知識の消費って怖い

のっけからぜんぜん関係ないけど、最近記事を書くと3000字超えるし読み返してつまらなかったり、自分語りのひどい記事ばかりで、公開後下書きに戻したのが5記事くらいあります。

と、無駄に80文字くらい使ってから本題。

こちらの記事を読ませて頂いて、そうか!!と膝を打ちましてね。

本を読むってそういうことか!とか、やっぱスマホは使い方難しいなとか、ググれば何でもわかっちゃうのはつまらないなあとか、まあ色々頭の中を駆け巡ったわけです。

消費される知識と雑学

知識を得るって面白いですよね。YouTubeにも雑学紹介動画がたくさんあるし、人々の間では大きな需要はあるんでしょう。

でもこの手の知識って、動画を見たら終わりになるのは経験的によくわかってます。

知った雑学や知識も、人を捕まえて蘊蓄を垂れたところで「それYouTubeで見たよw」と言われて終わりです。

そして知識も雑学もどこかに消えていく・・・消費されるだけの知識、ちょっと悲しい気がします。

消えない知識と本と教養

消えていく知識や雑学、何だか悲しいですが、まあ消えるのは当然でしょう。

悪銭身につかずとは良く言ったもので、行動も思考も伴わない、負荷ゼロで得た知識が身につくのなら、学びになるのなら、スマホが隆盛を極めた現代なら世の中アインシュタインやノイマンだらけでしょう。

冒頭でメンションした記事にある引用を借りてきます。

学びの基本は、そうした間を「またぐ」ことにあります。そこから、知るべきことや教養が生まれるんです。例えば、政治と音楽です。まったく関係がなさそうに思えますが、またぐことで見えてくるものがあります。

松岡正剛(2018)『大事なことは何かと何かの「あいだ」にある』LIFE INSIDER

ああ、そうかと。

またぐことかと。

雑学チャンネルじゃ、またぐことはないなあと。

スマホに「OK Google」と話しかけて調べてもらってちゃ、またぐことはないなあと。

でも本なら、教養の世界を縦横無尽に駆け巡った先人の頭の中を覗けるなあと。

そして、本と本を自分で繋いで、新しい何かを見つけられるなあと。

この「新しい何か」は知識でも雑学でも無い、教養だなあと。

教養って何か・・・よくわからないけど、本を読んで見つかるものは教養と呼んで差し支えない何かでしょう、きっと。

本って、やっぱいいなあ。

966字。まだ書き足りないけど、まだ言いたいことが残ってるくらいが良いですね。

出し惜しみして、残りは自分で楽しみます(笑)

ご清聴ありがとうございました。

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