見出し画像

仏のいえ (2023年5月)

信州の四季は都会よりも一ヶ月遅れて動くため、行事も旧暦に合わせて行うことが度々あります。お釈迦様の誕生日を祝う灌仏会(降誕会)はその一つで、無量寺では5月8日(旧暦4月8日)に行う習慣となっています。境内の花を摘み、花御堂の屋根を飾る作業は半日がかり。辛い時期を乗り越えて一筋の光の如く現れるお釈迦様の誕生は、長く寒い信州の冬を終えた後の春の現れに重なり、まだ肌寒いながらも喜びは一入です。
3月頃からスノードロップ、福寿草、セツブンソウが咲き始め、土の中で眠っていた山野草が次から次と芽生えます。三年目になると、草木にはそれぞれの個性があることを知ります。太陽を好むもの、日影を好むもの、根によって増えやすいもの、種によって増えやすいもの、徐々に減る花、ある年に急にいなくなる花、手入れをしないとその花が自分の毒でなくなる花。肥料を必要とする花。その個性を知りながら、雑草や増えやすい草木を刈り、消えやすい草木の芽を痛めないようにしながら、花を愛でることは容易ではありません。こんな小さな境内でも、人の手を入れなければ、あっという間に藪枯らしに覆われてしまうのです。
咲き始めた花も、短い花は一日花、長い花でも咲き始めと盛りと咲き終わりがあり、同じようでも毎日表情が異なります。一年二年とここで過ごさせて頂くと、来年もこれらの花とまた会えることを願い、咲き終わった花としばしの別れを告げます。
たまに出かける信濃の山では、境内で見たことのない植物に出逢います。お寺に来て、だいぶ花の名前を覚えたつもりでも、まだまだ知らないことは山ほどあり、何度も何度も驚き喜ぶ自分と出逢います。

「華は愛惜に散り、草は棄嫌に生う」

花はやはり気持ちを喜ばせてくれる。草は気持ちをガッカリさせてくれる。草を嫌いたいわけではない。しかし、雑草や落ち葉のないお寺に出向くと心が清らかになり、草が無造作に生え、落ち葉だらけの空間に出会うと暗い気持ちになる、そんな私であることを知っているため、身体がしんどくても前者でありたいと思うのです。私と世界との関わりが、この境内にある。内面がここに現れてくる、そんな風に思いながら、今日も境内に出るのです。

草木の声を聞きながら花を楽しむ。風や日照りを考えながら掃除の時間を決める。監督しているかのように頭上で鳥たちが鳴く。私は、ただ、大地の上で草や花と戯れている。そんなひと時を、一年に一度のこの時を過ごすのです。

いつも心温まるお気持ちをありがとうございます。 頂戴しましたサポートは真実に仏法のために使わせていただきます。引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。