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旅人、卒業します。

簡単に書こう。
昨年の5月に手ぶらで無人島に行った時から
自他ともに「旅人」に分類されることが増えた。

それから1年、最高にエキサイティングで
激動であった、「旅人」を卒業しようと思う。

旅と同じで「旅をすること」に終わりが見えたから。
これ以上それに時間を割いても、
人生の機会損失を増やすだけだと。


もちろん旅に出ることでたくさんのものを得た。
人生の糧も、友も仲間も、感謝も。
たくさんの場所でたくさんのものをもらった。

それは本当におれの血になって今も流れてる。


確かに旅を続けた方が見る側は面白いだろう。

現に、大きなこと、変わったことをした方が
noteの視聴率がダントツで高い。笑
書いてる人が同じでも、同じ熱量で書いても。
同じYouTuberの同じような動画でも、
サムネによってYouTubeの視聴回数が上下するように。

おれはこれ以上この旅を続けても、
大袈裟におれのサムネを盛り続けても、
みんなに多少「すごいね、おもろいね!」
と言われて、終わることは粗方みえている。

セックスできない万年オナニー野郎になってしまう。
誰とも感動を分けあえず(セックス)、
1人で気持ち良くなっている(オナニー)状態。

そういう意味で底が見えてしまった。


ヒッチで日本一周をしていた時の最終日に、
MOROHAの『三文銭』を聞いてよかった。

ぶっ飛んでなくていいぜ
イカれてなんかなくていいぜ
普通でいいんだ、
真っ当は真っ当なりにお前を全うしろよ
俺は俺を全うするよ。

この歌詞がなければ、
ただのイカれたやつを目指してたかもしれない。

ONE PIECEでゾロがこう言っていた

信じるも疑うもどっちかに頭を傾けてたら
真相がその逆だった時、次の瞬間の出だしが鈍ってしまう。

何かを信じることも大事だが、
イカれてるやつがすごいと頭を傾けすぎていたら
半年間違った一歩を踏み出し続けるところだった。


信念は人間の生存戦略を支えるものだろう
だから、もちろんコロコロ変わっては危ない。
だが、信念が変わらないことの方がもっと危ない。

その意味で、現代の宗教家はとても脅威に感じる。


話を戻そう。旅人を辞める話。

自分は旅などを通して、世界を思う存分広げてきた。

おかげでどんなことも浅くは知っているつもりだし、
同じ時間あたりの人に出会う数では引けを取らない。

みんな口を揃えて「経験は大事」と言う。
でも大抵の人はなぜ経験が大事かをわかっていない。

なぜ経験が大事かというと、

理性的な選択をするためには
他者から学習する能力と機会が必要だから
だ。

解説すると、自分に便益がある選択をするためには、
物事の道理や因果関係を知っている必要があるから。

例えば、「日本語」
これを読んでいる人は最低限日本語ができるだろう。
人は「あいうえお」というものを経験して
吸収するから毎日文字が読めて会話ができる。

もしも「あいうえお」を経験していない人がいたら、
果たしてその人は理性的な選択ができるだろうか?

それは流石に極端過ぎた。


では仮想通貨はどうだろうか?

ほとんどの人は仮想通貨のことを知らないだろう。
これを書いている2022年5月初旬は、
史上稀に見る、仮想通貨が暴落した時期だ。

もちろん「仮想通貨」は、
「言語」ほど人生に必要不可欠ではない。

しかしその経験があるかないかで、
「仮想通貨」や「投資」の世界では
全く言葉が話せない小学生以下の状態。


同じバイトで「自民党」という言葉を知らない
本当にアホな高校生がいた。

この子がこのまま大人になって子供ができた時に、
彼女は言語が話せない猿同然となるだろう。

だから知識は大事だし、
経験することはその知識を最大限に吸収しやすい。


長くなってしまったが、そういう意味で、
この1年の「旅人」の経験過多期間に、
どの世界の言語も日常会話レベルに話せるつもり。

議論はできなくても言語はわかる程度には。


だからこれ以上他の言語を学ぶことの
優先順位はもう上がってこない。
議論ができないことに価値を感じられなくなった。

カタンで最長交易路を取っても、
家も都市もない人は確実に負ける。


この2年ちょっとの期間で残念なことに
マスクをつけるという習慣が身に付かなかった。

そりゃTPO次第でつけるところは付けていたが、
ほとんど顎マスクが関の山だった。

よく言えば、社会的同調圧力へのメンタルの強さ、
悪く言えば規範意識の低さがあるだろうが、
自分に守るものが少なかったこともあるだろう。

天秤にかけた時にめんどくさいマスクをつけてまで
守りたい人や考え方、マジョリティーアピール、
強いられる社会的立場の渦中にいる人がほとんど。

その意味で自分は守るものも社会的立場もなかった。
簡潔にいうと賭けられるものは自分の身だけだった。


風の時代、個の時代と人々は
この時代の呼び名をたくさん作りたがるが、
要するに全員が個人で自分勝手の時代なんだろう。

全員が自分勝手で、風の時代でもなんでもない。


お金で買えるものは人生のオプション。


このnoteの最後に
「お金なんてオナニーをする切符説」を提唱する。

おれは幸せをお金で買えたことはないし、
愛や苦しみをお金で買えたこともない。

せいぜい今叩いているPCや座っているカフェ代とか。

先輩は、朝起きた時に彼女が隣で寝ているだけで
「今日も幸せだ」と感じると言っていた。


携帯料金でもなんでも、オプションをつけるだけ
料金は不要にも上がっていく。


ウルグアイの前々大統領、ホセ・ムヒカによる
国連演説
を見たことがあるだろうか?


人類は今、消費社会をコントロールできていない。
逆に人類の方がその強力な力に支配されているのです。
我々は発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。
幸せになるためにやってきたのです。
人生は短くあっという間です。
しかしその人生こそが何より価値あるものなのです。
余計なものを買うためにもっともっとと働いて
人生をすり減らしているのは、
消費が社会のモーターとなっているからです。


貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、
もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ。


おれはここでいう、豊かな人なのだろうか?

それがどうかもわからないので、
明後日から、1年ぶりにほぼ手ぶらで無人島に行く。
「お金、消費は人生のオプションじゃないか?」
という問いかけを片手に。

手ぶらだがポケットには

ナイフ、ゴーグル、虫除けスプレー、ゴミ袋


を持っていくことにする。
前回の教訓を生かして、虫除けスプレーを足して、
エセ無人島キャンパーへのアンチテーゼとして
そいつらが残したポイ捨てを暇潰しも兼ねて拾う。


おいおいお前旅をしていないか?と言われても、
「旅を一切しない」という変に固い信念で生きたら
次に踏み出す一歩が鈍ってしまうからねー。

これからする選択が仮に損失ばかりの道で、
失ったものが多く、得たものがなくても、
それも前進であると思って選択し歩き続けよう。


香川知生、第3章に入ります。

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