時短 #142 『2022年1月17日』
皆様、今日も1日お疲れ様でした。
27年前の今日(時差の関係上少しずれてしまいました)、私に世界観の変わる出来事が起こりました。
1995年1月17日、午前5時46分52秒。
6434人の命がこの世から旅立ちました。
大きな音、揺れ、母が覆い被さってきた重みに目覚める。
外はまだ真っ暗。
電気、水道、ガス全てが止まってる。
家の中はぐちゃぐちゃ。
地震が起きたことを少しずつ理解していく。余震が来る。
あ、これは地震だったんだ。玄関の扉が動かない。
こじ開けて、外に出る。
隣の家が傾いている。一家が、裸足で外にいた。寒い冬の早朝。
彼らが私の家で私たちと日が登るまで一次避難。
ストーブをみんなで囲み、、、記憶がアヤフヤになる。
思い出したくないのか、恐怖で記憶が消えたのか、場面場面を思い出すことができても点と点がつながらない。いつご近所さんが出て行ったのかわからない。
そのあと、家族で防寒対策して駅近くまで状況を把握するために10分かけて降りていった。(坂の上に住んでいたので。)
駅前に停まっている見覚えのある軽トラック。叔父が大阪から5時間以上かけて私たちの安否確認に来てくれていた。その後の記憶もない。
場面を思い出すことができてもその後どうしたのかが思い出せない。
27年前はPTSDを知る人は少なかった。ただ、乗り越えるしかなかった。今思うことは、あの時、何もわからずにただ前進するのみだったけど、やっと何が起こったのかを思い出し過去の傷と向かい合う準備ができたような気がする。
今までココロのいくつもの箱にしまい込んでいた思いや、そのいっぱい詰まった箱の数を一つづつ開けてみようと思う。記憶が戻ってくるのかそれとも場面だけがそのまま思い出として残っていくのかはわからない。
でも、今日はあの震災のことを思い出し、今私たちが生きていることや、家族や友達がいることに感謝したい。
もし、今日があなたの人生の最期の日だとしたら?何をするか今一度考えてみてほしい。そして後悔のない日を過ごしてほしいと心から思う。
そしてこの世を無念にも去ることになった6434人の方が教えてくれた人生の儚さをしっかりと受け止めてまた新たに1日を迎えて前進していきたいと思う。