終生娯楽派の戯言
脚本家:佐伯俊道の雑誌「シナリオ」での連載をまとめた『シナリオ別冊 終生娯楽派の戯言』が滅法面白く、電車での移動の際に少しずつ読み進めている。どういう本かは、柳下毅一郎氏の書評を参照いただくとして、荒井晴彦が関本郁夫監督の『処女監禁』(1977)の脚本を手伝うところまで読んだ。
『処女監禁』は、関本郁夫(この方はドラマ『スクール・ウォーズ』のモデルとなったラグビー部があった伏見工業高校出身で、のちに映画版『スクール・ウォーズ』を撮ることにもなる)と掛札昌裕との共同脚本だが、掛札は当時大ヒット中だった『トラック野郎』シリーズ新作脚本に忙殺されて仕事が思うように進まず、荒井晴彦が脚本改訂の助っ人として呼ばれた。
当時の荒井晴彦はニ・三のピンク映画の脚本が局所的に話題にはなっていたものの駆け出しに過ぎず、『赫い髪の女』(神代辰巳)の公開は2年も先のこと。当然、『処女監禁』に荒井の名はクレジットされず、東映はクレジットされない脚本家にギャラを払うような会社ではなかった。で、大泉学園の鰻屋:ふな与のうな重と、近い将来荒井に何らかの仕事を発注するという口約束のみで手が打たれたという。
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さて、ふな与といえば、ここのご主人である竹島善一氏は晩年の松平頼則を補佐した人物で、写真家でもある。ふな与には、何度か松平頼則関連コンサートのご案内に伺ったのだが、結局、ウナギを頂くことはできなかった。一度、母方の法事後の会食をここでやるよう手配したことがあるが、この時は友人の結婚式に出るために、私だけ欠席してしまったのだった。ふな与はその後、営業をやめてしまわれた。
ちなみに井上郷子による『松平頼則・松平頼暁ピアノ作品集』(文化庁芸術祭参加中)ブックレットの作曲家プロフィール写真は、頼則氏を竹島善一氏が、頼暁氏を私が撮影している。