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日本の絣

久留米絣の松枝哲也さんがお亡くなりになりました。
まだ64歳。残念です・・・
人間国宝だった おじい様の松枝玉記さんを継ぎ
奥様も現役の久留米絣作家です。
ご子息が久留米絣を継ぐことを決意されたそうです。
 
絣を見ているとなんだかほっとします。
細かい蚊絣や亀甲の精緻な繋がりや
トンボや亀などの身近な生き物や生活感溢れる絣、
モダンな絵絣・・・。
日本の着物だなぁ。と和んでしまいますが
ルーツはインドだとされています。

織物はまず 経糸を揃えて機の準備をします。
緯糸に色の違う二色以上の染め糸を打ち込めば
緯縞模様になります。
経糸を二色以上の染め糸にして
先ほどの緯糸を打ち込めば
今度は経緯の格子縞が織り出されます。
その時に織り糸がきれいに染められたものならば
織り出される縞もきれいですが
マダラに染まった糸であれば(絣糸)
自然と絣柄となってしまうのです。
このように無作為に織り出された絣柄は
古代、染糸を織物に使うようになった頃から
自然発生したと考えられます。

日本の絣は江戸時代に開花しました。
インド、東南アジア、沖縄の絣文化は黒潮に乗ってやって来たのです。
南の島から運ばれてきた美しい島もの(縞もの)や絣には
美しく珍奇な染糸が豊富に使われていたのです。
技法そのものは経絣(経糸だけを絣糸にしたもの)や
緯絣(緯糸だけを絣糸にしたもの)という単純なものであっても
色糸が多彩なために
人々はそれを名物裂などと称して珍重したのです。

日本での絣の発展には木綿の伝播と
藍染めの普及という背景があります。
藍一色で南の島の絣にも負けない、
さらに美しい絣を織り上げるために様々な絣糸が開発されました。
それは 美しい織り柄をを作るための
防染技術の工夫です。
結城ではくくり染め、沖縄では手結絣、そして
板締、木羽定規、織締め、摺込みなどが
各地でそれぞれに考案され
精緻な絣として育て上げられてきたのです。

絣糸の作り方というのは 簡単に分類すると
 ① 防染して染まらない部分を作る(手括り・機締め・板締めなど)
 ② 部分的に染める(捺染・櫛押し・ほぐし絣など)
の2つに分けられます。

@手括り
 重要無形文化財の結城紬や久米島紬、久留米絣などは
 手括りで絣を染めることを指定の条件にしているものが多く
 手間暇のかかる 絣の王道です。
 糸の絣柄部分に印を付けて
 その部分を別の糸で括って染料が浸透しないようにします。
 絹は濡れると膨らみ、植物繊維は濡れると締まる性質があるため
 荒麻(あらそ)で括るのが良いとされています。
 大きな範囲を括る時などにはビニール紐などが
 使われる場合もあります。

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@機締め
 大島紬、薩摩木綿に使われるのが機締めです。
 明治34年に鹿児島で考案された技法で
 織締機、という専用の機で
 緯糸の絣なら 経糸に木綿を使い
 上下の木綿糸で絹の緯糸を挟み込むように織ります。
 織り上がったものを絣筵(かすりむしろ)と呼び
 これをそのまま染めると 経糸の木綿糸が
 防染の役割を果たして絣糸が染まります。

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@板締め
 白鷹お召などに使われる技法です。
 染めたい部分を凹型、染めたくない部分を凹型にした
 二枚の板で糸を挟み、その板ごと染料に漬けます。
 凹型部分に染料が入り込み染まり
 凸型部分には染料が入り込めないので染まりません。

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上記の防染方は多色使いの絣には向きません。
結城でも大島でも多色の場合には刷り込み、という技法があります。
長く張った糸の上下から
染料を付けた竹製(木製もある)の刷り込みヘラで
直接糸に染料を刷り込みます。
上下のヘラが少しでもずれたり 色を間違えたら
絣の柄が狂ってしまいます。
解いてやり直せる手括りよりも緊張する、と
染め手の方は話してました。

@木場定規
 南で起った絣は日本を北上しながら進化したといわれます。
 手で作る絣の最終進化形が 越後上布に見られる 
 小端定規というものを使った絣です。
 これは 反幅のごく薄い板を束にして固定し、
 その側面に図案を描きます。
 固定を外して1枚づつにすると 
 その薄い側面には柄が点となっているので
 それを糸に当てて印をつけて行きます。
 その印の箇所が絣糸を括る位置になる、というわけです。

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 様々な絣、その中には
 きっと貴女に似合うものがあるはずです。
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