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若い友人と話してると毎回驚かれることがある。それは「…という面白いエピソードはあるんだけど、その時の写真はない」ということだ。親子以上に歳の離れている友人は、ひとしきりゲラゲラ笑ったあとに「えーその時の写真見せてくださいよー」と必ずいう。彼女には想像できないのだ。私が若い頃は今みたいにガンガン写真を撮る風習はなかったことが。スマホはなく、ケータイもなく、1人1台ずつカメラを持っていることもなく、つまり写真を撮ることは非日常的だということが。中高生のころの写真はあるにはあるが、文化祭とか修学旅行とかのイベントがほとんど。おそらく先生か、クラスに1人はいたカメラ好きが撮ったものだろう。たぶん中学3年間の写真の枚数より、今の1ヶ月の方がうんと多いに違いない。たとえ写っているのが食べ物ばかりだったとしても。

先日は珍しく「そのエピソードの時の写真」が存在したので「こないだ話したやつ、これなんだよ。卒業アルバムなんだけどさー」とお見せした。すると本題と関係ない、予想外の反応が返ってきたのだ。

「え!じろまるさんの卒アル、白黒なんですか!」

「てか男子の頭…どうなってるの…あ、マンガで見たことあるかも…」


そう!白黒だよ! 2つ下の学年からカラーになったらしいのだが、私らは白黒だったのだ。巻末の「君たちが在籍していた期間の世界のニュース画像」のとこだけカラーだった。ダイアナ妃の結婚式と山口百恵の引退はカラーだった。

リーゼントも今、リアルでは見かけないもんね。いるとしたら50年代の音楽やってるとか、50年代の雑貨店やってるとか、50年代のコスプレやってるとかのレアアイテム。まして学生服とのコラボは激レアだろう。彼女は写真を拡大しながら「これって実在してたんですね…」とまるでエルフについて話しているような調子でリーゼント男子を見つめていた。

しかしもう40年以上前の写真なのに、写真を見ているとその場の会話などがよみがえってくるから面白い。匂いや音など記憶を呼び起こすアイテムはいろいろあるが、写真はその最たるものだ。3歳のころの「カーテンを巻き付けている私」の写真を見れば、いつでも伯母とふざけたあの部屋へと戻れる。Sちゃんが棒を振りかざしている写真を見ただけで、あの日溺れかけた川の匂いで鼻の奥がむずむずする。その店に行ったことは忘れてても、食べたものの写真を見れば二日酔いの恥ずかしさまで思い出してしまう。

妹に本を読んであげるわたくし

先日もそんなことがあった。私は母の娘時代の話を聞くのがとにかく好きなのだが、話が佳境に入っているのにぼんやりした描写をされると許せなくて、つい質問攻めにしてしまう。すると思い出したくても思い出せない母は面倒になって「もう忘れちゃった」とすぐ強制終了しようとする。しかしその日は違った。写真があったからだ。

母は昔から、高校の同窓会へとよく出かけていた。長崎の高校の同窓会を東京でするのも不思議な話だが、結構集まるのだという。さすがにこの10年くらいは「人数もだいぶ減ってきたし、みんな体も動かないし、今回で最後かもね」と言いあってるらしいが、またしばらくすると開催のお知らせがやってきて、母もふうふう言いながら頑張って東京のホテルまで出向く。

同窓会の写真を指差しながら会話しているうちに、私はどの時代のどの写真でも、必ず母の隣か後ろに同じ男性がいることに気づいた。

「ねえ、この人はどういう人?」

「Fくんね、彼は東京で就職してすごく出世したみたいで、ここのホテルが会場なのもFくんに強力なコネがあるからなのよ。人数も日取りもあいまいな時期から会場を押さえてくれてるから助かるの」

ほう。そんなえらい人がなぜ母の隣をキープする。

それはなかなか甘じょっぱい話だった。

中学までキリスト教系女子中学でふわふわ楽しく過ごしてきた母は、高校に入って男子だらけの教室に閉口したという。男子なんて体は大きいし、声は大きいし、態度も大きいし、距離近いし、何より当時流行っていたという整髪料のつけすぎで学校中がくさい。おじさんってのは何かというと「昔の男はチャラチャラしてなかった。外見を気にするようなやつはいなかった。男は中身で勝負!」みたいなことを言いたがるが、それは嘘だ。今も昔も見た目を気にする層は必ずいるのだ。それは悪いことではないのだが、若さゆえ行き過ぎてしまうことは多々ある。母の感覚では、当時半数以上の男子が「くさい」男子だったという。

なので「くさくない」男子にはホッとする。さらに声や態度がジェントリーで、距離感バグってないとなると、好感度はMAXとなる。Fくんはそんな男子の1人だったという。

ある時、クラスの男子が騒いでいた。なんでも「すごい映画が日本にやってくる」らしいのだが、九州では上映されるのかどうかがわからないというのだ。その映画のタイトルは「風と共に去りぬ」。当時日本人の一番の娯楽は映画であったから、その注目度はスパイダーマン新作の100億倍と言っても過言ではなかったろう。ともかく学校中が浮き足立っていたし母もドキドキしていた。新聞部の記者としてなんとかその映画について書きたいと思っていた。するとがFくんが話しかけてきたのだ。

「実はその映画、博多にくることは知ってるんだ」
『長崎には来ないの?』
「うん、博多だけ。で、あの、よかったら…博多で映画を…」

きゃーーー!


え?デート?デートの誘いだよね?大変だ大変だ! 17歳、高校生、話題の映画、県外へお出かけ。恋だ。青春だ。わっしょい!わっしょい! 私は心の中でのたうち回りながら興奮を気取られぬよう、素知らぬ顔で続きを促した。すると母はこう言ったのだ。

「つまりFくんが映画を見てきて、その感想を教えてくれるつもりなのねと思って、ありがとう感想聞かせてねと言ったのよ」

は?

ちょっとアンタ何言ってるの。小悪魔?天然?あたしゃ許さないよ。まさかそれ言ったの本人に言ったの。あ、言ったんですね。で?その通りだと。僕だけ博多行ってくると。まあそういうよね。相手も多感な17歳だし傷つきたくないし。ともかく彼は博多まで1人で出向き、次の週にはパンフや半券などを手土産に、ものすごい熱量で語ってくれたらしい。いい記事が書けたのよ〜と母は嬉しそうだった。

それからもFくんとはずっと仲良しで、在学中も卒業してからも連絡を取り合っていたそうだ。何枚も写真があったせいか、その日はいろいろなエピソードを思い出してくれた。そしてそれらのほとんどが風と共に去りぬと同じオチだった。すなわち「何かが生まれそうだったが何も生まれなかった」。2人は淡くふれあうが、そのたびに泡となって消えてしまう。初めのうちは「恋に発展させろよ!」とイキっていた私もだんだん「これはこれでいいのかも」と考えるようになった。

そもそも我々はすぐ恋だの愛だの決めつけすぎなのだ。男女がほんのり好意を醸し出すだけで「なんで付き合わないの」と急ぎすぎなのだ。無理に白黒つけなくていいではないか。Fくんと母との間には何かがあった。だがそれは名前のつけようがないものだった。

同窓会の日は房総から高速バスで出てくる母のため、Fくんは必ず東京駅まで迎えにきてくれる。そして一緒に会場までいき、同窓会が終わるとまた東京駅まで送ってくれるらしい。米寿のおじいさんとおばあさんの道行きが、できるだけ長く続くことを願っている。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。