篠原眞氏との会話
篠原眞個展を行った翌年の2022年5月、ROSCO(甲斐史子、大須賀かおり)が渋谷の公園通りクラシックスにて篠原眞の<ソナタ>を演奏。会場まで車で篠原氏をお連れすることになり、その車中での会話を書き留めておいたもの。主だった話は2021年の「篠原眞 室内楽作品による個展」でのインタビューで伺ったので、補遺的な話を。以下、太字は私、それ以外は篠原眞氏による発言。
この間、ジャンヌ・イスナール、安川加壽子両氏による、篠原さんの≪ヴァイオリン・ソナタ≫の録音を聴いたんですが、特に最後の部分、全音階クラスターが9つ打ち鳴らされる部分がなく、静かな感じになっていて、驚いたんですよ。
あれはね、トニー・オーバンという作曲の先生が大変保守的で。
黛敏郎や矢代秋雄の先生でもあった。
そうそう。先生としては優秀で、生徒にも人気があった人なんだけど、現代音楽が大嫌いな人で。それで、この作品はこうすべきだ、といろいろアドヴァイスをされて、一先ずはそのアドヴァイスを受け入れて提出したんだけど、出版のときにね、やっぱり自分のやりたいように書こうということで、本来思っていた通りの形に書き直したんです。
なるほど。
で、ヴァイオリン・ソナタをメシアンのところへ持って行ったらね、最初は何の返事もなかったんだけど、2週間くらいしてからね、「この作品はちょっと古い。もっと新しい作品を書くべきだ」と言うわけですよ。
でも、2週間どうアドヴァイスするか考えていたわけですね。
メシアンは、クセナキスにも、君には音楽院の教育は邪魔になる、って、音楽院を受けさせなかったんです。ただ、自分のような音楽院で古典音楽の訓練を受けた身からすると、クセナキスの音楽の古典音楽の技術のないところが見えてしまうわけですよ。
篠原さんがドイツに移られて以降の作品をメシアンに見せる機会はなかったんですか?
そういう機会はなかったですね。ダルムシュタットの音楽祭でね、お会いする機会はあったんだけど、60年代に入ると、メシアンはもう古い作曲家だと思われていてね。独自の語法を持つ作曲家ではあるけど、それは個人的な様式で、誰かが発展させていくようなものではない、と思われていて。
ああ、なるほど。
それで、ダルムシュタットで、メシアンはインドのリズムについて講義したんだけど、あまり人気がなくて生徒もあつまらなかった。
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