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香港のくやしいまかない

これは去年、大阪の「あまから手帖」に寄稿した一文です。本を買ってない人はお楽しみください。本を買ってくれた人は縦読みすると宝物への重大なヒントが隠されていません

はじめてのひとり旅に浮かれ街をウオーサオーしていたら、晩ごはんに予定していた店からずいぶんと離れてしまったことに気づいた。香港は九龍の夜。土曜の7時。今から戻るにはちょっと距離があるし、実のところかなり歩き疲れている。それに喉はカラカラだし、一刻も早く冷えたビールが飲みたい。なので私は当初の予定を変更し、今いるこの界隈で別の店を選ぶことにした。幸い周囲には飲食店が多く、見渡す限りキラキラとネオンが輝いている。そして見知らぬ土地でも行き当たりばったりでいい店を選ぶ嗅覚については、ちょっとした自信もある。私はその辺をぐるっと一周パトロールするとすぐに一軒の店に目をつけ、躊躇なくドアを開けた。

入ると驚いた。なんとお客が誰もいないのだ。土曜の7時といえばおそらく世界中の飲食店がいわゆる「かき入れ時」のはずだ。それなのにまさかのノーゲスト。しかもよく見ると店の真ん中の大きなテーブルにはコック服や給仕服のスタッフ達が大勢座り、ワイワイガヤガヤとくつろいでいる。予想外の事態に私はここが香港だということも忘れ「あれ?今日はお休みですか?」と、英語ではなく日本語で叫んでしまった。


私の声に気づいたスタッフが立ち上がった。「いらっしゃいませ、ようこそ〇〇へ。さあ奥へどうぞ、暑かったでしょう、こちらの席が眺めがいいですよ」と、やたら流暢な日本語で話しかけてくる。そして私を座らせると間髪入れず、怒涛の海老コース紹介を始めた。当店は海老が美味しいです。カニも美味しいけど海老はもっと美味しいです。こちらの海老コースにしましょう。海老がいっぱい食べられてイチバンお得ですね。みんなこのコースを注文しますよ。このコースでいいですね。

伊勢海老

どれどれとメニューをのぞくと確かに海老でいっぱいだ。伊勢海老に似た大型の海老を丸ごと一尾使った華やかな前菜から、蒸した海老、焼いた海老、揚げた海老、海老のスープ、海老の点心、海老の麺。白キクラゲやクコなど女心をくすぐるアイテムもちらほら見え、昔も今も「バエる」料理が大好きな女性はイチコロだろうと思われる。しかもこの内容でこのお値段は非常にお値打ちと言っていい。ただ、いくらなんでも量が多すぎる。それにせっかく香港まで来たのだから、日本で食べられないような現地仕様のレアな料理が欲しい。誰に遠慮することのないひとり旅だから、完全に趣味に突っ走りたい。そんな希望を伝えつつ、海老コースをグイグイ推してくる彼をかわしつつ、これぞという一皿を模索していたその時だった。

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ドッとあがる歓声に振り向くと、スタッフが集合している大テーブルに大皿がいくつもやってくるのが見えた。あれはなんだ。何かを炒めたもの、何かのスープ、何かの揚げ物。茶色くこんがり焼けたものは肉の塊だろうか。あの緑の丸いものはなんだろう。パチパチと音を立て、ほわほわと湯気を上げ、ああ、どれもこれも素晴らしく美味しそうだ。

「すみません、あれは皆さんの賄いですか」

「はいそうです。スタッフのご飯です」

「あの、私も同じものが食べたいんですが」

するとどうだろう。さっきまで流暢な日本語でペラペラとお世辞や冗談まで華麗に操っていたそのスタッフが顔をこわばらせた。そして事もあろうに、急に日本語がわからないフリをしだしたのである。そりゃもうコントのように「ムズカシイ、ワタシ、ニホンゴ」と、カタコトにも程がある態度に出たのである。

そこからはもういっさい日本語が通じなくなった。私は先程までの会話で得た知識からなんとか注文をし、ほどなく店は大勢のお客で満席になり、頼んだ料理はどれもおいしかった。いい店だったと思う。ただあの彼がカタコトのフリまでして守った賄いとは一体なんだったのか。あの湯気の向こうに光り輝いていた賄いの風景は、食べられなかった悔しい思いと共に何十年も忘れることができないのである。


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。