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"ありふれた唯一無二"、の自分

ここ最近は特に、創作意欲が強くなった。

今まで自分には絶対にできないと思っていた絵や音楽の創作に
何故か心惹かれるようになり、自分にフィットするデバイスやツールを探し回り、自分なりのペースでそれらを始めている。


最近iPadで描いてみたよ

今でこそこんなにフットワーク軽く創作活動を始められるようになったが、
この1年間は腰が重くなかなかできていなかった。

何が私の頭枷(足枷、ではしっくりこないので頭枷)になっていたかというと、「唯一無二の呪縛」に囚われていたからだ。

「唯一無二の呪縛」というのは、
「創作はオリジナルなものでなければならない」
「自分が生み出すものは、この世の人がまだ見ぬものでなければならない」
「他の誰でもない私だからこそ生み出せる、唯一無二のものでなければならない」
このような感じの呪いで、
なんのパクリでもオマージュでもなく、何なら参考もなく、
自分自身から湧き出したものでなければいけない、という強い思い込みのことである。

だから何も参考にできず、何から学ぶこともできず(見たら参考にしちゃうからね)、ただ自分一人の身体の中から何かのアイデアがポッと生まれるのを待っていた。

そんなふうにしてもいいものが生み出せると思っているのだから、
よっぽど自分のポテンシャルを高く見積もっていたのだなあと
当時の私の肩をさすってあげたくなるが、
こんな感じで創作への荷の重さを感じていた時に出会ったのが
Fさん著の「20代で得た知見」という本だ。

元々Fさんの「いつか別れる。でもそれは今日ではない」という本が好きで、
一冊の本を好きになるとその著者の他の本を脳死で買ってしまうたちなので併せて買っておいた本だった。

作品名の通り、「20代でしておくとよいこと」が書いてあるわけだが、
何も意識高い系の若者に宛てられたものではなく、
もっと詩的に、もっとロマンチックに、
著者や著者の友人の体験談をもとに描かれたエッセイのようなものである。

本を読み進められる中で、こんな一説が私に届いた。

「オリジナルだとか唯一無二のなにかなんて崇高なものはこの世には存在しない。
誰もが誰かの複製。一切は借り物。
人は出会った人によってしか自己を形成できない。
人は見聞きした言葉しか話せません。
でも見聞きした言葉は出会った人によるものである必要はない。
『一冊同じ本を読んでいれば会話できると思うの。』とは
1980年の新潮文庫のキャッチコピーです。」

20代で得た知見

ああそうか。
私は私を、特別な存在だと、唯一無二な存在だと信じたかったのだな、と。

この星のどこを探しても私以外の私はいない、
この歴史のいつを辿っても私以外の私はいない、
それはそう、そういう意味で私もあなたもきっと特別な存在、
だけれど、
自分以外の万物と触れ合わないと生きていけない星に生まれた私たちは、
人や外的環境から受ける影響なく自分を形成することはできない。

そういう意味で、
ここまでの私は出会った人やものたちをぎゅっと一つに集めた個体に過ぎないし、
これからの私も今までとこれからが詰め込まれた個体に過ぎない。


まったくのオリジナルなものなんて、もうこの世に存在しないのかもしれない。
そんなことを思って、私は安心できたのだった。

すでに"完全オリジナル"ではない私なのだから、
もっと好きなように好きなものを寄せ集めて、
好きな塩梅でスパイスを振りかけて、この世に出しちゃいましょうよ、と。

オレンジ色を自分に取り込んで、全く同じオレンジ色で出力するのは
良くないかもしれないけれど、
オレンジ色と、黄色と、緑と、シルバーとを、自分の好きな分量で混ぜて、
そうして生み出す色なら、それは「わたしの色」と言えるんじゃないか。

そんなふうに「生み出す」ということを再解釈できたのだった。
これからも、きっとどこにでもいる "ありふれた唯一無二" の自分を
ぶら下げて誇らし〜く生きていきたいと思う。


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