真夜中の叫び声

深夜、窓の向こうから分厚いガラスを突き抜けて、若い男性の叫びが聞こえてきた。一棟横のマンションからだろうか。喉がまだ熟れていない少年の声だった。一度短く「アーーー!!!」というこころの破裂音がした。暗い空を通った音は、どれだけの人に届いたかはわからないが、僕には真っ直ぐに届いた。声が僕のこころを揺り動かすのを感じた。

多くの人には迷惑だろう。深夜に狂ったような男の叫びを聞くのは恐怖だろう。隣室の母親は咄嗟に子どもを抱きしめるかもしれない。
だが僕の中に声が響いたとき、それは懐かしさと喜びを浮かび上がらせた。僕が過去に闇夜の静けさを拒絶したときの哭き声と全く同じように思えた。僕が発したときと同じ響きかたをしていた。そして少年への共感と人間が人間であることの証明音に喜びが充溢した。

どうしようも無い夜がいくつもあった。それは決まって夜だった。仕事がうまくいかないことと人生がうまくいかないことが同じように思えた夜。好きな人間とこころを十分に交わせなかった夜。激情を滾らせるも酒場で安易に発散してしまった夜。思い出すとたいてい酩酊している。混乱した酔いの渦のなかで街灯のみの静かな街は何も答えてくれない。街の静寂は僕を覆い尽くす真空あるいは水中で、意識的に(酩酊ゆえに無意識的にも)全く息が出来なくなるのだ。透明に溺れてしまう。僕という存在は精神の金縛りに遭いながら確かに生を確認しようとする。その実際的な行為が「真夜中の叫び」だ。「アーーー!!!」なのだ。ことば未満の形、音楽未満の波を放つしかない。そう追い詰められた末に起きる最初の呼吸が「アーーー!!!」である。少年の叫びには僕が発したことのある叫びたちと同じ特有の長さと音階があった。

「真夜中の叫び」は「真空への抵抗」と言える。自分の全存在を消し去りそうな絶対的な力からの脱出。かけがえのない自分をほんの一音だけ取り出すこと。枕で顔を塞ぐ余裕も無いほどの切迫した逃避。これは自分の力の無さと非寛容さが生む。なのでとりわけ思春期によく起こる。拡がる世界の認識と自我の変化が歪な状態がしばしば真空を呼び込む。人間には耐えられない真理に覆われてしまう存在の危機。大人になっても起きるのはその危機が迫ったときと、酩酊して判断がイカれたときである。
つまりこの「真空への抵抗」は自己という存在を勝ち取るための闘いを告げる法螺貝だ。何度も繰り返すことになる宣戦布告だ。
僕はこの実に人間的な鳴き声が僕以外の人間から聞こえてくることにとても安心した。僕の他にも人間がいたのだと喜ぶことができる。「真夜中の叫び声」からは隣人が狂人だと思う恐怖ではなく、隣人が人間であることの安堵を感じるのだ。その夜の少年の叫びが一度きりだったことも一層その安堵を支えていた。隣人よ、叫ぼう。もう少し叫びを続けて、詩を書こう。音楽を奏でよう。いつか出会って僕たちがある日の真夜中のように共振することを楽しみにしている。でもこれからは眠るので、どうか叫ばないように。

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眠れない夜に

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