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新しい川

最近ICLと言われる、視力を回復する手術をした(具体的には目の膜の所にコンタクトを埋め込む)。そのせいで長時間液晶画面を眺めている事がキツく感じるようになった気がする。

出版社で働いている身としては恥ずかしい事だけど、ここしばらく小説を読んでいなかった。大学に入ってから孤独で無くなったからかもしれない。講義に出たり、友達と遊んだり、自身の専攻に関する学術書を読んだり、レポート用に文献に目を通したり。それだけ。出版業界全体には悪いけど、別にそれで困ってなかった。何か手軽に文章を読みたい時は大体Twitter(X)を眺めてた。知り合いの投稿でも良いし、知らない人の投稿でも良い、意味がある日本語で誰かが何かを言っていれば良かった。みんなが何かに怒っていたりするけど、とにかく情報はあった。

ところが前述の通り、液晶画面を眺めている事がきついと感じるようになった。せっかく手術したしこれ以上眼を悪くしたくないという思いもあるけれど、単に眼が疲れてしまうから、画面を眺める時間は減らそうと思った。紙の本ならそのキツさがあまり無かった。丁度良い、この機会に学術書を読めば良い、もうすぐ卒論のテーマを書けと言われる頃合いだ。これもダメだった、脳が疲れてしまう。集中して読めば読めるけど気を張ってるから先ず脳が疲れて気力が無くなるし、脳が疲れると眼もギューッとしてやっぱり疲れる気がした。

それで、久しぶりに小説を読んでみることにした。手に取ったのは大岡昇平の「野火」。家の本棚にあって、まだ読めていなかったから。美しい文章だった。国語の授業か何かの試験問題で見た事があったのか、いくつかの節は身に覚えがあった。暗い話だけど、それは特に気にならなかった。久しぶりに物語というものを味わった。眼の疲れは無かった。次に芥川の「杜子春」を読んだ。これも異様に美しい文章だった。教訓めいた話だけど、それも特に気にならなかった。どちらもスラスラと読めた。

良い習慣を取り戻したと思う。Xを眺めているぐらいなら、小説を読んだ方がずっと良かった。小説は現実じゃないし、剥き出しの悪意もない。何かを思っても良いし、思わなくても良い。おだやかな川に仰向けで浮かんで、その流れに身を任せるような感覚だった。
新しい川を探そう。
(「次世代の教科書」編集部員:鈴木)

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