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カタカムナ vol.3


トキ・トコロとは
統合して発生する極微粒子のことをいう。

トキには万物万象に現象化する一定の時間量の意味も含まれていて、
トコロとは統合が繰り返し現象界であらわれる空間と時間を同時にもつものであり、
それが現象として見える場のことをいう。


ここでいうトキ・トコロは時間・空間のことではない。


この宇宙では、
あらゆる生命が発生し、
持続され、
マワリテメグル「命の循環」がなされている。


その万物に似ている、トキ・トコロは、
命の循環と別モノではなく、
おなじように統合入れ替え同時発生(マワリテメグル)する物体であり、
単一では存在出来ず、共に新陳代謝する万物と変わりはない。

進行性も可逆性も持ち、
万物とおなじようにとどまることができない現象界の場であり、
入れ替え/統合して存在している。

トキは過去から未来へも、未来から過去へも進め、
トコロは現象と同じ場所に逆渦のメニミエナイモノも同時存在している。


メニミエナイモノが統合し、メニミエルモノとして粒子化するには、
一定の時間量がかかる。(⇨タイムラグ)


目に見える世界に発生した生命根の実体は目に見えない潜象界から出現し、
"大きな宇宙的空間に広がる潜象"から進行集結して生み出されたものであり、
自ずと固まって示される天然自然界であり、
メニミエナイ核から自由にしたもの。

重なりあって芽を出した個々の生命体の持続によって、
根本がはじまる。


カムナは、外へ外への"膨張"と、削ぎ削る"収縮"の正反2つの性質を持っている。



生命の存在は、生命体(現象)と生命力(潜象)の二重構造でなければならない。

生命粒子の正反が対向発生して、
極限まで発達したものが根となって、
生命体の個々の持続が変遷する総和のチカラになる。
そのチカラの主がカタカムナである。


カムとアマの2つのチカラの統合によって、
生命の実質になり、
フトマニとして定着して持続される。

フトマニとは、
天然自然のあらゆるものには四相があって、
その四相が常に偏り過ぎない状態であり、
安定する状態を求めて探し続けることこそ生きることである。


カムとは、すべての根源のチカラをいう。人間には決して測量出来ないけれど厳然とあるもの。


宇宙のすべてのモノの始まりがアメという究極の超微粒子。

マリというときは、
そのアマの細かく分かれたもの(アメ)が
次第に粒子となるスガタとして捉えた思念。

その目に見えないマリ(球)が集合し凝集し、
目に見えない核をつくり、
電子や原子などにも変遷する。

それらが基になって宇宙球がつくられ、
万物万象の元になり、
それをカムナ(潜象のヌシ)という目に見えないチカラが支配している。


時間空間量はもとより、
物質もアマもアメも《モノ》。

心も思念のあるマリ(球)からできた物質であり、宇宙空間に実在する目に見えないものも、
精神やこころなど見えないものも、
すべては究極の超微粒子の働きであり、
その存在の仕方によるものである。


人間や動物、昆虫、植物、石や水や鉱物、地球・月・星などの他、原子・電子などの粒子にいたるまでココロがあると言われている。



慈雨のひとりごと。
慈雨は、アミニズムという概念を大切にしています。
それぞれに神が存在しているとおもってるので、関わる全てのものを大切にしたいし、している。
できるかぎりのことはしたい(出来なかったらごめん)。
自分自身も含めてだよ。
まわりも全部じぶんやし、ね。
出来る中で出来ることをしよう(したい)とおもっている。
微々たるチカラかもしれないけれど、そこには大も小も関係ない。想いとかその目に見えないもの、、、ナニカに詰まってるしそれが大切だとおもう。
違う方向性でも全然いいとおもう。どちらでもいい。
まぁ、わたしだけ違うかもと卑屈になることもきっとある、よね。きっと。笑
違わないよ、と言ってあげたいね。みんなにも、自分自身にも。全部違って全部いい。
どれも正解よ。多分。
苦しかったらやめればいい。

あと、ニンゲンに限らず、生命を維持するには、物体と目に見えないエネルギーとかそういうものが必要だよねということ。
全部に必要なエネルギーはあるし、カミは宿ってる。
ということは、存在するだけでも凄いことだよねとおもう。目に見えるものになるためにも凄いエネルギーはひつようなのに、生命が宿るということはもっといろんなエネルギーが舞っていて。それを放ってるということよね。
だから、影響しあうんだ。
ということで、生活はたいせつなことだとおもう。














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