競技力と指導力
「名選手、必ずしも名監督にあらず」
選手として成功した人間が必ずしもいい指導者になるとは限らない。
このような言葉を聞いたことがあると思います。
なぜこのような乖離が起きるのかなど、僕なりの考えを書いていきたいと思います。
そもそも全く別のスキル
自分の能力を向上させることと、他人の能力を向上させることは全く別の技術が要求されます。
自分の体のことは自分が一番知っているので、どのように動くか、どのような技を試していくか、自分自身だと効率よく取り入れることができます。
逆に他人の得意不得意などはよく観察しないと全くわかりません。よく観察してもわからないことの方が多いです。
名選手が感覚ですんなり出来た技術が、他の人は感覚で理解出来ないことは多々あります。
人が何を欲しているか、何で躓いているかを感じ取るスキルが指導者には必須です。
言語化能力
人が何に困っているか理解できたとして、次は伝える能力が必要になります。
技術を上手く言葉に出来ないと、相手は全く理解してくれません。
覚えやすいように工夫したり、ポイントを抑えたり、言語化の際のハードルはたくさんあります。
自分ではわかっている言葉でも伝わらないこともあるので、そこは毎回のフィードバックが大事です。
教えた後に、うまく伝えることが出来たか振り返る事はとても大切です。
これをしないようでは言語化能力の向上は見込めないでしょう。
逆に考えると
冒頭の言葉は「名選手でなくとも名監督になれる」とも取れます。
スキル100の人が10しか伝えられないより、スキル50の人が45伝えられる方が指導者として優秀と言うことになります。
なるべく自分のスキルレベルと伝達レベルを近付けて行くことがいい指導者の条件ではないでしょうか。
最高なのはスキル100で95伝えられる事ですが…
とまぁこんな感じです。
僕もまだ競技者をやりながら指導をしていますが、どうすればうまく伝えられるか勉強の日々です。
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