見出し画像

カーキとオリーブドラブ

 鈍いクリーム色=カーキ色のズボンが欲しいのに、画像検索で出てくる画像の色は様々で、緑色だろうと茶色だろうと黄色だろうと、全部ひっくるめて「カーキ」扱いされていた――そんな経験はないですか。

 もしかしたら、この書き出しによって初めて「カーキ」が鈍いクリーム色だと認識した方もいると思います。
 もしくは、模型やミリタリーに明るい人ならば日常の中で「カーキ」と「オリーブドラブ(=緑っぽく見える暗い黄色)」の混同に気づいて、気持ち悪い思いをした経験があるのではないでしょうか。

 今回はこの「カーキ」という言葉が表す色合いがなぜ多岐にわたり、文化の中で「カーキ」がどう変わっていったのかという点について調べてみたので、カーキ色の特性を交えながら備忘録として書いてみたいと思います。


カーキとオリーブドラブの色の成分

 「カーキ」という言葉のたどった道筋を話す前に、そもそもカーキとオリーブドラブの違いについて話す必要があります。

 カーキもオリーブドラブも黄・赤・黒・白を中心に成り立つ色で、この記事のトップの画像の左がカーキ、右がオリーブドラブです。

 比較的赤が多めに含まれ、明るい色の場合にカーキ色になり、この系統は茶色の仲間と言えるような色味を持ちます。

 一方、オリーブドラブは黄色と黒が多めに含まれる際の色で、青や緑が入っていないにもかかわらず、緑を感じる色味になります。オリーブドラブは「黄色と黒のみから作られた色」~「赤を加えて茶色の一歩手前あたり色」までを範囲として考えてよいかと思います。


英国におけるKhakiの移り変わり


 「カーキ」とはもともとペルシャ語の「土埃」を意味する語であり、それがヒンディー語を介してインドを併呑した大英帝国に伝わった言葉です。もともとはその言葉の通り、土埃のようなベージュ、デザートイエロー系の色味を指すものでした。

 英国人が「カーキ」をヒンディー語から借用し始めたのは19世紀中頃と言われており、『新英和大辞典 第六版(研究社)』によれば初出は1857年となっています。語義は[dusty, dust-colored]とあり、この時点ではペルシャ語、ヒンディー語と同じく、土埃としての意味だけを持っていたようです。
 カーキの西洋進出は、インド方面に進出した大英帝国軍が白い服を嫌って服を染めたことが始まりと言われています。その後も布地の違いなどによって微妙な緑っぽさを感じるような細かいバリエーションが生まれつつも、「カーキ」は概ね明るい茶系濁色であると認識されていたようです。

 しかし、1900年ごろにはどうやら意味合いが変化してきたようで、クリーム色系の濁色のみならず、オリーブドラブなどを含む軍服に使われているような色全般を「カーキ」と呼ぶようになっていきました。
 例として「Khaki election=カーキ選挙」という用例があります。カーキ選挙は1900年のボーア戦争に深く関連づいた選挙で、カーキ=軍服の選挙という意味合いで使われ、以降の英国史では戦争に関連した「Khaki election」がしばしば行われ、軍への加入にも「Get into khaki」という表現が使われるようになっていきます。
 つまり、この頃にはカーキは当初の意味の「土埃」から外れ、「軍服色」としての意味合いを強く持つように、つまり茶~緑の広い範囲を示す言葉になっていたと考えられます。

 故に、この頃の色の証言などで「カーキ」という単語が出てきた場合、土埃色としてのカーキのみならず、オリーブドラブ系列の色も軍服色として混同されていた可能性があり、その両方がカーキとして表現された可能性を考慮する必要があります。


日米におけるKhaki

 時期をほぼ同じくして、日米にもカーキ色が伝わりました。
 アメリカ陸軍では1898年頃からカーキ色の被服が登場し始め、1902年には大方の衣服をカーキ色とオリーブドラブを基調としたものに変更しました。

 1919年4月のアメリカの軍用機の機体色は、イギリスから取り入れたPC10というオリーブドラブ系の色を踏襲していました。これは『US Army Catalog No 4 Paints and Varnishes』という16色の色を定めた規格の中のNo.515 Khakiにあたります。その後、5月にAir Service Specification 24-106Aで機体色はOlive Drab No.22に置き換わりました。この後、数回の名称変更と細かな色調の変更があり結果的にはDark olive drab No.41という名称になります。
 しかしこの色が曲者で、緑を感じるオリーブドラブ系のカラー写真もありますが、緑っぽさを全く感じない茶色系の色として映っている写真も多く残っています。このダークカーキとも言えそうな茶色系の色が、先祖にNo.515 Khakiを持つDark olive drab No.41であることを考えると、やはりカーキとオリーブドラブの境界は曖昧に感じます。

 さらに調べると英国におけるKhakiは米国におけるDrab brownを示すとされている場合もあってなかなか複雑なようです。しかし、現代のアメリカの服飾業界でもOlive drabとKhakiの混同は発生しているようで、やはりカーキは「軍服色」としての認識が強いようです。

 一方、日本においては1906年に濃いカーキ色ともいえる黄土色(帯赤茶褐色)が軍服に採用され、1920年にはオリーブドラブ(帯青茶褐色)に改められました。そして1934年には戦意高揚のために帯青茶褐色は「国防色」と名前を改められることとなります。そして二次大戦によって国民服や各種工業製品に国防色が採用されたことで色味が細かく異なった「国防色」が街にあふれることになります。これにより、それまで軍に関係しなかった多くの人にも「国防色=軍服色」であるという認識を植え付けることになり、「Khaki=軍服色」という認識に至ったイギリスと似たような道筋を辿ることになりました。

 両国ともに軍服の色としての「カーキ」を取り入れたために、カーキとオリーブドラブをひっくるめて「軍服色」としてとらえている節があり、これが今日の「カーキ」と「オリーブドラブ」の混同に繋がる原因の一つになっています。
 意外にもこの2色の混同は近年起きたものではなく、歴史的に何度も、そして複数の文化圏において繰り返し起きていたもののようでした。


 本当は模型用塗料でのオリーブドラブに関する考察も書きたかったのですが、それはまたの機会に。では。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?