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青の彷徨 後編 17

 周吾は友香に来年度はもしかして、転勤が早まって移動になるかも知れないと話をしていた。伊東新吾部長に周吾から是非やらせて欲しい、と返事をしていたからだ。人事は来年二月には内示があるらしい。通常時では考えられないことだ。発表にならないとわからないが、準備と覚悟をしないければいけない。友香には三月末で、太陽会病院を退職することになるだろうし、友香の準備も必要だった。友香は承諾してくれていた。二月内示なら都合がいい。例年のように、三月中旬内示、下旬発表では、家族に準備の余裕がない。学校に行く子供だって制服から全部違ってくる。病院も当月になって急に辞められても困るのだ。周吾は橘栄吉に電話して、周吾の状況を説明した。
 「ということは、周吾君は来年四月にはもう大分にいない可能性が高い、と言うことだ」
 「そうです。二月になればわかります。お父さんの仕事はどうか、と思っています。予定通り三月で終れそうですか?こちらに越してこられそうですか?」
 「ああ、多分大丈夫だと思う。年内に新年度のことが大筋決まるが、私はもう断っている。今から準備して、二月には講義を終るように考えている。三月にはそっちに行けるようにしたいと思う。折角周吾君と一緒に大分に住めると思ったが、そういう理由じゃ仕方ない。それは栄転だよ」
 十一月十二日火曜日だった。夜八時過ぎて実家の父から電話があった。母が倒れたと言う。今救急車を呼んだ。これから万丈北山病院に連れて行く。
 周吾は友香にこれから万丈に行く。今晩は帰ってこれないかも知れない。容態がわかったら電話する。友香は明日休みだから、一緒に行く。私が看護する。そういって聞かなかった。周吾は友香を乗せて懐かしいところへ向かった。病院に着くと、母はストレッチャーに乗せられていた。声をかけると意識はある。顔に浮腫が見えた。脳出血に間違いないように見えた。CT検査が行われる間、父から話を聞いた。食事のあと、風呂に入って、風呂の中から頭が痛い、気分が悪い、と声がした。父は風呂から出して、異常に気がつき救急車を呼んだ。検査の結果、クモ膜下出血で緊急の手術が必要だが、今万丈北山病院にはその手術をするスタッフが学会研修中で不在だから、医大に行ってほしい。連絡はしてあるから、到着次第手術が出来る。了解するしかない。母は点滴を受けながら救急車に再び乗せられて行く。父は救急車に乗って来たので、また救急車に同乗する。周吾は友香を乗せ医大へ向かう。一時間ほどして医大に着く。早速検査が始められ、手術室へ運ばれる。到着して四十分くらい過ぎたか、これから手術を開始します、と告げられる。十二時少し前だった。長い時間を過ごした。病棟にある面会室で何もすることが出来ない。待つしかない。時計ばかりを見続ける。手術が終ったのは明け方で、三人は執刀医から状況説明を受けた。発見されたタイミングが良かったこと。万丈北山病院で応急措置が早かったこと。など結果としては成功した。意識が戻るまでは不安でしょうが、心配するリスクは殆どないといっていいでしょう。ただ予測できないことも起こります。油断はできません。
 友香は病院に残ると言う、周吾は仕事があった。父は家に帰って必要書類に記名捺印し、もって来なければいけない。術後の変化はもう病院に任せるしかない。当面身の回りに必要なものは、友香が病院の近くで買物をしてくれる。夜にはまた周吾が行って様子をみるから、父にはその連絡があるまで今日は休むように言う。父も徹夜明けは体が続かないから。そうすると言う。父を大分駅で降ろし周吾は仕事に行くため一旦家に戻る。その日の仕事を手早く切上げ医大病院に向かう。友香が心配だった。おそらく、何もすることはないはずだ。いずれ食事が出来るように、箸、湯呑、テイシュペーパーなど、揃えておくくらいだ。そこは専門家だ。誰より安心して任せられた。ただそれ以外はすることなく、眠い思いをしてどう過ごすのだろう。周吾はそんな心配をしていた。病室に行って見ると、母は頭にネットを被せられ、鼻と口には酸素吸入器がついている。声をかけると反応がある。わかった。大丈夫だ。心配ない。ゆっくり寝るといい。緊急時のナースコールの確認はしてある。友香は知合いの看護婦がいると言って、母のこと頼んだから、そう周吾に言ってくれた。
 周吾は病院から父に電話して、意識が戻ったこと。順調であること。友香の知合いの看護婦がいて、友香が頼んだこと、など説明した。明日は書類を持って行く、父はそう言った。
 周吾は友香と外食して帰る。友香は、
 「お父さん、ご飯とか一人で食べられるのしら?」
 と聞いた。周吾は、
 「いや、お湯を沸かすくらいしかしたことがないはずだ」
 と答えた。
 「それじゃ、どうすればいいかしら、周吾のマンションに来てもらう?ご飯は私が作るから」
 「それは無理だ。あの場所を離れるわけには行かない。野菜だって、毎日見てやらないと直ぐだめになる。どうにかするよ。もう子供じゃないから」
 「そう、でも心配だよ。お母さんがどれだけ大事かよくわかるけど、こうなると、ほんとうに困るね」
 「ぼくの時は生きる対象を失くしたから、何も出来なかった。父にはまだ対象がある。絶対大丈夫だよ」
 「周吾も料理できるといいね」
 「はい、僕もこれから友香先生について勉強します。仕事ばかりじゃほんとうにだめだよ。料理くらいできないと、生きていけない。人生どう転ぶか、わからないけど、父は今転んで大事なものが何かわかったと思う。母もだけど、料理つくることも。僕もそうだ。あの時は友香がいたから良かったけど、結婚して、友香がお産でいない時や、入院でもしたらほんとうに大変だ。生存に関わってくる」
 友香は母の今後が心配だ言う。クモ膜下出血の場合、上手く助かっても後のリハビリが大変だ。日向の父の時と今の治療法は違うから比べられないが、機能が上手く回復しないと、今までのような生活は出来なくなる。もしそうなったら、どうするか。転勤先が福岡だと、どうする?周吾はそんなことまで考えていない。いいようにしか考えていない。でも友香の心配はよくわかる。もうすこし経過を見るしかない。それより、友香はどうか?二月に内示があって正式に転勤になったら、福岡でも沖縄でも一緒に行ってくれるか?太陽会病院を辞めやれるか?これは本筋の話だ。これが僕の行く方向なんだ。親も大事だけど、今僕が生きるのは今の仕事を続けるしかない。そのために必要なのは、真っ先に友香だ。もう友香のいない生活は考えられない。その次に親の問題だ。母は今入院中だが、父はまだ七十にもなっていなし体力もある。二人とも体が不自由で働けないとなると、僕が面倒を見るしかない。一つは、側に置く。二つ目は可能なことが前提だけど、側面から援助する。これしかない。だからもう少し経過を見るしかない。
 友香は周吾が行くところについて行く、福岡だろうと、沖縄だろうと行く。病院を辞めるのは少し寂しいが、もう蒼井先生がいた時のような楽しさはないので、未練もない。小村樹里も年内で辞め東京で新婚生活に入るし、湊紀子も前田孝志と早いかも知れない。いいタイミングだと思う。
 周吾は母の意識が回復したのが第一段階だとすれば、次は言葉だと思った。言葉がまともに喋れるか。その次は運動機能だ。箸が使えるか。排泄が出来るか。手や足は自由に使えるか。まだ先は長い。
 一週間ごとに検査が行われ母は順調に回復していた。友香は周吾が見舞いに行く時は必ずついて行ったし、自分が夜勤明けの休みには一人でバスに乗って行った。母は最初のうち、言葉が不明のところもあったが、一週間もすると元通りに話せるようになった。ご飯もおかゆばかりだが、スプーンも箸も使えた。極めて順調だった。食欲だけは戻らなかった。いつも朝から夜まで働き詰めで来た人だから、毎日ベッドに寝ているのは辛いと思う。食欲が出ない気持ちもわかるが、食べないと回復も遅くなるからなるべく食べるように、周吾はかって自分に言われた言葉をそのまま伝えた。三週目には転院になった。医大は手術と術後の経過を観察して、問題がなければ地元の病院でリハビリをする。母は万丈北山病院に転院した。転院時に付き合って最初の土曜日、周吾は友香と一緒に見舞いに行った。歩行訓練を始め、すでに歩行器を使って歩いていた。順調だった。言葉も完全に元に戻っていた。土曜日の午後ということもあり、薬局も院長も姿は見えなかった。母の足りないものを揃え、汚れ物をコインランドリーに持って行く。ついでに母の好きな鯵鮨を買って行く。母は美味しそうに食べた。もう一週間もすると退院だと言う。後は自宅で機能回復をしていくだけでいいらしい。友香も今の病院はなるべく早く退院させるから、いい面も悪い面もある。でも母は大丈夫だ。家に帰ったら、食事から何からきっと自分で動くはずだから、機能回復は早い。もう大丈夫。そう言った。母は医大に入院していた時、麻酔から覚めて、友香が声をかけてくれて嬉しかった。言葉は喋れないが、嬉しくて涙が流れた。それを友香が拭いてくれた。あれから元気になった、と言った。
 その後母は予定通りに退院した。年末が近づいている。
 年末年始は、母の希望で友香を大晦日に連れて来れないか。一泊して日向に行ったらどうか。日向の帰りによって野菜を持って行けばいい。友香の都合がよければそうして欲しい。友香は今回年末年始の勤務は外れたので、賛成してくれた。籍はまだだが、母の看護などもう家族になっていた。母は友香にお礼がしたかったのだ。大晦日の朝、友香を連れて実家に戻る。友香も驚いたが、大晦日の昼ごろから、年越しの膳を食べる。いわゆる御節である。鯛を焼いて煮つけたお頭つきや、御節にあるような料理が並ぶ。母はもう以前のままだった。そういえば一昨年はノッピが母を手伝った。昼から酒を飲み御節を食べるのを面白がって楽しんだのだ。今年は友香が母の手伝いをしてくれる。昼過ぎから母の快気祝いと年越しだ。友香もノッピほどではないが飲めるので、飲めない母をおいて飲めるものは酒を飲んだ。友香も母を見て安心した。
 夜遅くまでテレビを見て、翌日は遅く起きる。昼食を済ませて日向に向かう。元旦は日向の御節があった。友香の父は焼酎で、周吾は日本酒で乾杯をした。四月に転勤になるかも知れないこと。友香は病院を辞めて一緒に行くことなどを話した。結婚式は四月になって、三周忌が終り、引継ぎや引越し、それに埼玉の父が引っ越してくる時期もあって、全て落ち着いてからにしたい。友香の父は退職後外出を嫌がるようになって、遠くでの結婚式には参加したくないと、言っていた。どうするか、もしかしたら、福岡から日向まで来て、また福岡から万丈に来ることになるか、種々問題があった。友香はウエディングドレスを着たいだろうし。周吾は厭だったが、友香は初めてだ。希は叶えてやりたい。ノッピは再婚だしそんな考えはなかった。周吾も楽でよかった。友香は、ノッピとは違う。同じではいけない。二月内示があれば直ぐ決めるようにいくつか考えを巡らせた。その前に三周忌はもう決めなければいけない。昨年の一周忌と同じでいいだろう。日時は四月十二日午前十一時墓前だ。祥月命日の前日、三周忌その日でいい。雨なら傘を持ってすればいい。正月に初めて友香の次兄夫婦にあった。次兄は周吾と同じ歳だ。友香の言う通り、奥さんが強そうに見えた。優しそうな目に、濃い荒い眉毛をしてお父さんによく似て細かった。背はどちらの親とも似ず高かった。奥さんもそっくりな体型で細く背は高かった。顔も似ていた。
 日向の帰り実家に寄って野菜などを積み込む。その時、母が結納はいつするのか。信枝さんはそんなの要らないといっていたが、友香さんは初めてで日向の人だから、結納もしなかったとはいかない。間に人を立てて近々行くのがいい。日時を決めなさい。間に立つ人は母の姪夫婦がいい。あの二人には電話で頼む。
 周吾は全て三周忌が終ってからだと言った。友香にそうしてくれないか。区切りを大事にしたい。結納は四月十八日か十九日。どっちにしても二月人事の内示があってからだ。
 仕事初めが過ぎて卸の再編は加速していた。連日全国どこかの卸が提携関係を結んだとか、大手卸の傘下に入ったとか報道されていた。キョーヤクも時間の問題だけのようだった。規模をある程度大きくしなければ存続できなくなっている。営業もコストをいかに下げるか、いかに効率を上げるかが重要になっている。営業のあり方がデジタルに科学的になっていくしかない、周吾はそう考えていた。
 二月になると直ぐ伊東新吾二部長に呼ばれた。人事の件だった。内示段階だが決まった。四月から福岡勤務だ。がんばってくれ。二月上旬には組織改正の発表があって、合併準備室を福岡に置くことが発表になる。北のグループと合併の準備だが、合併はもう決まっている。これはまだ公ではない。近々発表になると思う。営業企画部は営業本部の中の組織になるが、これは合併後のことだ。その前段階として合併準備室として仕事を始める。そうは言っても、福岡の事務所の場所もこれから探す。どこになるのか全く決まっていない。四月までには決まるだろう。蒼井君が福岡に行く時期だが、早くて四月下旬だろう。福岡の準備が間に合わんようだ。今すぐ事務所を決め、契約書を交わして内装工事の見積もりを取る。内装工事にかかり、設備を入れる。二ヶ月では出来んという話だ。四月に行ってもおそらく内装の壁紙を貼るとか、床の配線にモールを被せるとか、そんな仕事しかないだろう。だからあわてることはない。何か個人的に問題はあるか?
 周吾は伊東新吾部長に正直に話した。四月十二日に亡き妻の三周忌があり、その後再婚をするので結納、挙式、披露宴、出来たら短くていいから新婚旅行に行きたい。そう話した。伊東新吾部長は祝福してくれて、それなら五月の連休が明けてから、福岡勤務にしたらいい。人事には話をつけておくから大丈夫だ。それまでに済ませるようにすればいい。時間はあるだろう。引継ぎは四月の中旬までに完了させればいいだけのことだ。そうしよう。おめでとう。即断即決だ。
 周吾は友香にそのまま伝えた。友香も太陽会病院に退職届けを出さなければならない。埼玉の橘栄吉にも電話で伝えた。橘栄吉は二月末で講義を終らせる。三月に整理をして四月の三周忌までに引っ越して行きたい。周吾は、それは好都合だ。自分も三月決算が終って、四月になって部屋の荷物を友香のアパートに運べるし、マンションの清掃に入ってもらえば、四月第二週には入居ができる。落ち着いて三周忌を迎えられる。
 周吾は友香に、結婚式をどうしたい?友香の憧れもあったでしょう?こんな男が相手になるなんて思ってもいなかったかも知れないけど、式に対する思い入れは絶対あるはずだ。後でああしとけばよかったとか、言ってもやり直しができない。友香の希望をなるべく叶えてあげたい。これからも、ずうっと一緒だから。友香は白無垢を着て、真白のウエディングドレスを着たい。人数なんか関係ないし、場所も何処だっていい。周吾は友香の希望を叶えてやりたいと思った。自分の好みではないが、友香は友香でノッピではない。問題は場所と声をかける対象だ。日向か万丈か、間を取って延岡か。今村裕史と小野智美のように日向と万丈で二回披露宴をする方法もある。二回白無垢を着てウエディングドレスを着るか?周吾の方はそんなに親戚も多くない。ノッピの時だって十人くらいだった。友香は?日向の父に聞いて見ないとわからないが、そのくらいじゃないかな。兄夫婦に親戚だって六人くらいでしょ。橘栄吉も呼んでくれ、そう言われていたのを思い出した。友達はどうしようか?
その間に福岡の家を探さなければならない。

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