新六郷物語 第七章 三

  国東の調整役木村万次が六坊家に駆け込んで来た。河内の旧吉弘雅朋家跡での法要を終えて帰ってきたところであった。
  「元役、国東の泉福寺が焼き討ちに遭いました。寺は全焼しました」
 木村万次は挨拶もなしにそう言った。遠路を走って来たのだった。純平は座敷に上げ、お茶を振舞う
 まだ懲りずに焼き討ちをするのか。我等は武力では太刀打ちできない。せめて仏像を救うくらいしかできない。泉福寺と言えば曹洞宗、九州きっての名刹でした。その権威が嫌われたのかも知れません。泉福寺の荘園も没収されたのでしょうか」
 純平はそう聞いた。
 「はい、没収と聞きました」
 「大友家はいまや、財が欲しくて寺を焼いているのかも知れません。いまならまだ収穫には間に合いますから。よほど窮しているのでしょう。その焼き討ちの命令はどちらから出たのでしょうか。義統様か宗麟様か」
 「さあ、よくわかりません」
 「この先、戦があると考えているのかも知れません」
 「いま筑前が不穏らしいと聞きます。その準備かもしれません」
 木村万次はそう言った。
 「どちらにしても、難民が出れば手を差し出してやりましょう。宗派の違いは全く関係ない。六郷は一つです」
 木村万次はこの時浄峰を紹介された。
 「おお、お待ちしておりました。六郷全体に命が宿る思いがします。ありがたいことです」
 浄峰が説法に回るところは大賑わいとなった。自分の郷に来るのを待ちきれず、山を越えて出向いて行く人もあった。
 郷の中を更に分けて集会が決められ、連夜浄峰は出て行った。昼は説法。夜は説教。六坊純平の屋敷に戻る機会が減った。浄峰には豊治がつき、細やかな世話をした。夜は、集りのある寺か家に泊まる。先の予定を聞きに豊治が六坊家へ走って戻る。そんな日々が続いた。浄峰が、比叡山からの帰路募った喜捨が、数軒のお寺から続々届けられた。純平はその額を見て驚いた。佐和も目を丸くした。浄峰の活動に天台宗のみならず、他の宗派からも喜捨が届いた。いつの間にか六郷復興の元役として、六坊家は周知されるようになった。
 純平は調整役から申し出のある浄峰の説教を数日空けるようにした。帰って来て貰うためであった。浄峰が六坊家に戻った日に調整役に集ってもらう。話は浄峰が集めた喜捨の使い道である。贅沢をしなければ小さな寺なら十は建つ金額であった。集めた本人も驚いていたが、調整役の殆どは眼を丸くして口をあけたままであった。浄峰が説法をして回る度に喜捨が集っていく。今後もまだ喜捨は見込めそうであった。
 調整役から意見が出た。浄峰様の喜捨を七割頂き、後は地元で費用を産出する。この方法なら、他所に作ってもらった寺ではなくなり、地元との繋がりも出来ていいのではないか。寺を建てたい希望の強いところから立つようにはなるが、地元も何もしないで寺が出来ると思われてもよくない。地元に相談し寺を復興させる意志があるか。またはどこに建てるのか。費用はどのくらいか。地元で捻出できる費用の見込みを立て、元役に浄峰様の資金を出していただくことにしてはどうか。それなら前向きに取組む意欲のあるところから寺が出来るから、不満もなかろう。話はそう決まった。各郷総予算を念頭において、調整役が地元にはかる手順になった。元に戻すのは困難である。もう経済基盤である荘園が奪われている。選択して集中させることが生き残る最善にもなる。純平はそう話をした。
 宇佐神宮が焼き打ちされたと、来縄の田村信衛が言って来た。
 「田原紹忍殿の仕事で、妙見岳城の手勢がやったらしい。泉福寺が終ると直ぐ宇佐神宮を火にかける。荘園没収の話はないようです。これは田原紹忍による宇佐神宮への私的な報復だと噂されています。田原紹忍は奈多神社の出で、奈多家と宇佐神宮は長年神職の権限を巡って争っていました。それが原因だというのです」
 一月経って六郷調整役が集った。来縄、田染、伊美は新築二軒。改修は二軒。国東は新築一軒、改修三軒、武蔵、安岐は新築一軒、改修二軒となった。安岐の三井寺も半焼だったが、新築されることになった。広瀬豊治は喜んだ。母の在所であり、母の墓がある寺だ。新築されれば住職も戻る。また活気が戻る。寺が立つと資材が売れる。大工の仕事ができる。地元にとってもありがたいことであった。浄峰の名はまたしても高まった。
 「全く夢を見ているようじゃ。兄弟の絆、郷の絆、御仏との絆のお陰じゃ」
 調整役の一人がそう言った。
 この集りに純平は取れたての蕎麦を出した。六坊家みんなで苦労してうった蕎麦。荘園の隣の山から薪を取り、後を焼いて蕎麦を蒔いただけである。思いのほかいい収穫となった。
 「おお、上手い。これは香がいいし、こしもある。上手い。佐和様や有里様の側には負けるが味は絶品じゃ」
 浄峰がそう冗談を言った。調整役も皆口々に上手いと言う。純平は経緯を説明した。
 「米だけでは暮らしは楽にはなりません。米を作らない時期に野菜を作り加工品にします。後でお出ししますが、大根を漬物にしました。この蕎麦は薪を取った山を焼いて、蕎麦の実を蒔いただけです。蕎麦は焼け跡が一番良いそうです。来年は蕎麦の後に蕪を植えようと思います。蕪の後はまた雑木を育て、薪や材になるのを待ちます。このように何か工夫すれば新しい収入になります。六郷を巡礼される方への、お土産にできると思います。各郷それぞれ特性を活かし工夫してみてはいかがでしょう。来縄は葱が最適のようで、やがて名産になると思います。田染は里芋の収穫に適しています。蕎麦も簡単に出来ました。お試しになる価値はあるのではないかと紹介しました」
 純平はそう説明した。そこへ佐和と有里が大根の漬物を運んで来た。
 「大根の漬物は糠に漬けたのが殆どですが、これは昆布に塩、酒などで漬けました。他にない味になりました。是非味わってみてください。諸味で漬けたのもあります。これは大根に人参、瓜も漬けてみました」
 佐和はそう勧めた。
 「上手い、これも上手い。京の千枚漬けに似ているが味はまるで違う。糠と違って臭みがない。これは酒が欲しくなる。佐和様お見事じゃ。蕪にしてもいいのでないか。諸味も上手い。上手いな」
 浄峰はそう褒めた。調整役も同様だった。これなら飯が食える。大根なら米を作った後、どこでもいくらでも作れる。この漬物なら絶対に売れる。そういう声が聞こえた。
 「それでこの漬け方を教えて貰えると言うのか」
 武蔵の衛藤宗時が聞いた。
 「はい、私はわかりませんが、佐和と有里が教えてくれます。これを六郷の産物に出来ればと思います。皆で作ればまた名もあがります。巡礼の名産になり、名産を求めて巡礼が増えれば、これに越したことはありません」
 純平はそう言った。
 「純平殿、ありがたいことじゃ。浄峰様、純平殿ご兄弟にこの六郷は救われる思いです」
 安岐の田北嘉門が言った。
 「そんなことはありません。こうして集って郷のことを思う心が生み出してくれるのです。どうか皆様も、地元のお年寄りに聞いてみて下さい。何かよい知恵をお持ちだと思います。それを持ち寄りましょう。助け合いながらみんなで豊かになり幸せになりましょう」
 真木伝衛門が顔を見せ、寺が建てられ改修されることになったと聞くや、
 「純平様と佐和様がお帰りになられてまだ一年も経たないのに、何と言う速さでしよう。六郷の郷にお寺が九軒も新築で建てられ、改修も十三軒も出来るとは、御仏に感謝。浄峰様、純平様に感謝です。ありがたいことです」
 と言って喜んだ。

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