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N号棟

柳さんと見た!
柳さんが一緒に見てくれて本当にありがたかった。

あらすじを書くのも難解な映画だったので、今回の感想は極めて短いです。

どこから書けば良いのかも、どこまで書けばいいのかも、何を書けば良いのかもわからない。
本筋だけを切り抜くには様々な要素が多すぎるのでかなり端折る必要がありそう。

本当に全てを端折って説明するなら、脳死で入院中の母がおり、生命維持をするか否かで選択が迫られる中、死を恐れるあまり生きることすらつらい女性が友人らと共に生者と死者が入り混じるN号棟に足を踏み入れ、死んだらそこで終わるわけではなく、死してなお魂はずっとあり続けるということを理解し、死への恐怖を克服した映画、なのかな。
あらすじこれであってますか?

映画を見終わった後Twitterのアカウントを見に行ったら「“考察型”恐怖体験ホラー映画」と銘打たれており、公式が考察型を自称することってあるんだ……と思った。すごい勇気だ。

ホラー映画って男女関係拗れてるイメージはよくあり、結局うわ〜……こいつサイテー……と思った人が因果応報な目に遭っていると思うんだけど、この映画に関しては因果、応報……?と思いながら最後まで見た。まぁそのうわ〜っていうのは主人公のしおりなんですけど……

彼女がいる元カレ(けんた)を強引に誘って家に泊めるしおりがあまりにも嫌すぎるし、その前にその彼女(友人。まほ)に「最近けんたとうまくいってるの?ラブラブじゃ〜ん!」とか言ってるのもかなり最悪の質が高かった。
しかも団地に入って体調を悪くしてしまったしおりの手を取って「逃げよう」と言ったけんたに「彼氏気取り?」と言ってたけど、散々けんたのことを彼氏っぽい扱いをしておいて今それ言います!?どうしてそんなこと言うんですか!?と暴れていた。
こんな厄介ムーブをしているのは死が怖いから眠れなくて、おそらく家に一人でいたくないというのが理由なんだと思うけど、それだけでは説明できないほど厄介な女である。彼氏の周りにいたら最悪な女1号。

とはいえけんたもけんたで優柔不断なのか、NOと言えない性格なのか、まだしおりに気があるのか、何か放って置けないと思っているのか、元々彼女と予定入れていたにも関わらず、その先約を断ってしおりの家に泊まる。
そして卒業制作のために彼女と下見に行くはずだった「N号棟」のロケハンにしおりも連れて行く。彼女のまほもいるのに。
かなり最悪だし、それが彼女のまほにバレて詰められた挙句、口論で「マジで死ねよ」と言われる。
ここのシーンは正直痛快すぎて手を叩いて笑ってしまった。でもこの後まさか本当に死ぬとはね。

しおりがN号棟の異常性を理解してもなお頑なにN号棟にいてカメラを回そうとし続けたのは、幽霊がいると謳っているN号棟に幽霊はいないと証明したかったからであり、その証明はしおりにとって死への恐怖を払拭する手助けになるはずだったのかもしれない。結果としては幽霊よりも怖い人間と、魂になった人間はいた。

オタクなので女性同士の強い感情を見ると百合かもしれない……という鳴き声をあげてしまうのだが、今回まほが住人の女性から旦那を殺したと秘密を打ち明けられるシーンで百合かも……と鳴いていたらその後本当にキスしたのでえ?という声が出た。こういう場合で本当にキスするような関係であることなんてまず無かったので。
その後ふと前を見たら凄まじい数でみちみち雑魚寝してた住人たちが全員クチュクチュ言わせながらキスをしていたシーン、かなり怖かった。
映画を見始めたばかりのときに画面に注意すべき表現として「暴力、性的なコンテンツ」とあって、ホラー映画に男女のセックスはつきものだからな……と思っていたらまさかこんなシーンだとはね。

キスのシーンが性的な愛などを指しているならエロスとタナトスを描いていたのかもしれないし、セックスというのを子を作る行為だと捉えると生を感じる行為と死が身近にあるこの団地の異様さや不気味さを表現していたのかも。
でもその後そのまほとキスをしていたのは女性だったため、だとしたらセックスの意味合いが変わってくるよね。生命を作る行為というよりは性的な愛やお互いを慈しむ行為という意味の方が近いのかな。

あと序盤で教授の部屋にレポートを持って行った時に飲み物を入れてもらっていたと思うんだけど、そのマグカップがとにかくデカくて笑っていたらその後団地に行った後も住民が提供する飲み物の入れ物がバカデカマグカップであったため、何度もそのバカデカマグカップが登場して嬉しかった。その度に歓声をあげていた。
ここまで書いておいて気付いたんだけど、このシーン明らかに盛り上がるところじゃないな。
でも最後しおりが団地から大学へ帰ってきた時教授はおらず退職しており、おそらく団地の宗教と繋がりがあるかもしれない書き置きが机の上にあったので、もしかしたら教授が使っているマグカップがバカデカかったのは団地との繋がりの伏線だったのかもしれない。

和製ミッドサマーといわれていたが、確かにミッドサマーをかなり意識しているシーンが多くあって、もしかしたら徹底的に比較したときに何か重要な点がわかるのかもしれない。

ミッドサマーのダンスシーンは主人公がダンスを通してホルガ村の女性たちと心を通わせ、集団の一つになる重要な場面だと思うんだけど、N号棟の紅白ダンスシーンは死への強い嫌悪感や恐怖感があるしおりを死が恐怖の対象ではなく心安らかでいられる対象であると知っている集団の輪の中に引き入れようとするものの、まだ死への負の感情が捨てきれないしおりはその集団に強い抵抗感を覚えたから過呼吸になってしまったのではないか。

あとミッドサマーでは飛び降り自殺のシーンは来るべき年齢がきたからという感じだったけど、N号棟では「そのタイミングが来たから」というふうに言っていたのが印象的だった。
今死ぬべきだと思ったら衝動的に飛び降りてしまうのかな。
また、その来るべきタイミングというのも不可解な点が多くて、このマンションは住民同士のつながりが深い、というか身体を重ねているしかなり共同体の塊に近いと思うんだけど、これ以上生きていたらその共同体に迷惑をかけてしまうからというものでもなさそう。
凡人には理解できないけど、身体から魂が離れるのに最適なタイミングというのがあるのかもしれない。そのタイミングで死ねるのが一番幸せというような。

物語の終わりの方で旦那が死んだと言っていた女性の部屋にその旦那と思わしきミイラのようなものが椅子に座らされていたけど、これは古代エジプトの肉体は滅んでも霊魂は生き続けると考えられており、死後も体を適切に保存しておくことで、来世でも生き続けることができるという考え方を参考にしているのかなと思った。
だから遺体を保管する施設があるし、そこでは(ミイラを作るために?)血を抜いていたりする。
以上の理屈だと身体が残っているのが結構重要なのかなと思ってたんだけど、それにしてはミイラの数が少なすぎるというかあの女性の部屋にしかなかったので何か別の理屈があるのかもしれない。答えはわからない。

最後しおりが団地という共同体を見つけて死への恐怖を自覚、克服して、脳死だった母の延命措置を外すところは良いシーンだったのかもしれない。
ずっと悩まされていたことから解放されて、しおりも団地の宗教団体という居場所を見つけて、これからの人生を過ごすぞという前向きな気持ちになれた結果だとしたらそれはハッピーエンドと呼べるのかもしれない。

しかし途中でN号棟に泊まったときにしおりが見た夢の中で夢を見ていて、最後のシーンでもしおりは眠りから目が覚めるという場面で終わるので、もしかしたらどこまでかわからないけど、かなり壮大な夢の話だった可能性もある。
いやもうこんなことを言い出したらキリがないが。

色々言葉を重ねましたが何もわかってません。ここまで全部勘で書いてます。

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