チャンスを掴んで生きてきた人生
突然降りてきたチャンス
まがいなりにもコツコツと何かをやっていると、見てくれている人もいるようだ。
1つ前の記事で書いたとおり、完全に止まっていた副業について意欲だけは失わずに踏ん張っていたら、複数の方から声をかけて頂いた。
声をかけて頂いたといっても、きっと複数人に声をかけていて、僕はその中のひとりなんだろうけど、このチャンスを逃すまいと動かない頭と身体に鞭打ってメールを返信している。
返信した結果がどうなるかはわからないけど、返信を返す、レスポンス、反応することはとても大切だと思うし、これこそチャンスを掴むことの本質じゃないかなと思っている。
神様は見ている
仕事ができねえ!!進まねえ!手につかねえ!とわめきながら、僕はこんな風に考えていた。
「やっぱ俺はいい加減だし、ほんとクズだからなあ。。。他人と働くとか、何か働きかけてもらうことがないと、無理だわ。」
そんなことを考えていたら、「弊社のサイトに掲載させて欲しい」というお声かけを頂く。
まさに渡りに船。有り難すぎるお声かけだ。
「神様は見ているね、うんうん、やっぱり俺は世界一運がいい」なんて思ったよほんとに。都合良すぎ、そんな自分が好き。
とはいえ、さすがの僕もすぐには反応できなかったし、今サイトに掲載してもらうことが正しいのかもわからなかったから、いったん保留した。
チャンスに飛び乗る
そして昨日記事を書いて、ふと思う。
「サイトに掲載してもらうことが正しいかどうかなんてわからないのに、何わかったつもりで保留してるんだ?バカなの?俺、バカじゃね?」
現時点でノーリスク、かつ潜在リスクは不明だがおそらくゼロ。あるとすれば不慮の事故くらい。
気づいて良かった。。。このままさらに数ヶ月息を潜めていたら、一生世に出ることのない秘密兵器よろしく、僕は何かに埋もれて息を引き取っていたかも知れない。
思えばチャンスを掴み続けてきた
ふと振り返ると、僕はチャンスを掴み続けてきた。
もちろん悪いほうに転んだことはあるけれど、30回に1回くらいじゃないかな。残りの29回は良い結果を生むか、あるいはどっちでも良かったような結果だ。
このあたりのエピソードはまたどこかに書こうかなと思う。
ここで書かないと具体性も説得力もないのだけど、なかなかセンシティブな話しも絡むので・・・申し訳ございません。
チャンスを掴むとはどういうことか
チャンスを掴み続けてきたと書いたけど、具体的にはどういうことなのか。
僕の場合、信頼できる人の提案や声かけには耳を傾けるし、誘われればとりあえずついていく、何ならとりあえず船に乗ってみる、それだけだ。
もちろん断るのも大切だし、乗船しないことも大事。
だけど、僕は乗船してから考えるほうを選びがちだし、その結果上手くいったパターンばかりが記憶に残る。
チャンスを逃す人ってどういう人?
ぶっちゃけ、チャンスを逃すというのは結果論に過ぎない。
つまり「あー!やっぱり話に乗っておけば良かった」というだけのことだから、チャンスを逃すという言葉はちょっとおかしいというか、無関係な他人の戯れ言「あーあ、もったいない、チャンスだったのにwww」程度に過ぎないのかなと思う。
ただ、「できるのに遠慮する」「(たいした考慮もできないのに)熟慮の結果やめる」というのは、チャンスを逃す結果に行き着くことが多い気がする。
熟慮するなら、自分だけじゃなくて他人に相談すべきだと思うし、自分の頭を過度に信じることはチャンスを逃す結果に繋がるかなと思う。
チャンスを掴むために・逃さないために
とりあえず行動じゃないかな。
自分の頭を信じて考え抜くことも大切だけど、思ってるほど頭良くないからね、人間。
他人の意見や相談を挟まないと、考慮の精度はガタ落ちすると思う。
というわけで行動!
もはや自分に言い聞かせている記事なんだけど、行動を続けよう、うん。
昔お世話になった人、命を救ってくれた恩人に良くいわれてた。
止まったら死ぬよ!ってなあ。
ほんと仰るとおりです。そして最近止まってました。また歩き始めます!
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