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井岡一翔タトゥー問題について。

大晦日田中恒成にKO勝ちした井岡一翔の左腕のタトゥーが問題になっている。運営側としては事前にタトゥーを隠すよう井岡陣営に通告し、試合前に井岡はファンデーションを塗っていリングに上がっている。が、ファンデーションが解けて、試合が放映される頃にはタトゥーはくっきりと浮かび上がり、全国放送されてしまった。

井岡はこれまでも左腕のタトゥーを隠してリングに上がっており、汗でとけてしまったというのは見え透いた言い訳で、なし崩し的に入れ墨禁止のルールを破った確信犯的行動であることは明らかだ。JBCは井岡だからと特別扱いはせずに処分を検討していたが、この問題は現役のチャンピョン、または彫り師の団体から意見が寄せられる,など、ボクシング界を超えた問題になっている。すでに海外での試合の経験もある井岡は問題が長引くならば、本格的に海外に拠点を置くなど強気の姿勢をとっている。

僕個人の意見を言わせてもらえば、ボクサーの入れ墨やタトゥーには興味がなく、本人の自己責任でやっていただければ問題ないと思っている。実際日本のジムに所属していている外国人のボクサーが体中に入れ墨を入れていても特に問題視されることはない。日本人だから禁止というのは筋が通らない。ただ入れ墨にはいまだ偏見が根強くあるので、運営側が慎重な姿勢になるのはわからなくもない。

JBCでは「入れ墨などの観客に不快感を与える風体」のものがボクシングのリングに上がることを禁止している。

ここでは不快感という点に関して注目してみたい。

小説家の村上龍氏の作品に「ピアッシング」というものがある。その作品のテーマは親から虐待を受けたものが体に入れ墨を入れたり、ボディピアスをしたりすることで、親との遺伝的つながりを絶ち、そのトラウマから解放されることもあり得るというものだった。

さて、仮定の話だが、もし親から虐待された者が体に入れ墨を施し、立ち直り、ボクシングで身を立てようとリングに上がろうとしたとき、その人物が過酷な虐待を生き延び、入れ墨を入れることでトラウマを克服した、というストーリーが観客全員にいきわたったとして、その人物は「観客に不快感を与える風体」の持ち主ということになるだろうか。

これはあくまで極端な仮定の話である。入れ墨でトラウマから解放されるという部分に納得がいかないものもいるだろうし、そもそも日本は子供にやさしくないし、虐待問題に関心の薄い国民である(個人的意見)

勿論、井岡は虐待のサバイバーではないだろう(多分)だが、入れ墨に関してこういう意見もあるということだ。

入れ墨はやくざが入れる者という風習は徐々に薄れ、ファッション感覚で施すものも増えた。コロナが収まり、外国人の観光客が増えればタトゥーに関する認識も変わるだろう。この問題にボクシング界がどう対応するか注目したい。

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