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昭和の時代、温泉場で密かに上映されていた伝説のエロフィルムを発掘!まぼろしのピンク映画「温泉ポルノ」の世界

昭和のあの頃、ほんのつかの間に訪れるエロの機会が貴重だった。胸踊らせて向かった温泉場で観るピンク映画。スクリーンに投影される女体を、男たちは必死で目に焼き付けたに違いないーー。
忘れ去られた映画人や作品を追う傑作ルポ『桃色じかけのフィルム ――失われた映画を探せ』(ちくま文庫)が絶賛発売中の鈴木義昭氏による貴重な記事を公開!

倉庫から発掘された往年の16ミリフィルム

 関西のとあるフィルム倉庫から、不思議なフィルムが発見された。埃を払い、人知れず眠っていたフィルムの缶の蓋を開けてみると、そこからなんとも懐かしい「昭和のエロス」が立ち現れたのだ。フィルムを、カタカタと回し始めると、その昔、日本のどこにでもあった「温泉場」、昭和という時代最大の「男の遊び場」「男のパラダイス」の風景が、そこに蠢く女体とともに見えてきたのである。それは、いまや伝説ともなっている高度成長期の日本人たちを癒し続けた「桃源郷」の記憶だった。毎日毎日、働いて働いて、ようやくの休日に訪れた温泉場で観る「ポルノ映画」、それらは、今日、我々が想像するよりはるかに刺激的で魅惑的だったに違いない。フィルムから、当時の熱気と興奮が伝わってきた。

発掘された大量のフィルムと16ミリ映写機。いまではなかなかお目にかかれない年代物だ

 調べてみると、いろいろなことが解明された。それは、通常の映画館などで使われている35ミリではなく、16ミリフィルム。また、8ミリのいわゆる「ブルーフィルム」ではないことがわかった。地元警察の目を盗むようにお座敷などで上映されていた「ブルーフィルム」は、コンパクトで上映も手軽ということから、ビデオが登場する以前の地下メディアの主流だが、16ミリフィルムということから、もう少し多くの客を集めて上映されていたのではないかということが推測される。描写も、明らかにインサートしているカットもあるが、多くは当時の限界まで描写されているが「本番映画」ではない。16ミリ映写機はどこにでもあるというものではいが、比較的利用し易い。地方のストリップ劇場では、踊り子さんが足りない時、着替えや休憩をとる時などに、16ミリでポルノ映画を流したということがよくあった。「本番マナ板ショー」時代になっても、観客の興奮がピークに達すると、クールダウンにポルノフィルムが使われていたようだ。警察の巡回もあるストリップ小屋で、局部バッチリではそれだけで警察に「御用」になってしまう。戦後すぐにはそんなことも多かったようだが、それでは営業にならない。35ミリの掛けられない場所では、16ミリのポルノが要求されたのだろう。

 当時の温泉場には、ストリップ劇場だけではなく、「温泉ポルノ映画専門」の仮設劇場が沢山あったといわれる。スナックを改造した所、物置や地下室に椅子を持ち込んだだけの所など、さまざまにあった。団体やグループでどやどや押しかける男たちは、大宴会のあと、二次会に行く者、ストリップや映画を観に出かける者などに分かれた。東映ポルノの代表作『温泉芸者』シリーズなどを、連想していただけばよいかも知れない。あの大騒ぎの感覚だ! 限られた数しかいない温泉芸者と遊ぶ金などない連中は、まあ、映画でも観るかということになったのではないか? 温泉のヘルスセンターや宴会場なども、時には「ポルノ」の上映会場に変身したといわれる。温泉に行ってポルノを観る、その解放感がたまらない時代だったのだ。

古き良き温泉場にタイムスリップ!

都会の映画館では見られない名作群

 当然、温泉場ならではのフィルムが求められることになる。都会の映画館で上映しているポルノ映画とは、一味違う映画が必要だった。「ここでしかやっていないよ!」「よそでは見れないよ!」という呼び込みのセリフに、ついふらふらと仮設劇場に入ってしまう。いつもの成人映画と違う、どんなエロ映画が観られるのだろう、そんな期待に胸とチンポを膨らませた温泉客も大勢いたことだろう。
 映写機にかけて観てみると、これがどれも傑作揃い。多くのフィルムの中から、倉庫に大事に保管されていたことだけのことはある。まさに見せ場連続の名作ポルノばかりだったのである。少し内容をご紹介しよう。

 ビデオなどでも一時流行した、「性感マッサージ」の元祖のようなフィルムがあった。タイトルは、何だか当時の流行語をいただいただけのような『オーモーレツ』。女体整美師の男に誘惑された女性が「これで誰にも負けない美人になれるよ」と言われるままに、愛撫の限りを受ける模様が延々描写される。

公園でナンパするあやしげな男(『オーモーレツ』)
女性整美術とは…?
これで誰にも負けない美人になれるよ(笑)

『欲情に濡れた指』という作品では、ブティックで働くオナニー常習者の女の素行が描かれる。「爪を短くしている女はマスの常習者か看護婦」と目星をつけた男が女に近づいて、嫌がる女にワルサをするというもの。オナニーシーンが迫力だ。

生唾ごっくんの演技力(『欲情に濡れた指』)

 多くの作品の中で、特に注目したいのは、時代物だ。『江戸ポルノ・尼寺満毛経』は、黒子の太兵衛さんが誘う尼僧レズの世界だ。張り形や器具なども使い延々と続く女と女のイカセ合いは壮絶。どっぷり化粧をした尼さんの恥じらい演技もほどほどの昇天具合が心地よい感動。『濡れた尼僧』『続・濡れた尼僧』も、その手の作品で、昔から尼さんの禁断の愛は画になったようだ。

尼どうしのレズプレイから(『尼寺満毛経』)
最後は4Pフィニッシュ

 もちろん、温泉物語も多数ある。『SEX抜群・湯の街慕情』は、文字通り温泉場を舞台にした青春譜。『女高生裏仕事繁盛記』は、流れのスケバン軍団が温泉場で次々に男を買うというストーリー。『女肌は濡れて』は、温泉に逗留している流行作家が女按摩に昔の恋人の面影を見て目の手術の協力を申し出るが……。

当時の「男の憧れ」を反映している(『SEX抜群・湯の街慕情』)
映像に残る街並みも貴重(『女肌は濡れて』)
出演するのは美人女優ばかり(『女肌は濡れて』)

地下フィルムに代わり温泉ポルノが氾濫

 最近、ストリップ時代のエピソードなど映画化した自伝映画『その男、エロにつき』を完成したばかりで、出演映画八百本、抱いた女千人ともいわれ、「ポルノの帝王」を自認する俳優の久保新二さんは、「温泉ポルノ」について、こう分析、解説してくれた。

「ピンク映画の世界から、ホテル用のビデオを作り出したり、温泉場用の映画を作ったりした連中もいたんだよ。多くはピンク映画の撮影を一日延長したりして撮っていたんだろうね。ブルーフィルムまがいのもあるらしいが、それはそれで専門のプロダクションもあったんじゃないか。実は、俺も何本か出たことあるんだよ、温泉ポルノ。よくフィルムが残っていたね。俺の出たのが見つかったら知らせてよ、懐かしいからさ」

 御大の久保さんまでが「温泉ポルノ」に出ていたとは! 今回の捜索でも、あえて誰とは言わないが、その後、日活ロマンポルノで有名になった女優さんの若き日の姿を発見することができた。往年のポルノ映画ファンはじっくり点検するとビックリの女優さんに出会えそうだ。まだ、アダルトビデオなどない時代、日活でスターになる前の女優さんが出演している姿は、レアな雰囲気でソソるもの。

 久保チンだけでなく、有名&性豪ポルノ男優が出ているのも確認できる。無名俳優によるギリギリ描写、本番まがいの作品も味があるが、往年のポルノ映画スタッフ&キャストの地方巡業作品も見逃せない。各作品とも20分前後の短篇だから、温泉場では手軽に観ることができ、大人気だったろう。

「本日の御光来誠にありがとうございました。さて、これからのお楽しみは」という字幕から始まる作品も多い。それまでのストリップの熱気から、客に興奮状態をおさめて映画鑑賞を薦める字幕だろうか。酒の酔いの回ってきた客は、眠ってしまわなければよいがと心配になってくる。浴衣に下駄のままホテルや旅館を出てきただろう、客たちは夜の更けるまで「温泉ポルノ」を楽しんで、明日への英気を養ったことだろう。お帰りは気をつけて。

なんともそそるアングラ感

 関西なら有馬温泉、城崎、玉造、三朝、白浜、勝浦……、歓楽街だった温泉郷が浮かんでくる。関東なら熱海温泉、水上、伊東、鬼怒川、伊香保……団体客で賑やかだった温泉場があった。警視庁の記録によれば、全国のブルーフィルム、春画、エロ写真の押収数は一九七一年に史上最高に達する。摘発で下火になる地下フィルムに代わり、16ミリの「温泉ポルノ」が全国の温泉場に氾濫したのではないだろうか。今は昔、あの頃の日本人の元気パワーが感じられるフィルムなのだった。

<著者プロフィール>
鈴木義昭(すずき・よしあき)
1957年、東京都台東区生まれ。76年に「キネマ旬報事件」で竹中労と出会い、以後師事する。 ルポライター、映画史研究家として芸能・人物ルポ、日本映画史研究などで精力的に執筆活動を展開中。 最新刊『桃色じかけのフィルム ――失われた映画を探せ』(ちくま書房)絶賛発売中!

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