【日本最後のピンク映画】八十歳の巨匠・小川欽也がメガホンを取った「ラスト・フィルム」撮影現場レポート
時代の波に飲まれ、映画の世界でも「フィルム」が消えた。デジタル化は作品の自由度を増し高画質低予算を実現させるが、旧式フィルムの「味」を再現できるかどうか。ピンクの巨匠・小川欽也のラスト撮影でその最後を見届けた…。
忘れ去られた映画人や作品を追う傑作ルポ『桃色じかけのフィルム ――失われた映画を探せ』(ちくま文庫)が絶賛発売中の鈴木義昭氏による貴重な記事を公開!
暗闇の映画館で眺めた女の裸…
世界中の映画が、フィルムからデジタルに移行しつつあるのはご存知だろうか。映画の世界からまもなくフィルムが消えるのだ。想えば『ローマの休日』も『エマニエル夫人』も『変態家族・兄貴の嫁さん』も『団地妻・昼下がりの情事』もフィルムで撮られた映画だった。女の裸は、フィルムで撮られ映画館の暗闇で眺めるものと思っていた時代。そんな時代が終わろうとしている……。全国ではデジタルプロジェクターを導入できない映画館が次々に廃業している。桃色映画館に多い。撮影する方も、フジフィルムに続いてコダックが劇場用映画のフィルム製造を中止。冷蔵庫に買い置きしてあったフィルムを最後にピンク映画の世界からもフィルムが消える。もちろんデジタルビデオカメラ撮影による「ピンク映画」は今後も制作され続ける。だが、ピュアな意味でいうフィルム撮影の「ピンク映画」は消えてしまう! 限りなくAVに近い映画として生まれ変わるに違いないが。
……オッパイのような山が見えた。そのすぐ麓にある伊豆のペンションで、記念碑的な撮影が行なわれていた。
「男には、この女の喜びは解らないわよ」
「あっ……あ たまらないわ!」
女たちは、レズビアンだった。某会社の令嬢(きみの歩美)とその友達(星野ゆず)だった。若々しいボディが眩しいばかりに輝やいていた。桃色映画の撮影が絶好調だった。
「レズ物は流行っているんだよ」と、監督が言った。監督の名は小川欽也。知る人ぞ知るこの業界の首領だが、ナント先日八十歳になったばかり。数年前九十八歳で孫に手伝って貰って演出した映画監督もいたが、桃色映画の世界で八十歳を越えて新作に挑むのはこの小川欽也監督ただ一人! 前人未到の偉業だ。
「ヨーイ、ハイ!」、ペンションの部屋に小川監督の声が響く。女の子たちは、お父さんいやおじいちゃんほどの大先輩の演技指導に、ねちっこいラブシーンを展開する。年齢差などものともしない、熟練のエロテクニックが炸裂する。男優たちも大人しく指示通り動く。カメラアングルも、ベテラン監督らしく女の子の肌を舐めるように追う。ビデオカメラのように撮り続けることはできない。監督のプランと構成にそって、カットが割られ映像が組み立てられていく。カメラを回しっぱなしにして、上手に編集すれば作品になるAVとは本質的に違う。一枚の絵を描くように、女優のしぐさや表情が物語に刻まれる。
「小川監督は師匠です。現場ではいつも教わることが多い」と、助監督の加藤さん。ここ数年、小川監督の撮影現場は彼が仕切る。
「小川監督はピンク映画界の古いことは何でも知っている。業界のヨーダだと思ってる。大好きな監督さんです」と、ベテラン女優の倖田李梨さん。ここ数年、小川欽也作品にはなくてはならない人気女優である。
まさに桃色映画宇宙唯一のグランドマスターとも言うべき小川欽也監督。一九六二年、桃色映画が誕生した年に助監督として業界入り、しばしテレビのメロドラマと掛け持ちで活躍していたが、『妾』(64年)で監督デビュー以来、この業界一筋で今日に至る。育てた女優は数知れず、原悦子、三条まゆみ、二条朱実、水鳥川彩など枚挙に遑がない。いずれも桃色映画史屈指の人気女優に育てた。若き日には女優との噂も聞かれた。父は歌舞伎俳優の中村時二郎。背が低く俳優を断念したが、男前は家系というべきか。大学卒業後、テストドライバーか助監督かと悩んだという。
想い出話を聞きながら、わが国最後のフィルム撮影によるベッドシーン撮影は絶好調! 箱根や伊豆の実景も撮って、格調ある桃色物語に上がりそうだ。最後を飾り近日公開だ。
(「実話ナックルズ」2014年9月号より/撮影=金子山)
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