見出し画像

データ入力の魅力を語る夜。

先ほどYouTubeで、魚鱗癬という皮膚の病気の方が結婚されてスピーチしているのを拝見した。そのスピーチが力強くて感動し、涙が出た。それを見て思ったことを書いてみようと思う。(余談だが、結構YouTubeを見る。美術関係とか、町中華とか、旅のvlogとか。山田五郎さんの美術番組が大好きである。)

私はライブ配信やオンライン講座もしてきたけれども、多くの起業家のように前に出て、世界を飛び回って、華やかな姿を(裏では清濁併せ吞む経験をしていても)見せていくという、そのような形を自分でやろうとすると、非常にストレスを感じることがわかった。ここ数年、一応やろうと頑張っていたのだけれど、合わないことは続かない。

むしろ、裏方として人の困りごとを解決していく方がフィットすることがわかった。多くの人に「いいね!」はもらえないけれど、確実に目の前の1人の役に立っているなら、それでいい。それも、これまでいろいろな方と出会って、一緒にやってきて、試行錯誤してきてようやく理解したことである。自分を知ることは一生かかる課題なんだと思った。冒頭の彼のスピーチを聞いて、私は起業家になるのではなく、サポートしていく役目だなと思った。

思えば最初の仕事は、当時教えていたピアノの生徒さんのパパが勤めていた生命保険の営業所だった。そこから社会を知り、楽器店の事務、そして農業実習生などもしながら、食品関係の事務、と渡り歩いてきた。建築会社の事務や、塾の事務なども経験した。事務というのは、とにかくどこに行っても「大量の作業を」「速く」「正確に」すること。

「だいたいで」「うまくやっておいて」などという指示はよくわからない私なので、事務という仕事はやるべきことがはっきりわかっていて大きな利点である。だから、20年も続いているんだなあって思った。

特にその中でも私がしてきたデータ入力というのは、超単純作業と思われがちなのだが、そうではない。(ちなみにデータ入力は、ピアノを弾けると入力が速いので重宝される。)

ここで、データ入力の魅力を語ってみる。
人がめんどくさいと思っている紙に書いてある、もしくは今ならエクセルなどのただの素材(情報)を、きちんと冷蔵庫に収納して(入力)、誰が冷蔵庫を開けても分かるように並べることが、データ入力である。

その際、適温の日に大型スーパーから大量に買ってきた食材を、入れ残しがないようにきっちり、素早く冷蔵庫に収めること。
使うときに傷んでいたり、必要な下処理ができていなくて時間がかからないように、予め予想をして綺麗に処理しておくこと。

そんなことが、私の思っているデータ入力だ。

そして、データ入力は、キーボードを打ち、小気味よく入力されていく感じがたまらない。だからキーボードによってこれは打ちやすいとかこれは嫌だとかがある、もちろん。そして何より、他の人がめんどくさいから、私に頼んでいるのだ。というのが、非常に大きなモチベーションになる。私はその人を救っているのだ、というのが目に見える。入力が終わると、この量だけ私は人を救った、と物的に目に見える。

そういうのが好き。
すごく変態的かもしれない、笑。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?