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子供の頃の「好き」が大人になって役にたった話

めっきり涼しくなり過ごしやすくなってきました。
窓を開けて爽やかな風とともに音楽など聴きながら子供の頃の話を書いてみようと思います。
私が小学校高学年の頃に家庭用パソコンが普及し始めました。
普及とは言っても電気屋さんに置いてあるという意味で、非常に高価な代物でどこの家にでもあるというものではありません。当時、友達に誘われて近所のPCショップに入り浸っていました。
そのお店はNECの販売店で主に企業や学校にパソコンを納入するショールームの様な所でした。

お店の人達とも仲良くなり、とても居心地の良い場所でした。
当時まだWindowsなどは無く、画面も白黒がメインでした。
今時の人には信じられないと思いますが、漢字すら表示することは出来ず、増設スロットに漢字ROMという部品を差し込んで漢字を表示するのですが、その部品が5万円近くするのです。
最上位機種になると本体30万円、モニタ20万円、外付けディスク20万円、ドットプリンタ20万円、当時の物価で100万円近くしました。
そんな時代ですから、自由にパソコンを触れる環境というのは非常に魅力的でした。

今日もパソコンで遊べる!

では、パソコンで何をするかと言えば、主にはゲームなのですが既製品のゲームソフトは非常に高額なためとても小中学生に購入できるレベルではありません。
ではどうするか?というと、パソコン雑誌にプログラムが紹介してあるのでそれを自分たちで入力するのです。
機種別にプログラム言語が紹介してあり、それを一字一句間違えないようにパソコンに入力していくのです。子供にはお金が無い代わりに時間だけは無尽蔵にあります。2時間だろうと3時間だろうと夢中になってキーボードにかじりついていました。当時は保存するメディアも非常に高額でしたが、音楽用のカセットテープにプログラムを保存するという手段がありました。その頃、自分の中で一番価値のあるものは音楽用のカセットテープでした。

当時、パソコンの機能をフルに活かして完成度の高い華やかなゲームを作っておられたのが、後にドラゴンクエストなどの開発に関わられる中村光一さんなどです。
BASICという比較的理解しやすいプログラム言語を利用して、自分なりにゲームを作るのですが勿論アーケードゲームのようなものでは無く、ドット絵が動き回る程度のものです。何せパソコンのメモリは僅かしか無く、使用できるグラフィックも限られているので効率の良いプログラムを書かなくてはいけません。
子供たちが友達同士で自転車やローラースケートの技術を競い合うように、パソコン少年達はプログラム技術を自慢し合うという日々でした。

自分のパソコンが欲しい!

この頃になると、自分のパソコンを持っている友達も何人かいて、自分も欲しくて欲しくてたまりませんでした。
ところが私の家は母子家庭で常日頃からお金が無い、というのを聞かされていましたから、友達の家に行っては友達の自慢を聞きながら触らせてもらうしか選択肢は無かったのです。

次回、待望の自分専用のパソコンを買ってもらった話へ続きます。


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