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【読書記録】つまらない住宅地のすべての家

あらすじ
とある住宅地に、刑務所を脱獄した女性受刑者がこちらに向かっているというニュースが飛び込んでくる。路地をはさむ10軒の家の住人たちは、用心のため夜間に交代で見張りを始めることに。事件をきっかけに見えてくるそれぞれの家庭の事情と秘密。だが、新たなご近所付き合いは知らず知らず影響を与え、彼らの行動を変えていく。


コミュニティは希薄化し、どんどん隣近所との関わりというのは無くなりつつある。挨拶を交わす程度、その微妙に引かれた一線を誰もが感じ、少し違和感を感じながら生きている。

悩みや葛藤があっても他人に「踏み入れてほしくない」と感じている。確実な一線を引いて、いつもギリギリで自分の身を守っている。崩れてしまいそうでも、「私は何も問題はない」という顔をしていたい。たとえそれが同じ屋根の下で暮らす家族だとしても、触れてほしくない「孤独」がある。

でも心のどこかで、まだ知らない誰かに、
この自分のどうしようもない「孤独」に
気づいてほしい、触れてほしい、
分かってほしいとも願っていたとしたら。

家族であっても、長年の友人であっても、相手の知らない「私」は存在する。周りの人間の数がたとえ多くても「孤独」は生まれる。
「孤独」は、
一方的に感じている主観的な心の距離だ。
どれだけ相手が意識的にその人に関わろうと思っても当の本人が『どうせ分かってもらえるわけがない』『偽善的だ』と突っぱねてしまえばそれまでなのだ。

作中では、登場人物それぞれの「孤独」が、それぞれの「無意識な歩み寄り」で解消されていく展開がとても印象的だった。

ついつい人間は相手を見て
「こうした方がいい」とか
「こうすればもっと幸せになれるのに」と
自分の常識や当たり前を振り翳してしまうけれど。それは相手を変えようとする【攻撃】にもなりかねない。

誰もが「触れてほしくない孤独」に
「触れてほしい」と願っているかもしれない。
でもだからといって急に触れられると嫌。
「心の距離」はそういった【攻撃】で
埋まるどころか溝が深まるばかり。
(攻撃している本人は『あなたのためを思って…!』と叫ぶもんだから尚更。)


さて、あなたは
孤独で苦しむ人を助けたい
と思ったら、どう行動するか。


私はただ横にいて、
その人自身が孤独に打ち勝つことを、
信じてあげること。
それに尽きるな、とこの本で再認識した。

触れようと思えば触れられるし、
でも触れようとはしない。
相手が「助けて」と言える距離。
そして最低限支えたら、あとは
本人が自分の力で立つことを見守れる距離。
その絶妙な距離感を、体得したい
と心から思う。

そりゃとっても難しいけれど、人はそうやって支え合って現代まで生きてきたのだから。
「コミュニティが希薄化」している現代だったとしても、その『根本』は変わることはないだろう。

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