ごちそうさまが、ききたくて
「#まるのつかない日は料理本デー」
今回ご紹介するのは「ごちそうさまが、ききたくて」です
透けるような白い肌、赤い唇に大きな目、愁いを帯びたアルトの声、地元では有名な進学校の出身で、スポーツは万能、実家はワケあり。それがMちゃんのステータスだ。「なんてキレイな子だ」私はひとめで魅せられた。
彼女は「私の彼氏がやってるバンドのメンバーが、また別にやってるバンドのベースRくんの彼女」である。私とRとは「大勢集まる飲み会で、5回くらい一緒に飲んだことがある」程度。つまり友達といえば友達だが、他人といえば他人の、遠くて浅い関係だ。
最初に会ったのは、同じく大勢で集まった飲み会の時だった。「いずみちゃん、俺の彼女。紹介するわ」とRが連れてきたMちゃんは、ニコリとするでもなく、ペコリとするでもなく、ただ突っ立って私をジロジロ吟味していた。
ずいぶんぶしつけだなと思ったが、美人だから見られることには慣れていても、さりげなく見るスキルはないんだろう。仕方ない。彼女は挨拶もないまま私を品定めし終わると、顔いっぱいに「嘲笑」を広げた。そして「ぷっ」と吹き出すと、いきなり話しかけてきた。
「なんか顔の表情おかしくない? バカみたい」
ハイ、盛ってません! これほんと! 彼女ね、私に向かって「バカみたい」って言ったんですよ。私ね、初対面の人に「バカみたい」って言われたんですよ。いや、まあ、自覚はある。でも本当のことだからといって言っていいわけじゃない。どうしても言いたいなら、家に帰ってからでもいいじゃないか。陰口でいいじゃないか。
あのころ私たちは、店で飲むことも多かったが、誰かの家に集まったり、キャンプやBBQをするのも好きだった。ある家飲み会の時、またRがMちゃんを連れてやってきた。彼女は相変わらず不機嫌で、誰かが作った料理にブツブツ文句をつけながらつまらなそうにしていた。するとRが「お、これ美味しいから食べてみ?」と、私の作った「野菜いろいろ、浅漬けみたいなサラダ」を彼女に取り分け始めたのである。
自分の料理を褒められれば、そりゃ嬉しい。私はのんきにも「あ、それ私が作ったんだよー」とRに声をかけた。Mちゃんは感情のない目(だが美しい)でこちらをチラ見しながらひと切れ口に放り込むとこう言った。
「ダメ、こくがない」
ハイ! 盛ってません! これほんと!
いやわかるよ。人の舌ってのは意外に千差万別だ。他人が作ったものが絶望的に口に合わなかったことは、私にもある。こっそり醤油をぶっかけて、醤油の旨味で乗り切ったこともある。水をもらうふりしてキッチンで塩をひとつまみ盗み、席に戻って自分の皿に塩を振りかけたこともある。でもその場で本人に言わなくてもいいじゃないか。陰口でいいじゃないか。
Mちゃんの言葉を受けてRは、事も無げに「そうか? お前が作るやつより、俺はこっちの方が好きだな」と言った。あーあ。ダメ、そんな言い方したらダメ。ほれごらん。Mちゃんに火がついちゃった。
ふたりは私の目の前で「いずみちゃんの料理がまずい」「お前のよりいい」と言わんでもいい言葉を売り買いしはじめ、しなくていいケンカになり、気まずい感じで帰ってしまった。「いずみちゃんの」というセリフはみんなが聞いていたため、私も大変気まずかった。やめて、お願い、もう少し小さい声でお願いします、て言いたかった。
それからは、持ち寄りの飲み会があるたびにビクビクしていた。Mちゃんがうっかり私の料理を口にしたらどうしよう。またケンカになったらどうしよう。とりあえず作ったのは自分だと名乗ることはやめた。まずいと言われても気にしないようにしていた。そんなある日のこと。
彼女が突然「え、これすごく美味しい!」と言い出した。
それは、私が作った料理だった。栗原はるみ著「ごちそうさまが、ききたくて」の最初のページに載っているシグネチャーメニュー「さばそぼろ」。ふだん料理本からはエッセンスをいただいて、調味料は自分の舌に合わせてアレンジしてしまう私が、珍しく本の通りに作ってみた料理だった。
このnoteを読んでいる人で「ごちそうさまが、ききたくて」を知らない人がいるだろうか。料理好き、料理本好きにとっては、教科書のようなものだ。何と言ってもミリオンセラーなのである。ふだん料理本を買わない人も、これだけは持っていると名高い本なのである。おそらく日本の料理本の中で、もっとも売れた本だろう。
本書を手にとってすぐ感じるのは、彼女の「好きなもの」である。それはまるで取説のように、栗原はるみの推しを見せてくれる。
たとえば「ごろごろ、ザクザク」と言った食感だ。彼女の料理は、とにかくごろごろ、ザクザク、ゴツゴツ、シャキシャキなどのオノマトペにあふれている。
クルトンはデカくてザックリ!
パン粉もデカくてカリカリ!
ハンバーグの玉ねぎはナマ!デカい!シャキシャキ!
レンコンは叩く!ごろごろ!
イワシはゴツゴツ!もやしはシャキシャキ!
この、ザクザクごろごろシャキシャキに対する熱量はどうだ。ミョウガやネギなども常にシャキシャキと大量に存在し、あれ?これなんの料理だったっけとタイトルを見直すこともよくあった。そして私もせっせとネギを刻み、デカいパン粉を製造していた。立派なはるみキッズだったのである。
また、自由な発想も本書の魅力だ。これを読んで、目からウロコが落ちまくった料理がたくさんある。例えばこれ。
「豚肉をタレに漬け込んでから焼くのではなく、焼いてからタレに漬ける」方式のローストポーク
「なま肉を漬け込むと漬け汁の再利用ができない」そう、それは誰しもが悩んでいたことだ。だがそういうものとして諦めていた。もしくは沸騰させてなんとか食べられるものにしようともがいていた。なんてことだ。圧倒的に「あとから方式」の方が楽だし美味しい。
本書は幽庵、つまりユズが主張するあまから醤油味だが、いったんこの方法に気づいてしまえば、ほかの味にも簡単に応用ができる。塩レモン、カレー風味やプロバンス風味のローストポークもできる。中華のチャーシュー方向ならなおよろしい。
さばそぼろ
こちらもその発想に撃ち抜かれた。魚はさばくもの、キレイにおろすものという概念しかなかった私に「スプーンでほぐす」世界を教えてくれたレシピだ。これでいいんだ、これでいいんだよ。
本書から自分のレパートリーになった料理はたくさんあった。ナスとインゲンしか使わなかった揚げびたしに、カボチャやゴボウを入れるようになった。クリームコロッケにはジャガイモを混ぜたし、ごま汁で野菜を煮てみたりもした。思わぬアイディアが、私の食卓をとても豊かにしてくれたと思う。
だが私の好みとは決定的に違うところがあった。それは
砂糖が多い
ということである。実際に作ってみるまでもない。レシピの調味料を眺めているだけでも「塩が小さじ1、そして砂糖が...えええ!大さじ3!!!」と何度も驚いた。何かの間違いじゃないかと何度も見直した。最近のレシピにはあまり感じなくなったが、当時のはるみ味は私には相当甘かったのである。
なので煮豆のレシピのこの文章には、ゾクゾクした。栗原はるみが「これなら(OK)」と思う砂糖は、いったいどれほどの量なのだ。私の料理は、当時は今よりずっと甘くなかった。砂糖を使う料理なんてほとんどなかった。酒飲みだからそれでいいと思っていた。
これはどちらがいいとか悪いとかの話ではない。好みの問題だ。そしてさばそぼろがなぜMちゃんを満足させたのか。もうわかるだろう。
はるみレシピの通りに砂糖を入れたからである。
彼女のいう「コク」とは、甘みのことだったのである。
その後、私の家で飲み会をすることになった。MちゃんとRも来ることが決まった時、私はMちゃんに媚びるべく、またひとつ「はるみレシピのまま」の料理を作ろうと決めた。それがこの「即席漬け」だ。
私の好みよりはだいぶ甘く酸っぱいこれをMちゃんはいたく気に入り、「へえ、いずみちゃんにもこういう料理が作れるんだ(バカにした笑い)」と、言わんでもいいことを言った。
するとRが「甘すぎるし酸っぱすぎる。お前が作る料理みたいだな」と、さらに言わんでもいいことを言った。またもや、しなくていいケンカが始まったのは、言うまでもない。
めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。