見出し画像

いいねボタンを押す/押さない心理

統合が進むにつれて、すべてにおいての現象の見方がガラリと変化しました。

そのうちのひとつが「いいねボタン」です。
SNS、Youtubeなどにあるあれです。

皆さん、あれってどのように捉えていますか。

実をいうと、私はこれまでいいねボタンが欲しくて、もらえないことを心のどこかでかなり気にしていました。
私の書き方がまずかったかな、あの人の気分を害しちゃったかな、とかマインドがグルグルとあてもなく回り続けたりして。

いいねボタンをもらえると嬉しい。もらえないと悲しい。

そう、それはまさに外側の現象に一喜一憂していたのです。
それは決して心地のいい感覚ではありませんでした。

その感覚が、統合が進むにつれて大きく変化したのです。

あ・・・私自身が自分の投稿にいいねボタンを押してなかったんだ、と気づいてしまった。

自分自身にいいねを押さず、つまり自分を満たさず、外からその不足感を埋めようとしていた。

あぁ、そういうことだったのか・・・

これって、いいねボタンに限らないんですけども、自分が欲しいと願ってること、それは例えば、愛が欲しい、優しくしてほしい、褒めてほしい、労ってほしい、そういったあらゆる願いを今まで外の誰かに求め続けていました。

しかし、当たり前ですけども、人というのは自分のために生きてるわけでは決してないので、自分の期待通りにはいかない。

そして、いつも不足感が心のどこかにあって、まるで年がら年中喉がガラガラと渇いているみたいな状態になっていました。

喉が渇いていて苦しいよ。でも、満たされなくて悲しいよ。
そんな負のループの中に40年以上いたのです。

意識が反転した今、自分にいいねボタンを押してあげられるようになったことで、自分を満たし、それでようやくというかあっさりと「完結」するのだとわかったのです。

そう、いいねボタンを押す瞬間、自我(エゴ)は抵抗しますね。そんなことしたら恥ずかしいよ、って。なので、そのエゴに向き合っていくことが必要になってきます。これなんですよね。

もちろん、どなたかからいいねボタンをもらえたら嬉しいですが、以前のような渇望感はなくなり、もらえたら嬉しいけども、もらえなくても大丈夫という精神状態になりました。どっちでもいい、となり、自由度が広がりました。

・・・

逆にいうと、いいねボタンを押さない心理というのもありまして、それはひょっとすると自分が自分自身に対してまだ受け入れていない、赦していない顕れだったりすることがあります。

たとえば、「誰かが美味しいランチを食べてきました」というような投稿をしていたとします。その時の自分の反応、特に感情がわかりやすいかと思いますが、イラっとしたりしてネガティブな感情が生じた時は、実は癒やされていない自分がどこかに雲隠れしているサイン。

そう、この世界はいつでも鏡の世界。
相手を見ているようで、実は自分を見ています。

なので、今の私にとってSNSとは、自分自身をチェックするバロメーターのようなもの。

そのようなあり方で過ごしています。

いずれにしても、以前よりもずっとずっと生きていきやすくなり、平安で幸せが広がっているのは本当に嬉しいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?