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調和とはオーケストラ

今日は「調和」について書きたいと思います。

私の好きな言葉のひとつにこの調和があります。調和という言葉の響き、漢字から感じる印象、そして意味合い。

なんかほっとするのです。だから、主催しているヨーガ教室名は、harmony yogaと名付けて現在に至ります。

ちなみに、調和の意味を調べてみたところ、

ちょう わ てう- [0] 【調和】
( 名 ) スル
ものごとの間に釣り合いがとれていること。ものごととものごとが互いに和合していること。 「 -がとれる」 「 -を保つ」 〔古く「ととのいやわらぐこと」の意。英語 harmony の訳語となり、「釣り合うこと」の意に転じた〕(Weblio辞書より)

だそうでして、ふむふむ、まさにまさにという感じがします。

では、この意味をもう少し分析してみたいのですが、釣り合いがとれてるってどういうことでしょうか。和合とはなんだろう。

例をあげるとわかりやすいので、例えば、自分と全然違う人が目の前にいるとします。年齢、性別、育った環境、趣味、良い悪いの判断基準、大切にしていることがもう呆然とするぐらいに違くて、「この人は宇宙人?」というレベルだとする。さて、その人と釣り合いをとる(調和する)ってどういうことかしら。

皆さんはどう思いますか。

見て見ぬふりするのもひとつ。無理して話をするのもひとつ。忌み嫌うのもひとつ。面白がるのもひとつ。

では他の例。今度は自分と似ている人がいるとします。年齢、性別、育った環境、趣味、良い悪いの判断基準、大切にしていることが、なんか似ている。さて、その人と釣り合いを取る(調和する)ってどういうことかしら。

同じ趣味の話をするのもひとつ。社会情勢について話し合うのもひとつ。どことなくライバル心を感じるのもひとつ。お互いに協力しあって行動するのもひとつ。

考えてみますと、この世の中には本当にいろんな人たちがいて、さらには動物や植物もいます。とすると、自分と全然違う人がほとんどで、たまになんか似てると思われる人もいる。

何年も前に読んだ本だったか、記事だったかよく覚えてないのですが、物理学者、数学者、生物学者たちが長年研究をし続けて気づいたことにひとつの共通点があるという内容でした。それはなにかというと、

「この世は調和が保たれるように、何者かが意図を持ってしているとしかいいようがない。この世はまるでオーケストラだ」

という言葉。

何年も前に知ったこの表明を、今でも日常でふと考えるのです。学者さんたちは根拠がないとそのようなことは表明しない方々ですから、この言葉は非常に迫力がありますよね。しかも、専門分野を超えたこの結論。

この世はまるでオーケストラ。なんと素敵な表現でしょうか。

ヴァイオリン、トランペット、ホルン、フルート、クラリネット、パーカッション、オーボエ、サックス、コントラバス、ハーブなどの様々な楽器がそれぞれの持ち味を持って調和しあうように、この世は成り立っている。

オーケストラというと、トランペットがすごくて、フルートがだめというような上下関係はないし、クラリネットとオーボエで競い合うなんていうはもってのほか。そういうことを追求すると、音色が台無しになり、耳障りで美しくないでしょうね。まさに不調和です。

ということは、この日常でも原理はまったく同じであって、自分が1番で相手が2番であるとか、特定の分野で世界を制覇するとかいうのは、極めてナンセンスだということがわかります。

だって、この世は絶妙な調和で成り立っていますのでね。そういった自我を通すような動きをしても、宇宙の流れにはとてもとても逆らえません。

だとすると、調和の動きをしていくことがこの宇宙の流れに沿っているので、そのように動いていくことが合理的であり、自然なことなんじゃないかな。これって意外とシンプルですが、欲が強いと難しいでしょうね。

次世代心理療法研究会では、この調和的スタンスを非常に大切にしていまして、社会的立場に垣根を作らず、学歴、職歴、過去の栄光、資格、宗教、年齢、性別、お金の有無などにおいて、特別扱いすることは一切しません。

そんな表面的なことよりも、「成長したい」「自己理解したい」「対人援助技術力をあげたい」という思いをとても大切しています。人との競争ではなく、自分自身を徹底的に見つめていきながら、全体の一部としての音色を追求していくことに価値を置いています。

この世界はオーケストラ。自分の持ち味の音色を発揮して、調和力を深めるための一翼をこの研究会で担えましたら、本当に嬉しいです。

ー今生を生き抜くための智慧を身につけようー











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