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#番外編3 体験した人が綴るものと、調べた人が綴るものの違い

僕もnoteで色々な記事を読んだり、youtubeで色々な番組を見たり、ネットに転がっている色々な記事を読んだりして思うことが1つあって、、、

凄く良いことを言ってたり、凄く正しい知識を書いていたりする人って結構多いと思うんですが、それが実体験として落とし込めている人や記事ってどのくらいあるのだろうと。

実体験や変化の過程をちゃんと記してくれる記事とか人ってその数多くの記事やチャンネルの中でも稀な方なんだなと思います。

調べた人が綴るものって、どちらかというと無機質なものが多く、読んでてへぇー!とはなるものの、実際に自分がそれをやってみたり、その場所にいってみたいとかあんまり思わないんですよね。

特に今の時代だとChatGPTやopenAIなどによっても簡単に文章は生成できてしまうので、自分の言葉で書けていない記事とかも結構多いのかなって思います。

物語調

有名な作家とかの書く本って、やはりその人の言葉で綴られており、物語(ストーリー)に引き込まれていき、次から次へと読めてしまうけど、無機質な記事とかって、パっと見ただけで満足してしまうものも多いです。


物語は人を引き込む力があります。

体験した人が綴るものって、もうそれだけで1つの物語(ストーリー)なんですよね。

例え文章がおぼつかなかろうが、例え情報が少し間違っていようが、ストーリー性というものに惹かれて、ついつい最後まで見てしまう。続きが気になる。また書いている人がどういう人なんだろうか興味がわいてきます。

noteでも実際に書く人が、体験したものやことを物語調で書かれているものは、見てすぐにわかるし、そういうものに僕も引き込まれてしまいます。

そして僕も物語調で書いていきたいと思いますし、もっと色々と体験してきたこと、これからやっていくこと、それによりどういう変化が起こるかとか、共有していけたら、書くのも飽きないしワクワクして続けていけるなと思います。

そういう風に考えると、実は会話とかも同じ傾向があるような気がします。

人って物語のある会話もとても好きで、なんか当たり障りのない会話とか、とってつくったような会話とか、全然引き込まれないし、面白くもなんともないですよね。

会話に物語性というものを帯びさせることができた時、その会話をした相手に引き込まれていくっていう感覚があると思います。

文章も、会話も、伝える『もの・こと』は、綺麗にとか、無機質に伝えるよりも、物語性のある泥臭いものとか、実際にこうこうこういう体験をして、だから今はこうなっているみたいな引き込まれる要素を常に意識していかないといけないなとふと考えたので、番外編としてまとめました。

まとまらない文章になってしまいましたが、最後まで見て頂きありがとうございます!

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