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インド 教育の大転換

私の第2の故郷であるインドで30年ぶりに教育改革が行われる。二桁の掛け算など「インドの教育は、レベルが高い」と言われがちでもあるが、実態は根深い問題が数多し。

未だ低い女性の社会的地位

残念ながらインドではまだ女性の社会的地位は低い。働いて稼いでくるのは男性であり、女性は家を守りながら身近でできる仕事をする、という風に考えられている節がある。そうなってくると、以下のサイクルに陥る。

「女の子は、学校で一生懸命に勉強しても社会に出てお金を稼ぐことは難しい」→「それならば、家事やお家の仕事を手伝う方が有益で役に立つ(=労働力の一部とみなされる)」→「通っていた学校も続けられず、いずれ辞める」→「せっかく学んできた事が生かされず、子どもの夢や可能性を潰してしまう」

もちろんこれは家の富の環境にもよるが、人口13億の約7割弱が低所得層(年間所得5,000ドル以下)であるインドにとっては相当なインパクトだ。

先生の待遇が低い

インドは政治家などを除けば、総じて公務員の地位は高くなく、待遇(給与など)も低い。警察官は給与が低く、十分な生活費を稼げないので袖の下で稼ぎを蓄え、生活の糧にしている(小遣い稼ぎをしているわけではない)。同様に先生という職業も給与が低い。従って、子ども達の未来を導くキラキラした教育者というイメージは、残念ながら無い。待遇が低いので、生徒を教えることにもモチベーションがあがらず、授業を流すようになる(一生懸命教えても、適当に流しても、どうせもらえる給料は一緒。それなら手を抜こう、という発想)。これは、都市部よりも地方部の方が顕著だ。以前、インドでの大量なカンニングの記事が日本でも話題になったが、これを学校や先生が注意せず見に見過ごしているのは、そういった背景がある。

「地方→都市部→海外」の一方通行

優秀な人材は、奨学金などを使ってデリーやムンバイ、バンガロールといった都市部に出ていく。仮に学校は地方のままでも、就職は都市部へ行く。そして、その中でも「より優秀な人材」は海外(主にアメリカ。日本には来ない)へ出ていき、そのまま就職をして自国へは戻らない。つまり、一方通行になっており地方に戻ってこないので、地方のレベルがあがらぬまま。これは日本も同様の傾向あるが、地方に優秀なスターやロールモデルとなるような大人が戻ってくれば、その地域も活性化するがどんどん格差が広がる一方である。

まとめ

結局のところ、インドの教育問題というのは、そこに歴史的背景や様々な社会課題が複雑に絡み合った根深い話、いわば”構造的な問題”であり、すぐに変わるとも思えないが、その一方でITを活用した教育の進み具合は非常に早く、端末を通じて地方の子も都市部の優秀な先生の授業を受けられるようになれば、一気に加速するかもしれない。

私は、このインドの新しい教育政策(NEP2020)が、教育格差を小さくし、こどもがみんな将来の夢をもち、目を輝かせながら語る姿を期待したい。

この記事に書いてある「大きな目標として目指しているのは個人の力を伸ばし、未来のための世界市民を育てること」という言葉に心打たれた。

未来のための世界市民を育てること

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