青の彷徨 前編 3

  周吾は別の話を思い出した。京町薬品大幹部の武勇伝である。       
  今、会長になっている長村昭氏が現役の社長時代のことだ。長村社長は、話がうまく、誰でもすぐ楽しくさせる天才であったが、長く飲んでいると、悪い酒癖を持っていて、もうこれから先は危ない、と部下が判断したら、社長、時間です、と強引にお開きにするのだ。部下から、時間です、と言われると、正しく理解し、うまい具合に話をまとめて切上げられる。この判断能力のある段階で、時間です、を部下が教えなければいけない。この時間を過ぎれば悲惨なことになる。
  その事件は、社内トップクラスの重要な得意先の、院長ご夫婦を接待した時に起きた。社長自ら出向くのであるから、大変重要なお得意先である。同行したのは担当者、担当課長、支店長の三人で、時間です、という係りは当然、支店長の役割となるはずで、担当課長も担当者も、長村社長に、時間です、が必要であることも知らなかったのだから、結果としては、どうにもならなかった。重大な役割を担ったのは、全く酒が飲めない五味支店長であったので、これは最適として、長村社長も安心したのである。しかし相手が悪かった。長村社長以上に、院長の奥さんの酒癖が悪かった。五味支店長が全く飲めない、というと、ビール一杯くらいは絶対に飲める。私のお酌を受けないのなら、もう京町薬品さんとは付合わない、と高飛車で強要してきたので、五味支店長はとうとう、ビール一杯だけ飲んだ。五味支店長は、ビール一杯で、アレルギーが出るのではなく、気分が悪くなる訳でもない。眠くなってしまう。五味支店長にとって、アルコールは即効性のある睡眠剤であった。得意先を社長同行で接待しているのに、眠ってはいけない、と、我慢を重ねれば重ねるほど眠くなって、ついに二次会で眠ってしまった。営業課長も、担当者も、社長に時間です、という仕事があることも知らず、また知っていても、そのタイミングも知らず、社長のペースに、合わせるしかない。アルコールが入れば楽しくなる長村社長。接待の場はどんどん盛り上り、院長ご夫婦も大笑いをして喜んだ。だが、長村社長にとうとう悪癖が出た。上着をぬぐ。ネクタイを外す。ワイシャツも肌着も脱ぎ、上半身裸になってまだまだ楽しくなった。ついに、ズボンも脱ぎ、なんとパンツも脱いで、部下の、部下たちの静止も無視して、その脱いだパンツを奥様めがけて投げつけたのだ。ボクシングの試合で、セコンドからタオルがリングに投げ入れられると試合は終る。社長が脱いだパンツを投げたら取引は終る。院長夫婦が怒り心頭で帰っていったのはいうに及ばす。翌日から、京町薬品への発注は完全に止まった。支店長、課長、担当者が頭を下げて詫びにいったが、どうにもならない。社長が起こした不始末だから。社長がお詫びに行っても、会ってもらえず。ついに、当時県の商工会議所の会頭をしていた増吉会長が、長村社長を連れてお詫びに行き、取引を再開させることができた。それ以降、長村社長は必ず一次会で帰るか、十時過ぎたら帰る、ことになった。
  まだ面白い話がある。長村社長が営業員時代、どうしても支払いをしてくれない得意先があった。販売額が増えるのは、販社としての卸にはありがたい。しかし回収が伴ってこその販売でなければ、何のために販売するのか意味を成さない。開業したての頃、資金売りが逼迫していると、医薬品の売掛を残して、銀行からの借り入れ代わりにすることは、よく見られた。債権の回収月数が半年以上、あるいは一年近くなる先もあった。悪質でなければ相談に応じられもするが、悪意で支払いを延ばす得意先もあったのは事実だ。そんな得意先に月末回収に行った長村営業員は、病院につくや、受け付けで、診療中の院長に聞こえるように、わざと大きい声で、
  「京町薬品の長村です。毎度お引き立ていただきましてありがとうございます。きょうは、お約束いただいた、お支払いをいただきにあがりました。今月のご請求金額は、一千八百七十七万・・・」
  と、院内に響き渡るようにいった。毎回これをやられたら困ると、院長は思ったか、その後回収は問題なくできるようになったという。
  藤村氏が始めて営業員となった時の上司が、長村営業課長だった。藤村氏は幼い頃父親を事故で亡くし、母親に育てられた。五人兄弟の長男で、京町薬品に入社した頃は、母親も亡くなっており、下の妹三人、弟一人の生活も支えていた。だから、と言うのでもないが、藤村は酒の席でも決して酔うことはない。最後までしっかり覚えて、まっすぐ歩いて帰れた。つい長村に重宝された。ある時、長村と藤村が得意先との飲食を終えて帰ろうとしていたら、藤原人事課長と出くわし、三人で飲んだ。酩酊した二人を藤村は送って行く。どうしてそういう送る順序になったか不明だが、一番遠い藤原課長を長村と藤村でタクシーに乗せて行く。市内はずれの山裾にあるお寺の前の道で、タクシーを降りる。藤原だけ降ろして行けばいいものの、酩酊状態だったのと、上司二人に逆らえない事情もあったか、三人そろって降りた。藤原はお寺の息子で和尚を継ぐ身である。お寺の息子はお寺を後ろに水田に向けて、不浄を払う、といって小便を始めた。それに二人も習った。社歌を歌いながらである。市内の外れで、静かで物音しない。寝静まった家々には迷惑な合唱だったに違いない。お寺には山門を潜り坂道を登って行く。無事小便がすんだ三人は山門に向かう。道路からお寺に入る間に、幅一メートル深さ五十センチほどの用水路があって、一メートルもない幅の石橋が架かっている。この石橋を、長村と藤原が、肩を組んで渡ろうとしてバランスを失った。長村を藤原が押し倒すように、もしくは藤原が長村を引っ張るようにか、どっちにしても二人仲良く狭い水路にはまった。社歌も止んだ。藤村は二人を引き上げた。引き上げたが、びしょ濡れの酩酊者で、まっすぐ立つのもやっとのものだから、体を入れて支えてやらねばならず、結局自分も、びしょ濡れになった。被害者は藤村である。そのあと、藤原の父であるお寺の住職に説教され、翌日は、おそらく近所の誰か、聞いていたのか、見ていたのか、京町薬品にクレームの電話を入れたようで、三人は増吉社長にたっぷり絞られた。社員の教育を徹底するようになったのはこれ以降のことである。人事教育の責任者を一貫して担ってきたのが藤原氏であるのが、当然というべきか。不思議というべきか。藤原氏はこの直後、突然父を病で亡くし、経営の厳しいお寺の住職と社員を兼務することになった。
  藤原部長はきょうもご機嫌のようであったし、藤村営業部長は相変わらず厳しいが、若い連中を捕まえては話しているようだった。
  破天荒な事件を起こしながらも、何もなかったかのように振舞い、なおかつエネルギッシュに働く姿からは想像も出来ないが、それぞれ苦難を抱えもっていたのだ。
  「蒼井。小林さんは大変なことになったな」
  黒田浩太が声をかけてきた。塩見太郎と黒田浩太とは、昭和三十四年、一九五九年、子年生まれの同年齢だ。生まれは、塩見が四月五日、黒田浩太が七月七日、周吾は十一月一日。周吾が一番下になるが、三人の中ではどうも反対のような関係で、塩見太郎がいつも注意され、黒田浩太がなにかと周吾に聞いてきて、周吾がそれに答えている。親友同士という仲でないが、同年齢という気さくさはあった。
  「踏切事故らしいな」
  「あんなとこへ、何か用でもあったのかな」
  「赤ちゃん、一緒なんだろう」
  「そうなんだ。うちが八月八日、小林さんが、十日。二日違いだ」
  黒田浩太は水割りのグラスを揺らしながら、
 「同じ病院で、お産した日も近かっただろ。だからうちのかみさんとは、よくしゃべっていたらしい」
 「そうだろうな。小林さんとこは、二人とも宮崎の入郷の方で、奥さんの実家もその近くで、こっちには知合いもいないだろうから」
 「うちのかみさんによると、かなり深刻に悩んでいたらしい」
 「子育てにか?」
 「ノイローゼみたいだって」
 「大変だな。子供育てるの」
 「それが、話はちがうが、ひどいことになっていてな。蒼井、聞いてくれ」
 「どうした?」
 「東海病院の院長の息子が、去年から病院に勤めだして、今、整形外科部長になっているだろ。博史先生だよ。その博史先生とこも、うちのと同じで、今年の四月に生まれた赤ちゃんがいる。男の子だ。もう首も据わって、母乳じゃないからか、どうかしらないが、大きい子なんだ。その博史先生夫婦がこの頃、日曜日になると、夫婦で朝からうちに来てね。その大きい赤ちゃんを置いて行くんだ。最初は、ちょっと買物に行ってくるから、と、言うので、こっちは、お互い赤ちゃんを抱えて買物をする大変さがわかっているから、つい、いいですよ、ミルクの時間がわかればあげます、なんて気軽に言っちゃったものだから、それを真に取られて、次の日曜日、その次の日曜日も、大きい赤ちゃんを連れてくるんだ」
 「託児所代わりか」
 「そう。かみさんは、うちの子の夜泣きで、夜も眠れない。一人抱えているだけでも大変なんだよ。昼間、子供が眠ったら、その間だけでも寝たいんだ。それが得意先の、それも東海病院の、次期院長の赤ちゃんをだよ。一人が寝ても、一人が泣き出すと、もう一人つられて泣き出したりするから、かみさんに恨まれて、その子また大きいから、重いんだよ。特に人の子だから、余計に重くてね。毎週続くと思うと、精神的にもきついよ。半端な責任じゃないから
 「遊びに行く時間はどのくらいなんだよ」
 「朝九時に連れてきて、夕方四時か五時に迎えに来る」
 「丸一日か。日曜日でもゆっくり寝られないな。それに、どこにも行けないな。大分の院長の家は、爺さん婆さんなら、孫の顔を見たいんじゃないのか」
 「違うんだ。博史先生は先妻の子供で、院長は先妻と離婚し、今の本妻と一緒に住んでいる。本妻には、子供が二人できて、二人とも医者になっているが、こっちに帰ることはないらしい。博史先生の母親は亡くなっていて、奥さんの実家は名古屋だから、とても面倒を見てもらうわけにはいかない。東海病院裏の、道の真向いに、古い邸宅があるだろう。昔院長夫妻があそこに住んでいたが、離婚して院長が大分に引っ越して行って、先妻と博史先生が住んできた。先妻さんが亡くなったあと、今、博史先生夫婦が赤ちゃんと三人で住んでいる」
 「外から見ると、文化財みたいだが、あれに住むと、ちょっと怖いな、何か出てきそうで」
 「そう見えるよな。博史先生の奥さんは、旦那が休みになると、どこかへ行こう、と、迫ってくるらしい。博史先生は、できたら家でごろごろしていたいようだけど」
 「奥さんが怖いか」
 「どこも一緒だ」
 「それにしても、黒田。奥さん大変だな」
 「大変じゃすまなくなってきたよ。俺にこの仕事辞められないか、って言うんだ」
 「辞めるのか」
 「いろいろ考えている。このままだと、夫婦が持たない。得意先も、東海病院も大事なのはわかるが、そのために夫婦関係が壊れて、娘の美歩に辛い思いをさせたんじゃ、何のために一生懸命仕事をしているのかわからんよな。仕事を大事にすればするだけ、自分の身の破滅を招き、損をしないで利をとるのは会社だけ、ということだ」
 「深刻に考えるな、とも、気安く言えんが、いろいろ先の用事を入れたらどうだ。黒田の実家も、奥さんの実家も、臼杵だろ。どっちかの実家の親に、ちょっと悪くなってもらうとか。相談ごとが発生して、毎週家族会議があるから、とか。とりあえず先に逃げること考えたらどうだろう。奥さんと子供をしばらく実家に帰すとか。いっそ、もう臼杵に帰ったら。臼杵から黒田が通えばいいじゃないか。一時間もかからんだろう。院長だって大分から出て来られるんだろ。会社にしろ、実家から通勤するなら、借上げ社宅の費用だって要らなくなるし、何より現実に、託児所問題だって起きている。これ以上、重大な問題にならないようにするためにも、黒田の引越しは、万丈支店が後押しすると思うよ」
 「そうだよな。それしか方法はないよな」
 「狸に、何か対応してもらおうたって、絶対に無理だよ」
 「それは良くわかっている。自己責任と言われるのがオチだ」
 「男の仕事で、そこまで奥さんが負担する理由は絶対にない。しかし、結婚するのも大変だな」
 「そりゃ独身は気楽でいいよ。でも蒼井だってそろそろじゃないのか。いつまでも一人でいるわけもいかんだろ。でもなあ、新婚時分も悪くはないが、いつかは終る。確実に終る。女は男と違う。絶対に同じになれない。それはどうにもならない。ただ子供は別だぞ。まだ俺を、父親だとわかっていないかもしれんが、あれは無垢に俺を信用しているんだよ。母親と俺を、全く疑うこともなくて、ミルクを飲ませれば疑わずに飲む。当り前なんだが、不思議だよな。完璧に、全く無垢に信じきっているんだぜ。風呂に入れると喜ぶ。笑うんだぞ。美歩の重みがありがたいって、そう思うんだな。俺も自分がこんなになるとは思わなかったよ。そんな子を捨てられるか。離れて暮らせるか。俺なら、一日だって人に預けて遊びに行くなんてできないよ」
  「日常のちょっと先に非日常があって、その非日常まで平気で日常としてしまう人と、日常を守ろうとして、非日常を排除しようとする人がいて、それも日常にしている。どちらもあるから日常だ」
  「社業も末端になれば、個人の問題。社業は、世の中の「不」をのぞくために、売上を確保し回収を堅持する、だけだ。末端の人間がいくら右往左往したって人格のない企業が生存すればいい」
  「明るく。正しく。たくましく。か」
  「自己責任だ」
  天皇重体報道のせいもあってか、二次会は早めに切上げられた。周吾はもうまっすぐ帰るつもりで、外に出た。

 

 

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