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自由な言論を確保するには人格と意見を分けて考えることが必要だ

小室直樹は『危機の構造』で新聞の役割に関連して「人格と意見の未分化」について言及しています。日本人は人格と意見を分離して考えられない思考様式を持っているという指摘です。

ビジネスにおいて何かを振り返って評価するとき、人や組織などの主体に着目するのではなく、その言葉や行動に着目する方が、よりよい教訓が得られます。先人たちがあちこちで繰り返している教えで、私自身の経験からも実感しています。

小室の指摘は、この思考様式が言論の自由を危うくするというものです。ビジネスでのノウハウにとどまらず言論の自由を危うくするとなると、ことは重大です。小室がこう主張する理由は次のとおりです。

  1. 日本人特有の「情緒倫理」に逆らうような主張はそれだけで悪とされる。

  2. その非難が、その主張をなす人の人格にまで及ぶ。

  3. このような主張をすることが不可能になる。

  4. このような避難による評価が規範性を獲得する。

  5. この規範が社会的事実として個人を外面から拘束するだけでなく、内面においても自発的に自己規制がなされる。

  6. この評価と規制の基準は情緒に基づくため、客観的な歯止めが存在する可能性はなく、この自己規制は際限のないものとなる。

  7. このようにして自由な言論の可能性は消滅する。

「自己規制」という点が重要です。歴史を振り返っても、色々と思い当たることがあります。

自由な言論を確保するために、差し当たり次の姿勢を提唱したいと思います。

  • 「何を言ったか」「何をしたか」に着目する。「誰が」に着目しない。

  • 反射的に反応しない。言わせるだけは言わせてみて、その後に落ち着いて討論する。

小室直樹『危機の構造』(ダイヤモンド社、新装版、Kindle版、2022年)

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