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仏のいえ (2023年7月)

無量寺には、広くはないけれども一通りの野菜を作るだけの畑があります。4月に土を起こしてから、じゃがいも、ねぎを植え、5月に入るとなす、ピーマン、トマト、きゅうり、かぼちゃ、ズッキーニ、オクラ、モロヘイヤを植え、ホトトギスの鳴き声が聞こえ始めると豆類を植えます。梅雨が終わらないうちに人参を植え、あとは草取りをしながら収穫を待つばかり。同時に梅雨の合間に6本の木から梅を収穫し、まず15%の塩に漬けます。SNSで友人たちの投稿を見ていると信州は半月遅い収穫。梅雨が明けると日照りの中で梅を干し、赤紫蘇と梅を瓶に漬け、味わえるのは三年後。スケールの長い保存食です。
スーパーでもインターネットでも簡単に買える食材を、わざわざ手間暇かけることもないのかもしれません。けれど、苦労をすれば苦労をした人の気持ちがわかるし、生きている実感と生かされている実態を、畑と作物、そして料理と食事を通して学ぶことを、できる時には避けたくないのです。

境内の小梅

私は、無量寺に来るまではほとんど畑作業をしたことがありませんでした。でもどこかでずっと憧れていました。住職の大仙さんが約30年続けてきた畑。しかし、この数年、手の親指の付け根が脱臼する「母指CM関節症」による痛みがあり、鍬や鎌を使った作業が以前ほど出来なくなったために私が積極的に畑に入るようになりました。野菜と同じ丈のある雑草の中から、きゅうりやなすを見つけ出すことが毎日の楽しみ。初物は必ず亡くなった庵主様にお供えをし、お施餓鬼やお十夜の法要にも畑の採れたて野菜をお供えします。わからないことがあっても大仙さんに聞けるという安心の中で、大きな失敗もなく遊んでいるのです。
春から夏は野菜を育ててお供えし、七月には梅干しを作り、秋になると銀杏を拾い、冬になる前にお菜(野沢菜)と大根を漬け、お正月前にはお餅を作り、1月下旬には味噌を作る。庵主様の代から脈々と続いている習慣をさせていただける幸せは、自然の中で生きていることそのものであり、出来るだけ変えずに淡々と続けていきたいと切に思います。

私は2018年4月から2020年3月までの2年間、曹洞宗愛知専門尼僧堂で修行生活を送りました。その尼僧堂の120周年記念法要が先月6月17日に行われました。
堂長である青山俊董老師(昭和8年生まれ・90歳)と、同じく講師である鬼頭春光先生(大正14年生まれ・97歳)、冨尾智恵先生(昭和14年生まれ・85歳)の三名の先生は、尼僧堂に60年以上お勤めし、尼僧堂を、そして多くの尼僧を育てて来られました。法堂進退、坐禅、読経、典座(台所)、掃除など修行道場での日課のほか、ご詠歌、詩偈、書道、釈尊伝などの授業は、その三名の先生が中心に行われていました。

左から鬼頭先生、青山先生、冨尾先生

私が修行していた頃の修行僧は15名ほど。決して多いとは言えない人数でした。それでも、同じ時期に安居していない先輩方と会話ができるのは、その先生方の教えを受けていた経験を共有できるからなのでした。いつでも、分け隔てなく法を伝えてくださっていた先生方。嫌なことがあっても、先生方を指針として尼僧堂に安居し続けることができたのでした。しかし、誰もが毎年一つずつ歳をとるのです。病気をされた、入院されたなどと風の噂を聞くたびに、ご高齢故にいつ最後になるかわからない覚悟をしていたつもりでも、まだまだ先のことだろうと高を括り尼僧堂を後にしていました。しかし、別れは突然に訪れます。冨尾智恵先生が7月22日、ご遷化されたという報せが入ったのです。
6月17日の120周年記念法要で、元気な姿でお目にかかったばかり。卒業後に訪ねる度に「ようこそ、ようこそ、よう来てくれたがね」と名古屋弁混じりに笑顔で出迎えてくださり、卒業生同士の交流の場も設けてくれました。人との交流を大切に出来るだけ会合に出席し、毎回お土産のケーキも欠かさず、筆まめで、よくこちらを気遣った手紙を受け取っていました。怒った姿は記憶になく、いつもニコニコされていました。ご詠歌も朝課も適当なことは言わず、厳しく教えてくださった教えは財産のように残っています。

(中略)この私自身が死ぬことは,その時,私の父母,妻子,兄弟たちとも別離せねばならぬ時であり,それどころか,私が今まで生きてきているこの世のすべてとも別れねばならぬ時なのです。それこそがまさに私にとって世の週末の時なのです。つまり,一口にはっきりいえば,世の終わりや最終戦争などの世の事件的なことが起こって初めて,私が死ぬのではありません。かえって私という個の死の中に,私とってのすべての世の終わりがあるのです。

内山興正老師『いのち楽しむ』p13-14
冨尾智恵老師

青山老師が葬儀の時にするお説法の一つにご供養のお話があります。亡くなった方へ五つの供養(お花、お香、お灯明、食事、飲み物)をしますが、お釈迦様は六つ目の供養があると言います。それは。亡くなった方が喜んで下さる生き方をすること。よりよき生き方をもって回向とせよ。ということです。

釈尊の臨終まぎわに、阿難が「お釈迦さまのようなお方の葬式は、どのようにしたらよいか」とお尋ねしたのに対し、釈尊は答えられた。
「香・華を手向けておこなう葬式は、在家の者に任せておけばよい。お前たち仏弟子のなすべきことは、私の説きのこした法を学び、行じ、人々に伝えることである。そこに私の生命は生きつづけるであろうし、また、そのことこそが真の私への供養である」と。

青山俊董「美しく豊かに生きる」P109

冨尾先生はお亡くなりになった。けれど、相続されるものが私たちそれぞれの中にある。ただひたすらに「先生から学んだ法を相続」できるよう、一日一日を精進することで恩返しをしていきたい、そう思います。

いつも心温まるお気持ちをありがとうございます。 頂戴しましたサポートは真実に仏法のために使わせていただきます。引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。