発達障害の検査を受けて

ずっと自分は発達障害ではないかと思っていて、他のカウンセラーさんや専門家の方から該当すると言われていたのですが、正式な検査を受けていなかったので今回受けてきました。

ADOS-2の結果は「自閉症スペクトラムの特性は目立たない」の分類に該当。WAIS-Ⅲは多少の得手不得手ありでしたがほぼ平均。

PFスタディでは日常的なフラストレーション場面で常識的な対応が可能という結果でした。

生まれ持った特性がわかるMSPAのチャートでも、14項目5段階評価(高いほど支援が必要)で4が2つあったくらい。

もともと自閉症スペクトラムの特性はあったけど、経験を重ねて特性が目立たない状態にまでなっているようです。

僕自身の経験談から発達障害の特性がどういうものか、発達障害の人がどういうしんどさを抱えているかを少し知っていただけたらと思います。

発達障害(自閉症スペクトラム)の経験談

幼少期から集団適応が苦手で音やにおい等に過敏なところがありました。発達障害の感覚過敏です。

音に関しては赤ちゃんの頃ふすまを閉める音で泣くくらいということでよっぽどだったと思いますが、耐えることはできていたということで感覚過敏の度合いは少し高いくらいの診断結果でした。

最初の集団生活の場だった保育園では、祖父母のご近所さんである男の子とは遊んでいたと言われますが、記憶にはほとんど残っていません。よく名前をフルネームで聞かされたので、名前だけが印象に残っています。

僕の記憶にあるのは保育園に行きたくなくて泣き叫んでいたこと、お昼寝の時間に起きていてカレンダーをめくっていたら先生に叩かれたこと、一人砂場で遊んでいたこと、竹馬や一輪車に乗る子を見てすごいなと思っていたこと。自閉症スペクトラムの集団適応の問題が出ていました。

お迎えに来てくれていた祖父の話では、弟はサッと帰り支度をして出てくるのに、僕はものすごく遅かったらしいです。他の人より何かするのに時間がかかりやすいのは発達障害が影響だったと今はわかります。

保育園の音楽発表会で鍵盤ハーモニカを吹かないといけないときがあったのですが、どうしても上手く吹けないまま本番を迎え、そのままではまずいと思ったのかホースに穴をあけていたそうです。記憶には残っていません。

こういった指先を使うことは非常に苦手で、後のリコーダー、裁縫でものすごくつらい思いをすることにつながっていきます。母親か祖母に蝶々結びを教えてもらったときも、目の前で見せてくれているのになかなかできない、どうするのかイメージできず困ることがありました。リンゴの皮向きもどうやってしているのか全くわかりませんでした。

この辺りは自閉症スペクトラムによる微細協調運動の問題だったようです。

裁縫はまだ誤魔化しがきくところはあったのですが、リコーダーはテストがあったので、ちゃんと吹けるようにならないと許してもらえず、一人だけ夕暮れの教室で先生とマンツーマンで練習していたのが記憶に残っています。

ずっと自分は努力が足りない、根性が足りない、みんなより劣っていると自分を責め、でもどれだけ頑張っても上手くできないもどかしさに苦しみ、涙が止まりませんでした。

今でもありますが、当時はとくに「男は泣くもんじゃない」という考えが強かったので、泣いてしまうことでより怒られる悪循環もありました。田舎だったから余計だったのかもしれません。

体育の授業は地獄でした。

球技、マット運動、鉄棒、跳び箱…どれも上手くできなかったからです。運動以外で歩き方、走り方もおかしかったようで、周りから馬鹿にされる対象になりやすかったのはあります。自閉症スペクトラムによる粗大運動の問題があったようです。

怖い本を見せられて泣くこともあったのですが、これは発達障害の枠で説明できないようなので、HSPに該当するのかもしれません。過敏さがあったという点では自閉症スペクトラムに該当するのですが。

みんなと違う特性があり、しかも劣っているとなればいじめの対象になりやすい。小学校に入学してすぐからいじめに遭っていました。

「男だからやり返せ」と親に言われたこともありますが、早生まれで体が小さかった自分が年上相手に勝てるとは思えず、ただ耐えるという選択をしていました。この頃から嫌なことに耐える習慣がついたように思います。

「お兄ちゃんなんだから」と我慢させられることも多く、全然しっかりしていないのに弟二人の面倒をみなければと無理していたせいもあってか、我慢できず癇癪を起こすような感じになることもありました。

そういったときは、暗い部屋に閉じ込められたり、投げ飛ばされたり、押さえつけられたり、声が出せないように口をふさがれたりしました。これはADHD的な衝動性なのか、それとも、心理的な問題なのかはっきりはしません。

家では母親から馬鹿にされる(母親は冗談のつもり、悪意はない)ことはよくあったのですが、他の人に比べて劣っている自分は馬鹿にされて当然なんだという感覚でした。

親としては他の子と違うわが子にどう接して良いかわからず、でも、みんなと同じようにできないことが心配で、発達障害の子供にとってつらい対応をしてしまうのではと思います。

最近は発達障害への理解は深まっていると感じますが、まだまだ親が認めないままサポートを受けられず、僕と同じように無理やり集団適応させられてつらい思いをしているケースはあると思います。

振り返ってみると適応するために「よく頑張ったな」と思いますが、当時は自分が頑張っているなんて思いもしませんでした。頑張りが足りていないとしか思えなかったからです。

発達障害の検査結果から思うこと

正直診断を受けるのは怖い気持ちがありました。

発達障害の度合いが強くて日常生活、コミュニケーションに支障をきたし続けているのではと思っていたからです。

自閉症スペクトラムの特性はあるけど、特性が目立たないレベルで支障をきたさないという結果で安心しました。

生まれ持った特性である発達障害がなくなることはありません。

ただ、経験を重ねることで日常生活、コミュニケーションに支障をきたさないレベルになれたという事実があります。

検査結果の数値を見たところ、自分が頑張って鍛えようと思ってきたところの数値が高く、自分が考えてやってきた取り組みが脳の機能を強化できることが証明されたのも大きな収穫でした。

僕より発達障害の特性が強い人もいるので「発達障害なら誰でも特性が目立たないところまでなれますよ」とは言えませんが、今回記載したような特性があっても変われるんだと思ってもらえたら嬉しいです。

一人でも僕と同じような苦しみを抱え続ける人を減らしたいという思いがありますので、今後「自閉症スペクトラムの特性が目立たない」状態につながった要素を自分の体験から掘り起こし、情報として提供していければと思っています。

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