2023年1月28日「クラシックの迷宮」を聴いて

 NHK FMの番組「クラシックの迷宮」で、松平頼則の作品を3作聴いた。

 三部構成で45分に及ぶ大曲、『17人の奏者のための音楽』の、フルートと打楽器による第1部が終わり、管弦による第2部が始まったとき、ふとあることに気付く。放送終了後、別室から松平頼則の代表作といわれる『循環する楽章』のスコアを持ち出し、エアチェックした音源と照らし合わせてみたところ、一部オーケストレーションを変更するなど、増補改訂をくわえてはいるが、『17人』の素材が明らかに『循環する楽章』へと転用されていることがわかった。『循環する楽章』の作曲が1971年だから、『17人』は『循環する楽章』のいわばプロトタイプとなるかと思う。スコアに記された『循環する楽章』の演奏時間は17分程度。よって、第2部第3部合計で30分ほどになる『17人』は、『循環する楽章』を再構成するに十分すぎる素材であり、新規の作曲の有無、『循環する楽章』以外の作品への転用の有無など、もろもろ調べるべき課題が出てきたように思った。

 松平頼曉氏が健在なら、訊いてみることも出来たかもしれない。ただ、頼曉氏は結婚して独立するまで東中野の松平邸にて同居していたこともあり(東中野の自宅というと、かつてNHKの(エセ)ドキュメンタリーで放送された小さな家が思い浮かぶが、頼曉氏によると、同居していた頃は、同じ場所に「あれよりちょっとマシな二階家」があったそうだ)、1950年代の中ごろまでの頼則作品については、本当に良くご存じなのだが、それ以後の作品となると必ずしもそうではない。

 松平頼則は、極めて強い改訂癖の持ち主だった。既に出版され、録音さえある作品でも、再演の際に序奏を付け加えるなど、何らかの改訂をくわえてしまうことがあった。気に入らない作品については序奏を加えるどころか書き直してしまう。『6つの前奏曲』というピアノ作品は、音楽之友社から譜面も出て、野平一郎による録音も存在するが、作曲者は気に入ってなかったようだ。自身のリサイタルでこの作品を弾こうとした井上郷子に、松平は別の作品を弾くよう勧めたという。『6つの前奏曲』に満足しなかった松平は、この素材を2台ピアノのための『雅楽の旋法による6つの即興曲』へと転用、2台ピアノ用譜面から1台分のパートを抜き出し、これを独立した作品として井上に捧げた。

 「とにかく書くのが好きな人だった」と、松平頼曉氏はいう。確かに、手元にある『舞楽』のスコアをみると、1管編成の楽曲だが、たとえばフルートのパートが6段で書かれている箇所がある。クセナキスがピアノ協奏曲『シナファイ』のソロパートで、声部ごとに異なった段を与え、10段譜を2手で弾くよう指示したことを思いだす向きもあろうが、こちらはコンセプトが違う。いわゆる「管理された偶然性」の一種で、フルート奏者はこの6段のうち、自ら選択した1段を吹けばいいわけだ。

 ということは、『舞楽』の演奏においては、一度の演奏でスコアに書かれている音全てが鳴ることはありえない。6段のうち、残りの5段は演奏されずにいわば捨てられる。よって、捨てられた素材が陽の目にみるには、別の演奏機会を待つほかない。「管理された偶然性」を導入した楽曲でも、このようにはなから捨てられる可能性(繰り返すが、あくまでも一度の演奏において、の話だが)のある部分を書く作曲家は希だ。シュトックハウゼンの『ピアノ曲XI』では、ピアニストは大判の楽譜に散らばった19の断片を、順不同で演奏する。どう演奏するか、という規則がいろいろあるのだが、これら19の断片全てを演奏する可能性が否定はされていない。魚をキレイに食べました、とばかりに、シュトックハウゼンが用意した素材を全て音にしました、という解釈は当然あり得る(レコーディングなら、多くのピアニストはそうした解釈をとるだろう)。松平頼則の『舞楽』は、その身の6分の1しか箸をつけるのみで捨てなくてはならない焼魚のようなものなのだ。

 そういう作曲家であるから、作曲の手間を惜しんで過去の素材を流用した、ということはありえない。よって、別曲に素材が転用された以上、松平頼則は『17人の奏者のための音楽』には満足していなかった、と考えるべきであろう。

 松平頼則作品の普及において、最大の問題がここにある。特に委嘱がなくとも自らの創作欲に従って、演奏されるアテのない作品を書いてしまうその態度。異様ともいえる改訂癖。よって、そもそも「何を演奏すべきなのか」。そこがまず定まらない。後から加えられた序奏も、友人への個人的プレゼントのようなものなのか、熟慮の上での改訂なのか、そこがわからない。加えて、作曲家が改訂した結果が、果たしてより良いものとなっているのだろうか。ラフマニノフの『ピアノソナタ第2番』、ストラヴィンスキーの三大バレエ、ブーレーズの『プリ・スロン・プリ』、改訂に物言いのつく楽曲はいくらでもある。よって求められるのは、松平頼則作品のスコアを一同に集め、似た作品の差分を徹底的にチャート化し、何をプロトタイプ、何を決定稿とし、そこにある作曲家の意図を、ある程度のエヴィデンスをもって判断する、ということだ。出発点はそこにある。

 松平頼則の譜面は、日本近代音楽館、上野学園大学などに所蔵されている。これらを一同にあつめ、横断的な検索を行える場を作らなくてはならない。協力してもらえると良いのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?