覚悟2

今必要なのは「学校に行けない子ども」の居場所である〜適応障害教師のnote4〜


こんにちは、TTです。


僕は今年度、
3月をもって退職します。

そしてそれを決意したのは、
適応障害が原因ではないのです。

適応障害になったことで、
自分と向き合う余裕ができた
という意味では適応障害に
かかったおかげなのかもしれませんが。

そして、「学校に行きたくない」
という子どもの気持ちが、
少しわかったような気がします。


これまで僕は、
学校の教育現場に疑問を感じながら
教壇に立ってきました。

今回は自分が学校の現場にいて、
「学校とは必ずしも
行かなければならないのか」
ということを考えたいと思います。

「不登校」という言葉への疑問

僕は「不登校」という
呼び方が嫌いです。

「学校に行かない」ことが
「悪いことである」という
ニュアンスがあるからです。

僕は学校には
「行かなくてもいい」
と思っています。


学校を否定する
つもりはありません。
(否定する部分もありますが)

ただ、「行きたくない」
「自分には合わない」と
どうしても感じる子どもは
必ずいるのです。

確かに教師の力量でどうにかなる
場合もあるのかもしれません。

それでも
「苦しくても行かなければならない」
「行けない僕は悪いやつだ」と
思うのは間違っています。

「行きたくない」はわがままじゃない

子どもが学校に行けなくなった時、
一番辛い思いをしているのは
間違いなくその子自身です。

「学校なんて嫌だ」
「本当は行きたい」
「行かないといけないのに」
「どうせ僕なんて」

本当に苦しい思いを抱えながら
それまで頑張ってきたのでしょう。

まず、「行きたくない」と
勇気を出して声に出せたことを
大いに褒めてあげてください。

適応障害になって休職を経験し、
少し子どもの気持ちが
想像できるようになりました。

朝起きられない、
お腹が痛い、頭が痛い、
ベッドから出られない、
やる気が出ない、
食欲がない、行きたくない。

これは全て体の正直な
反応なのです。
子どものわがままでは
決してないのです。

子どもは苦しんでいます。
助けを求めています。

例えばそんな中で
「わがまま言ってないで早く起きなさい」
と怒鳴ることで、どれだけ
子どもを追い詰めるでしょうか。



子どもが学校に行かないと困る社会

しかし、今の社会では
学校は行かなければならないと
思われています。

そして、子どもが
学校に行かないと
弊害が起こってしまうのです。


実際に子どもが学校に
行けなくなったら
どうなるのでしょうか?

学校に行けない子どもを
預ける親戚もなく、
子どもは家にいるしかない。

子どもが家にいる以上
親は子どもを心配し、
仕事にも行けなくなります。

職場に理解があればいいけれど、
そうでなければ仕事を変える
必要さえ出てくるかもしれません。

例え理解がある職場だとしても
毎日遅刻したり、欠勤するようでは
親は職場に気を遣って
毎日を過ごすことになります。

物凄く精神的な負担となって
のしかかってくるでしょう。

早く子どもに学校に
行ってもらわないと
仕事もままならない。

子どもが学校に行かないと困る。

これは親の教育方針に関わらず、
のしかかってくる問題なのです。


しかし、これは子どものせいでも
親のせいでもありません。

子どもが学校に行けなくなった時、
安心して過ごせる居場所が必要なのです。

「学校に行けない子ども」の居場所が必要

子どもが学校に行けなくなった時、
安心して過ごせる居場所が必要な理由は
3つあります。

・子どもの回復を促すことができる
・親がストレスを軽減できる
・学校が無理強いをしなくなる

まず、学校に行けず苦しんでいる子には
ゆっくりと休める環境が不可欠です。

苦しい、行きたくないという状況の中で
自己肯定感を失った子どもにとって、
我慢することで「強くなる」などということは
ありえないのです。

我慢させることは状況を
ますます悪化させていくだけです。

やがて子どもが勇気を振り絞って
限界を訴えた時では、
もう取り戻しがつかないのです。

まずは何も考えずに
休める環境が必要不可欠です。


二つ目に、子どもの居場所があれば
親は子どもを預けて仕事に行くことができます。

これだけで親の精神的な負担は
かなり軽減されるでしょう。

例え家に一緒にいられたとしても、
子どもが回復するために
何をしてあげたらいいのかもわからず、
日々悩むことになります。

日中子どもを安心して
預けられる人がいれば、
一緒に方法を考えたり、
子どもの話をじっくり
聞いてもらうこともできます。

一人で悩まずに済むのです。

学校に行けない子の居場所は、
学校にとっても必要だと思います。

いまどき、学校は「行きたくない」と
言っている子を無理やり引きずり出す
ようなことはしません。

しかし、
学校に来られない子を
放っておくことはできません。

現場では
「なんとか学校に来られるようにしてあげないと」
という風に必ず考えているでしょう。

確かにそれは立派なことだし、
子どものためを思った誠意のこもった対応です。

しかし、それが子どもも親も
苦しめる結果になっていることは
ないのでしょうか?

学校に「行かない」という選択を子どもがして
学校以外に居場所があるのならば、
学校もそこに安心して預けられる
のではないでしょうか。

学校以外の選択ができても
いいのではないでしょうか。

学校に行けない子にとっての居場所があることで、
救われる環境はたくさんあるのです。



学校は行かなければならないのか?

冒頭でも言いましたが、
僕は学校には行かなくてもいいと思っています。

しかし、
学校に通うと一定の教育を受ける機会が保障され、
集団行動を学べたり、様々な体験ができたりと、
良いところはたくさんあります。

僕が言いたいのは、
「学校以外の選択肢があってもいいのではないか」
ということです。

集団行動が苦手ならば一人で黙々と学べる場所、
勉強がつまらないと感じるならば
自分の好きなことが徹底的に学べる場所、
好きなスポーツが目一杯したいなら
トレーニングに明け暮れられる場所。

全てを子どものやりたいようにさせるというのが
必ずしも良いとは思いません。

しかし、子ども自身が考え選択し、
自分の力を高めていける場所が
あってもいいのではないでしょうか。

今の学校の教育では、
みんなが同じことを学んでいきます。

しかし、社会に出て必要なのは
自分の強みを生かすことです。

子どもの将来のためにも、
小さいうちから好きなことにのめり込める
場所が必要なのです。



「行けない」を「行かない」へ

「学校に行けない」というのは、
子どもにとって受け身の表現です。

「行かなければならない」という
社会的な圧力に対して
行かなければならないのに
「行けない」と苦しんでいるわけです。

しかし、「行かない」とは
自分で決めたことです。

自分で選ぶことができるというのは
精神的な負担が全く違います。

そもそも今の教育では、
学校は「行かなければならない」と
思われがちです。

それは単なる強制です。

「行かない」という選択肢を
選択できる環境を整えることが、
これから先必要なのです。


まとめ

・「行かない」ことは悪いことじゃない

・居場所で子どもも親も学校も救われる

・学校以外の選択肢を当たり前に