「慶大生のブランド」より「お店のランキング」のほうが価値がある…慶應ガールはなぜ風俗嬢になったのか(後編)【中村淳彦『ハタチになったら死のうと思ってた』】
地味で、真面目で、高学歴。イメージとは裏腹に、風俗で働く女性にはそんな女性が少なくない。ささいなきっかけで働きはじめ、誰にも知られずひっそりと風俗嬢を続けるなかで、すこしずつ自分が変わっていき……。中村淳彦著『ハタチになったら死のうと思ってた AV女優19人の告白』より一部抜粋してお届けします。(前編)(中編)はこちら。
カラダを売ることをやめられない
やっと稼げるようになったのは、同年代の現役女子大生がたくさん働いている副都心の繁華街を離れて、大塚巣鴨地区に移ってからだ。本番ありの若妻の店に所属したら、たちまち人気嬢になった。
「その店はすごく自分に合っていた。出勤すれば指名されて、常連客もできた。ランキングにも入って嬉しかった。1日で10万円も稼げる日もあって、すごいと思った。体は疲れていても、頭の中でお金の計算をすれば、頑張れる。精神的には頑張れて、でも肉体がついていかないときもありました」
就活が佳境に入ると、面接を終えて風俗店に出勤する毎日となった。就活では不採用が続く一方で、夜の世界での人気はぐんぐん上がっていった。
面接で落とされ「慶應大生」というブランド以外は、自分には何の価値もないと追い詰められた。就活に手ごたえのない日々の中で、風俗嬢としてランキングに入れたことが、人生で一番の自信になった。
「有名企業への就職を諦めてから、風俗嬢として本格的に売れだした。売れれば売れるほど、もう元の自分には戻れないと思った。風俗をきっぱり辞めて飲食店のアルバイトに戻って頑張って働いても月7万円、社会人になってもせいぜい20万円しか稼げない。でも風俗だったらたくさんの男性に求められて、1日で10万円も稼ぐ日もある。それに風俗で稼いだお金を使って、やっとコンプレックスだった肌がキレイになった。もう戻りたくない、辞められないと思った。誰かに求められて稼ぐことは悪くない、そういう思考になりました。だから求めてくれる人がいる限り辞められなくて、今も続けています」
話はここで終わった。そのまま家に帰るというので喫茶店を出た。歌舞伎町から新宿駅に戻ることにした。歌舞伎町は絶頂期と比べると活気が失われていたが、新宿駅周辺は週末を楽しむ人々でごった返していた。
「実は子供の頃にイジメられていたんです。ずっと日陰だった。ずっとイジメられっ子で、放課後に友達と遊んだり、仲良しグループと出かけたり、そういう経験がなかった。オーソドックスなイジメはだいたい経験しました。変な噂を流されたり、無視されるとか、物を隠されるとか。小中の友達は誰もいない。彼氏も就活理由の自然消滅じゃなくて、私が寂しくて1日何度も電話したり、会いたいってしつこいから、だからフラれたんです。誰かから求められることが今の私は嬉しい。風俗を辞められない一番の理由は、それです」
白石安奈は、靖国通りを歩きながらそんなことを語りだした。
地元の同級生が誰も行かない高校を選び、高校3年のときに猛勉強して慶應義塾大学に合格した。当時はそれだけが自分を支えるアイデンティティだった。
大学2年のとき、初めての彼氏ができた。恋愛に依存しすぎてフラれて、就活もうまくいかなかった。満たされない日々の中で、自分を求めて受け入れてくれたのは、大塚巣鴨地区の本番デリヘルだけだった。
「承認欲求です。今日話しながら、風俗をいつまで続けるの?って自問したけど、辞められない」
白石安奈は風俗嬢の名前でツイッターをやっている。覗いてみると会社の愚痴や「辞めたい」といったことが延々と書かれていた。彼女は今も社会で「求められる」ことはなく、不満と不安を抱え、うまく生きることができないようだった。
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