が、
至るところに、分かりやすく表示されていて、
ドキドキしながらも、
どこか、「実家」に帰るような、
「父」がいるような、
そんな「気持ち」にもなった。
変かもしれないけれど…
「発言者」の言葉に「愛」を感じる
「発言」が、ひとり「1回」許された。
どんな人が、どんな「質問」するのだろう~
すると、何人かの方が、挙手された。
実によく、勉強されているというか…
この企業が開発している「ジェットエンジン」の事とか、
専門的な事を、詳しく知っている。
こんなふうに、現在、行われている「開発事業」について「発言」するのは、どちらかというと「若い」方だ。
だんだん「発言者の年齢」が、上がってきて、
発言の「内容」が、感情的?感傷的?な感じになってきた。
実は、今年4月に、「子会社」が行った、不適切行為が発覚し、ニュースになった。
そのため、今回の「株主総会」の中で、会社の偉い方々が、そろって「頭」を何度か下げ、謝罪された。
このことに対しても、「とんでも無い!」という意見と、それとは相反し「そんなに、頭を下げないでください」的な発言があった。
でも、この「両者の発言」から、共通して感じるのは、この企業に対する「愛」だ。
今日まで、日本の国を「支えてきた企業」の「一つ」である、この「会社」に対する「愛」を、私は感じた。
特に、後者の方は、「土光敏夫さん」の名前まで出してきて、「お土産」が無い事が、寂しいという内容の発言をされたことが、なんとも愉快だった。
「株主総会」の「お土産」は~何!
そういえば~
私は、「株」を購入した当時、
「おじいちゃんの会社の株主総会って、お土産あるのかな~」と言って、
娘に調べてもらった。
すると
「虎屋の最中」貰えるらしいよ~って、返信が来た。
「虎屋の最中」美味しいよね~
でも、今年の「株主総会」の案内に、「お土産はありません」と書かれているのを私は、確認していた。
ここ数年、「お土産はありません」だった。
昨今、どの企業も、この傾向にあるようだ。
来年は、どうなるかな~
私は、「投資家」ではない。
ハッキリ言って、「株価」より、来年の「株主総会」の「お土産」の方が気になっている(笑)
父は現役時代、ずっと「大手町のビル」に勤めていた。
そこは「三菱地所」のビルで、「本社」でありながら「自社ビル」ではなかった。
生前、父が、元気だった頃、
最後に、家族で出かけた「場所」が、
「豊洲」にできた「本社ビル」だった。
もともと「工場」があった「豊洲」に、「自社ビル」を建てた事を知り、父自ら、行きたいと言ったのだ。
私にとって、この「お出かけ」が、父との「最後の思い出」になった。
父が、生きていたら、
「株主総会、おもしろかったよ~」と
絶対、「報告」していたと思う。
いろいろ、話したかったな~
また来年、「お土産」が、無くても
亡き父と一緒に「株主総会」に、参加しよう!
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