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あのころ、下北沢で【三福林】

息子の食が細いのがとにかく心配でならない、と友人が言う。彼女の息子は17歳、特に部活などはやっていないインドア派とはいえ、普通は食べ盛りの年齢である。それが「朝は食べない。昼はおにぎり1つか2つ。おやつもそんなに食べない。好き嫌いはないものの夜も幼児食程度」だという。

「私、いまだに息子の食べ残しを始末してるんだよ。だから私ばかり太る」と友人は悔しそうだが、確かに息子はひょろひょろのガリガリだ。まあでも明るく元気、特に大きな病気もしてないそうなので「燃費がいい」体質なのだろう。いつか天変地異でもおきて地球全体が食糧危機になったりしたら、最後まで生き残るのはきっと彼だ。進化した人類なのだ。

今でこそ「もっと食べたいのに食べられない」ことで悩んでいる私だが、若い頃は「まだ食べられる!終わりが見えない!太る!でもやめられない!」が悩みであった。多くの人がそうであるように、10代後半から30歳くらいまでは我ながら尋常ならざる量を食べてきたものだ。食べても食べても腹が減るし、どんなにお腹がいっぱいでも目が欲しがる。

「もう限界。何も入りませーん!」とウエストをゆるめながら宣言してる最中でも、誰かの差し入れが回ってくると食べてしまう。満腹だけどまだ気になるメニューがあれば注文してしまう。どちらかに決められないからという理由で、ランチを2回食べたこともある。そしてお酒が入って判断力がゆるゆるになると、さらに意地汚さは加速する。ハシゴという名の限界突破ツアーが行われるのである。

日本酒

あのころ、下北沢の南口で飲んでいる時はハシゴの最後に「三福林(さんぷくりん)」へ行くことがよくあった。「よくあった」なんて自分で書いて自分で驚いているが、若い胃袋は本当にすごい。3軒ハシゴして、どの店でもそれなりに飲み食いしているのに最後になんか小腹が空いちゃうのである。焼き鳥でビール飲んで、パスタ屋でワインと肉をやっつけて、話し足りないからと居酒屋に戻って日本酒でホッケつついたにもかかわらず、小腹が空くのである。なのに痩せているのである。やってられない。

そして三福林ではまるで「今日は朝から何も食べてないんです!初めての食事なんです!飢えてます!」と言わんばかりにフルサイズをガッツリ平げるのである。さっきは「小腹」と言ったが小腹どころではないのである。なのに痩せているのである。ほんとやってられない。

三福林は定食屋である。それもメニューのバリエーション豊かで、その日の気分で選び放題の店だ。しかも私はハタチ前後の数年間通い詰め、夜だけでなく昼のランチにもよく足を運んだ。それならかなりの三福林通だと思うだろう。店のメニューはほとんど食べ尽くしているんじゃないの?と思うだろう。ところが違うのである。

私は2つのメニューしか食べたことがない。

100回は軽く超えているであろう来店回数で、しかも魅惑的なメニューが多々あるあの店で、なぜか私は2つのメニューだけを食べ続けていた。それが「明太子オムレツ」と「肉なすピーマンを独特の味つけで炒めたやつ」だ。毎回「今日こそは他のものを注文しよう」と思ってはいるのだが、結局口をついて出るのはいつものアレ。しまいには「三福林」の看板を見ただけで明太子オムレツの画像が鮮明に浮かぶほど、いつものアレ状態だった。

だし巻き

卵が好き・明太子も大好きだったから、最初に食べたのはもちろん明太子オムレツだ。しょっぱくて油のきいたその味は実家を思わせ、最初からひどく気に入った。そしてそのとき隣にいた客が連れに「この店に来たらこれを食べなきゃ」と熱く語っていたのが通称「カレー味」こと「肉なすピーマンを独特の味つけで炒めたやつ」だ。

「独特の味つけ」とは私が勝手につけたあだ名で、正式にはなんという名前だったか。お店オリジナルのたれが醸し出すそのなんともいい味が、三福林の大いなる魅力だった。初めて食べたときはまるで大谷翔平の体幹のごとく、真っ直ぐ、しっかり、ブレない味に感動したものだ。常連ヅラができない私は最後まで「カレー味」という符牒はよう使わんかったが、この二大巨頭の前に他のメニューは影が薄く、2つのローテーションはずっと変わることがなく続いたのである。

三福林は2007年6月に閉店した。9月に下北沢へ戻ってきた私は、あと少しのところで間に合わなかった。でも間に合ったとしても私のことだ。どうせ明太子オムレツと肉なすピーマン独特のローテーションがまた始まるだけになったんだろう。
たぶん。
いや絶対。

なす2


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。